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ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

高橋源一郎 一〇一年目の孤独 岩波書店

2014-07-08 06:16:22 | エッセイ

 著者初のルポルタージュ、とのこと。サブタイトルは、希望の場所を求めて。

 大江健三郎が、その昔、ぼくはルポルタージュを作家修業とみなす、などと書いていた。最初のエッセイ集は「鯨の死滅する日」だったか。結構な厚さの本、三冊が、連続した当初のエッセイ集で、最初ではなくとも、その三冊のうちのひとつだったことは間違いない。あるいは、ヒロシマ・ノートにでも書いてあったか。大江健三郎は、作家生活の最初期から、同時にルポルタージュを書いていたことになる。

 だから、高橋源一郎が、これまで、ルポルタージュを出したことがない、というのは意外なことだった。エッセイは書いても、ルポは書いたことがないということか。

 さて、この本で、高橋源一郎は、七つの場所を訪れて、その紹介を書いている。

 「ダウン症の子どもたちのアトリエ。身体障害者だけの楽団。愛の対象となる人形を作る工房。なるべく電気を使わない生活のために発明する人。クラスも試験も宿題もない学校。すっかりさま変わりした故郷。死にゆく子どもたちのためのホスピス…。」(カバー裏の紹介文)

 この本を読みながら、ぼくはほとんどずっと泣いていた、と言ってよい。ぼくが泣けるのは、悲しいときではない。悲しかったり、苦しかったりしてしかるべき状況のその先に、希望がみえる、そんなときである。

 あとがきにこんなことが書いてある。「ながいあとがき」というあとがき。

 「「ここで稲を作るのも、わたしまででしょう」と萬次さんはいった。(中略)「もともと棚田があったところは原野でした。だから、この田んぼも原野に戻るのです。」」(155ページ)

 萬次さんとは、例の、山口県上関祝島、もう30年も島の老人たちが反原発デモを続けているというあの祝島で、その祖父が築きあげた棚田を継承するひとである。

 築き上げた棚田が原野に戻る。それは、実は、祝島だけの話ではない。

 「ゆっくりと坂を下りてゆく社会がある。ほんとうは、わたしたちが生きているこの国全体が、そうやって「下りて」いるのかもしれない。けれども、わたしたちは、その事実を認めようとはせず、いまも、かつての「経済成長」の夢を見ようとしている。まだ「上へ」行けるのだ、と考えようとしている。」(156ページ)

 しかし、「下りて」いることが、悪いことなのかと、高橋は問い掛ける。原野に戻ることは、悪いことではないのではないか?

 「百年以上前から、この国は「坂の上の雲」を目指して歩んでいたという。…(中略)…けれども、いまはちがう。そんな気がする。/わたしたちは、緩やかに坂を下っているのかもしれない。そして、そのことは、かつて想像したように、恐ろしいことでも、忌まわしいことでもないような気がするのである。/そのことをわたしに教えてくれたのが、「弱い」人たちだった。わたしが、この本で書いたのは、そのことについてである。うまく伝わることができればいいと思う。」(166ページ)

 この本は、「弱い」人たちについて書いた本である。

 ぼく自身は、そして、恐らく、この文章を読んでいるあらかたのひとは、老人でも子どもでもなく、たぶん、障害を持っていないひとのほうが多いだろう。一般的には「弱い」とされるほうのひとではないほうのひと。壮年。現役の大人。自ら働いて収入を得ているひと。(57歳と言えば、私の若い頃には、充分な老人だったような気がするが…)

 「老人も子どもも障害者も、あるいは、様々な理由で「弱い」といわれている人たちも、訪ねてみれば、弱くはなかった。いや、そうではない人たち、つまり、わたしのように、「ふつう」の人たちのほうがずっと「もろい」のではないか、とわたしは思った。/わたしたちには、彼らが必要なのだ。「弱い人」をその中に包み込むことのできない共同体がいちばん「弱い」のだ。」(165ページ)

 「わたしたちは、「弱い」存在として生まれる。赤ん坊は「弱い」。…(中略)…そのことを、いつの間にか、わたしたちは忘れる。忘れて、自分が「強い」、自立した人間と思いなす。そして、また、時がたって、わたしたちは「老い」衰える。「弱い」ものとなる。元に戻るのである。」(166ページ)

 ぼくたちは、全て過去には弱かったのである。そして、若くして亡くなる一部のひとを除いては、全て未来に弱くなるのである。元に戻る。

 しかし、弱くなったぼくら自身も排除されないような社会、そんな社会こそが強い社会ということになる。それはそうなのだろう。そして、弱かったぼくらが、その中で成長できたような社会。それこそが強い社会なのだ。

 さて、どの章も、読まれるべきエピソードである。

 たとえば、五つ目の章は、「山の中に子どもたちのための学校があった-南アルプス子どもの村小学校-」と題される。

 「ところで。/この学校には、たくさんのものが「ない」のである。」(77ページ)

 学年、教科、宿題、チャイム、試験、通信簿、先生…そんなものがすべてない、のだという。

 「校長のホリさんは胸をはっていうのである。/「楽しいことがいっぱいあります」と。/さあ、それでは、この「なにもない」不思議な学校の秘密を探ってみることにしよう。」(79ページ)

 ということで、内容は、ぜひ、この本自体にあたって欲しい。(先生はいないというのに、校長はいるらしい…)

 こんな学校、ぜひ、作ってみたい。あるいは、ホリさんが国内にすでにいくつか作っている同じような学校に勤めてみたい、とも思う。

 ところで、この点でちょとだけ、思うところがあるが、実は「図書館」は、かなり、この学校に近い場所だ、と言って、間違いはないのではないか。ま、これは、みなさん、読んで考えてください。

 その次が、尾道についての章だ。副題が、「東京物語」二〇一三。

 尾道なのに、なんで、東京物語なのか。

 この章のふたつめの小見出しは、「ふたつの「尾道」」。

 一九五三年に公開された小津安二郎監督の名作「東京物語」には、ふたつの舞台がある。一方は、言うまでも無く「東京」。そして、もう一方の舞台は、故郷「尾道」である。

 「東京物語」は、「「世界映画史上ナンバーワン」とされることも多い。神格化された作品といってもいい」(98ページ)ものなので、みなさんご存知のことで、ぼくが、とやかく言う必要も無いわけだが。

 そして、尾道は、高橋源一郎氏にとっても故郷なのだ。

 この本の流れの中では、尾道は、「老人」という弱きものを描くための章だ。

 「だから、わたしたちは、『東京物語』を見るとき、自分たちの経験が反復されているように感じる。…(中略)…世界中のあらゆる場所に、故郷を出てゆく子どもたちと、故郷に残るしかない老夫婦の物語が存在したからである。」(103ページ)

 この物語は、気仙沼のぼくたちにも、同じように反復している。ぼく自身は、いったん、東京に出て、6年後に、この土地に戻ってきたのだが。

 高橋氏が、「ふたつの尾道」というのは、この映画に描かれる尾道というのが、世界中のあらゆる人々にとっての故郷であると同時に、まさしく、「わたしが生まれた場所の、固有の名前だからである。」(104ページ)

 尾道。

 「日本の、ありゆる地方の街がそうであるように、この街も、少しづつさびれていった。けれども、それに抗う力も、ここには生きていた。それがなになのか、わたしにも正確にはわからない。『東京物語』や、それから、この地で生まれた大林宣彦監督の、いわゆる「尾道三部作」といった映画群によって、新しく「尾道」を知った観客たちが、映画の中の幻の街を確認するために、この街を訪れるようになった。」(106ページ)

 「もしかしたら、この、瀬戸内にある、ひとつの地方都市には、その現実の街並みの上に、うっすらとヴェールのように、幻の街が重なってかかっているのかもしれない。」(106ページ)

 「蒸気機関車に乗って、原節子演じる義理の娘「紀子」が、「尾道」を出てゆく。周吉(老優・笠智衆が演じる。)はひとり、取り残される。ポンポン蒸気の音がまた聞こえてくる。…(中略)…背を丸めて無言で座る周吉の姿が映る。そして、最後にまた、「尾道」の風景が映るのだ。/わたしは、それが、一九五一年か五二年の、現実の「尾道」の風景であることを知っている。でも、そこに映っているのが、それ以上のなにかであることも知っているのである。」(109ページ)とこの章は終わる。

 現実の尾道と、作品の中の尾道。想像された尾道の二重性。「ふたつの尾道」。

 実は、ぼくには、この章は、この本全体の流れの中での意義と同時に、もうひとつ全く別の深い意味合いがある。

 まったく同じ文章を、この気仙沼についてこそ、書きたかった、まさしく、そういう文章を、高橋源一郎氏に書かれてしまった、という思い。

 もちろん、気仙沼には、小津の「東京物語」はなく、大林宣彦監督の尾道三部作もない。

 尾道ではないが、ぼく自身の、若い頃から親しんだ名前で言えば、四国の深い谷間を舞台にした大江健三郎の「飼育」や「万延元年のフットボール」もない。それは確かなことだ。

 しかし、気仙沼には…

 「もしかしたら、この、東北の太平洋岸にある、ひとつの地方都市には、その現実の街並みの上に、うっすらとヴェールのように、幻の街が重なってかかっているのかもしれない。」

 ふたつの気仙沼。

 高校を出て、東京に出て、6年後に気仙沼に戻ってこの方、ぼくは、このことばかりを考えて生きてきたのだ。

 ところで、「一〇一年目の孤独」というタイトルについては、この本の中のどこにも説明がない。南アメリカ・コロンビアの作家・ガルシア・マルケスの傑作「百年の孤独」を踏まえたものであることは確かなこと。そして、「坂の上の雲」を見上げ、坂を登りつけようとした百年以上を、「弱いもの」を排除しようとしてきた孤独の時代だったのではないかと位置づけた、ということも確かなことだろう。孤独から包摂へ。

 (おっと、「百年の孤独」も、「坂の上の雲」も読んでいない小説だ。)

 最後に、ひとつだけ、批判をして置きたい。

 冒頭、まえがきである。ニッポンが「どうひいき目に見ても、あまりいい国とは言えないようでした。」

 まずは否定的なことを提示したほうが書き出しやすいということはある。

 (みんなそう思っているだろうと予測される否定的な)一方の状況を置いて、(これからルポルタージュする肯定的な)他方の事象を際立たせようとするレトリックではあるだろうが、これは止めたほうがいい、とぼくは思う。「いろいろ問題はあるが、案外、いい国ではないだろうか」というところから書き出したい。高橋源一郎氏は、そういう肯定的な考え方をもっている人だと思う。(なにより、この本を読めば明らかなことだ。)

 これは、掛け値なしに言うのだが、高橋源一郎こそ、震災以降の現在の日本で、もっとも重要な、もっとも読まれるべき小説家であると、ぼくは考えている。


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