ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

畑充希とか大地真央とか秋野暘子とか

2016-05-17 00:49:53 | エッセイ

 畑充希は、凄く美人とかいう枠ではないだろうが、凄く魅力的な女優ではあるだろう。泣いたり笑ったりトボケたりツッコんだり。あ、そうか、あのテレビだと家政婦役でよく出ていた名優、えーと松嶋菜々子じゃない、もっと大ベテランの、そうだ、市原悦子か、そのへんの感じだろうか。ちょっと違うか。昔の樹木希林(以前は芸名違ってたな)よりはずいぶんかわいい。

 感情は豊かに見える。感情にリアリティがある、というか。年齢を重ねるごとに魅力的になっていくのだろうな。

 実は、ここでは畑充希のことを書きたいわけじゃなくて、大地真央とか、秋野暘子とか、私に近い年齢の女優のことを言ってみたい。

 大地真央は、同じ年生まれだが、学年は一つ上らしい。秋野暘子は、たぶん、私より1歳下だ。

 このあたりの女優が、幼い子どものじゃなくて、うら若い乙女のお祖母さん役だというのが、とりあえず、ショックではある。

 「あさが来た」のときの、萬田久子とかもそうだけど。風吹ジュンは、少し年上なのでまあいいとして。

 大地真央が、昔の少女マンガに出てくるお祖母さんみたいだ、ということを言ってみたい。とってつけたような総白髪で、何本かのしわが顔に描かれ、着ているものが着物だ、ということでお祖母さんだ、ということが表現されているが、顔つきはどうみても若い、というふうにしか見えない、みたいな。タカラヅカの老け役、と言っても、たぶん同じことだ。

 それと、あのセリフ回し。いや、まあ、なんとも。紋切り型というか。でも、それが、まあ、なんとも、いい、と私は思う。

 ちゃきちゃきの江戸っ子、下町のしゃっきりした大店の女将。いなせな、というと少しくずれた感じになりそうだが、そうではなくてまったくくずれていない。上品でぴんと背筋が伸びている。だから、タカラヅカの男役みたいな、ということなのだが、それがまったくいい、というふうに思える。

 「こら、また、タカラヅカだ!もう一回!」とダメ出しを口にしたい衝動にも駆られるが、あえてそこを押し通すことで、ひとつのくっきりした存在になっている、と思う。

 秋野暘子は、女鶴太郎にしか見えない。これは、あえて、そんな役回り、ひとつのポジションとして、鶴太郎と対になる、というふうに位置づけられているのだろう。演出として。ほっぺたの赤さは、わざと対に作っているのだろう。道化役である。その意図を、秋野は外していない、と思う。

 鶴太郎は、しばらく、バラエティめいた番組で見ると、一種自ら「森繁」化しているところがあって、いかがなものかというところだったが、今回のドラマでは、相当にぴったりとポジションを掴んでいると思う。次には、大河ドラマで戦国時代の一方の名将など演じる姿を見てみたいなどとも思う。演じたオトボケは一切なしで、くそまじめに。

 ところで、ピエール瀧というひとは、電気グルーブというバンドでは、どういうパートだったのかよく知らないが、相当の存在感とは聞いた気がする。一種謎の存在だと。ステージを見たことがないので、よく分からないのだが、意味不明の、既存のカテゴリーに当てはまらない稀有な存在、みたいな。しかし、役者としては、ぴったりと当てはまった名役者、ということに収まってしまう、というところなのだろう。まあ、以前から「役者」だったのだろう。もちろん、いい役者である。


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