先日知った作品。
現代美術家のマルセル・デュシャンて方がおります。
彼の作品に『秘めた音で』というタイトルの不思議なオブジェがあるですって。
それのお話。
『秘めた音で』は、荷造り用の紐でで出来た玉を、それより少し大きめの真鍮の板2枚で挟み、真鍮板の四隅を4本のボルトナットで連結した状態のもの。
んで、その紐の玉の内部の空洞に“なにかが”入っている。
その作品を振ると音がするんだね。
その音込 . . . 本文を読む
【俺は好きなんだよ】第80回
『ドグマ』(1999)原題の『DOGMA』は、宗教上の教義、教条。独断、独断説の意味。語源はギリシャ語の意見・判断。スタッフ監督:ケヴィン・スミス 製作:スコット・モシャー 製作総指揮:ジョナサン・ゴードン 脚本:ケヴィン・スミス 撮影:ロバート・D・イェーマン プロダクションデザイン:ロバート・ホルツマン 美術:エリス・G・ヴィオラ 編集:スコット . . . 本文を読む
最近、なんだが、妙に期待が抱けて、未来がワクワクしてくることが続くのだ。
ある会社にプレゼンに行ったら、妙にいい感じだし。
あの会社から、前の企画のことを話したいと電話はあるし。
知り合いに預けてあった企画が、ある会社で反応がよいとか、連絡もらうし。
今やってる仕事のシナリオの中身について、皆がガチで取り組んでいるし。
知り合いのプロデューサーから、「今年はいい年にしような」と、言われ、別のプロ . . . 本文を読む
ガスを抜く、とよく言いますわね。
ガスを抜くことで、不満を爆発させないようにするというかね。
エンターテインメントの悪しき面とも言われたりとかね。
あまりいい印象の言葉じゃないけど。
で、そういう意味では社会派の物語は、ガスに火をつける、ともいえないかしら?
そういう役目も、物語にはあるのだ、と思う。
なんか、参議院選挙がらみの報道見てたら、思ってしまったワケですよ。
というか、火をつける物 . . . 本文を読む
隣の地球は青かった
説明:
“隣の芝生は青い”は、同じような条件のモノでも、自分のモノではないのは、より良く見えるという、という意味。
で、それを拡大してみたのが、こちら。
隣の地球はたぶん見つけることもさえ、困難な場所。
でも、それに憧れ、夢見てしまう。
でも、その憧れてしまう人間の不満から生まれる、満たされない欲求による探究心が持つエネルギーは . . . 本文を読む
『東京タワー オカンと僕と時々、オトン』は、小説、2時間ドラマ、1クールの連続ドラマ、舞台、映画になった。
あと、アニメとマンガとゲームになれば、ほぼ全メディア制覇。
同じストーリーなので、それぞれを細かく比較したら、それぞれのメディアの特性が見えるかもなぁ。
最近、二時間ドラマになった『めぞん一刻』は、マンガ、アニメ、ゲーム、映画。
『電車男』は、出版、映画、連続ドラマ、マンガ、スピン・オフ、 . . . 本文を読む
【俺は好きなんだよ】第79回
『モール・ラッツ』(1995)原題も同じ、『MALLRATS』。モールはショッピング・モールのことで、ラットはネズミ。『ショッピング・モールのネズミたち』て、とこでしょうか?ビデオ題には、『モール・ラッツ青春白書!?』と副題が付いてます。スタッフ監督:ケヴィン・スミス製作:ショーン・ダニエル、ジェームズ・ジャックス、スコット・モシャー製作総指揮:カル . . . 本文を読む
てっきり、昨日の更新するのを忘れちまいました。
目下、Wのドラマで助監督中なので、撮影までもうあまり時間がないので、てんやわんやしたいのですが、決定稿がまだなので、暗中模索ながら、介を綺羅なえばならないという暖簾におもいっきりぶちかまし中。
いあやぁ、オールスターキャストのミステリーなので、スケの調整がてぇーへん×高さ÷2なのです。
なもんで、今月、来月頭とちょくちょく更新が滞るかもしれま . . . 本文を読む
家元過ぎれば、熱さ忘れる
説明:
“喉元過ぎれば熱さ忘れる”は、熱いモノも飲んじゃって、胃に入ってしまえば、熱かったことを忘れてしまうことから、苦しいことも過ぎてしまえば、忘れてしまうこと、または、苦しいときに恩を受けたのを楽になったら、忘れてしまう、という意味。
こちらは、家元まで、要するに偉くなってしまうと、若い頃の情熱を忘れてしまう、初心忘れちゃう . . . 本文を読む
【俺は好きなんだよ】第78回
『クラークス』(1994)
原題も『CLERKS』。意味は、事務員だそうだが、バイトってことかしら?隠語がありそう。
スタッフ監督:ケヴィン・スミス 製作:スコット・モシャー / ケヴィン・スミス 脚本:ケヴィン・スミス 撮影:デヴィッド・クライン 音楽:スコット・アングリー
出演ブライアン・オハローラン マリリン・ギリオッティ リサ・スプ . . . 本文を読む
『300』と『アポカリプト』と『ゾディアック』を観て、考えた。
デジタルビデオとフィルムの差は、その作品にあわせた選択になってきているんだな。
ああ、ジェネシスは凄いなぁ、とかいってる内に、すぐに次のが出てくるんだろうなぁ。
『300』なんて、セットじゃない撮影はほんとにわずか数カットとは思えない。
『ゾディアック』の仕上げは、もう監督の脳内再現を可能にしたような加工だったようで、あの影のつけ . . . 本文を読む