作品を見るとき、実績を見ていないか、実りを見ているか、現実と比べ過ぎていないか、をいつも己に問うている。
映画で描かれる人物が、様になっているか、無様かで見方が変わるのではないか。
美学か、なりふりかまわないか、に見出すものの違いなのかも。
体と世界は現実だが、心は虚構かもしれないという不安を拭うため、現実にある外の虚構を見ることで、この内なる虚構と比べて、この心が現実だと確かめているのか。
成長という強迫観念を鎮めるために、物語に代わりに成長を託すことで、バランスを保っているともいえる。
それは、虚構だけでなく、現実の誰か(スポーツ選手の応援や子供、血縁、友達など)に託すことも。
バドミントンは地名。
元のスポーツの名前はインドのプーナ。プーナをイギリスで初めて行われた場所の名前。ちなみに、プーナはインドの地名。
「あぁ」
「いぃ」
「うぅ」
「えぇ」
「おぉ」
の全部肯定しているのに、「うぅ」の受け入れざる得ない感たるや。
歯に衣着せるように、口にマスク。
『フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン』って初期はコメディ的な予告と宣伝だったのに、今はシリアスなサスペンス風になっているのは、本国でこけたからか、日本の反応が鈍かったからかしら?
もちろん、IMDBではコメディとジャンル表記されている。
おいらとしては、似た方向性で、隠れた秀作となっているダンケルク美談偽装映画作りを描く『人生はシネマティック!』的なのを期待しています。
まぁ、同じ題材で、『ムーン・ウォーカーズ』がすでにあるし、『カプリコン・1』の匂いでオールドファンを呼ぼうとしているのかな。