で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2164回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『MEN 同じ顔の男たち』
離婚の傷を癒すべく女が訪れた村は、なぜか同じ顔の男たちしかいないサスペンス・スリラー・ホラー。
主演は、『ワイルド・ローズ』、『ロスト・ドーター』のジェシー・バックリー。
共演は、ロリー・キニア、パーパ・エッシードゥ、ゲイル・ランキン。
監督・脚本は、『エクス・マキナ』、『アナイアレイション -全滅領域-』の鬼才アレックス・ガーランド。
物語。
都会に住むハーパーは離婚のせいで、心に深い傷を負い、癒しを求め、田舎のカントリーハウスを借りて過ごすことにする。
おせっかいだがデリカシーの薄い、いかにも田舎の人の大家ジェフリーに、屋敷を案内してもらう。
ハーパーが人と会わないですむ暮らしの安寧に浸りながら、森を歩いていると、神秘的なトンネルを見つける。
何年も車が通ってないトンネルの寂しさは、ハーパーを癒す。
だが、そのトンネルの先に現れた男が彼女に迫ってくる。
その男から逃げる途中、彼女は素っ裸の男に遭遇する。
なぜか、男たちは、大家とは別人なのに、大家と同じ顔をしていた。
出演。
ジェシー・バックリー (ハーパー)
ロリー・キニア (ジェフリー/大家)
パーパ・エッシードゥ (ジェームズ/夫)
ゲイル・ランキン (ライリー/友人)
サラ・トメイ (警官)
ソノヤ・ミズノ (電話口の警官)
ザック・ロセラ・フリーダ (サミュエル)
スタッフ。
製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ
撮影:ロブ・ハーディ
プロダクションデザイン:マーク・ディグビー
美術監督:クリス・ライトバーン=ジョーンズ
衣装デザイン:リサ・ダンカン
編集:ジェイク・ロバーツ
音楽:ベン・ソーリズブリー、ジェフ・バーロウ
『MEN 同じ顔の男たち』を鑑賞。
現代イギリス、離婚で傷を負った女が癒しに訪れた村に同じ顔の男しかいないサスペンス・ホラー・ドラマ。
タイトルにもある通り、男性性をホラーにした内容。
「同じ顔の男たち」というフックは原題『MEN』にはないので、ある意味、それは答えであり、重要な要素。そして、映画的な明快な答えがある。そして、ホラー映作劇ではあるが、邦題で書いちゃうってことは、今作が描き出そうとしているのは、その先だってことです。このメッセージこそ、取り出せるとグッとくる力強い現実へと続く枝だったりする。
監督・脚本は、『エクス・マキナ』、『アナイアレイション -全滅領域-』の鬼才アレックス・ガーランド。
定番ジャンルを種として飲み込んで、新たな視点を持ち込んで、自分の花として咲かす。まぁ、生った実は好みが分かれるけど、クセになる味でもある。
『ワイルド・ローズ』、『ロスト・ドーター』のジェシー・バックリーの目で見る。ロリー・キニアの存在感と造形と変幻が肝。パーパ・エッシードゥが記憶に残すことで、それはさらに膨張する。キャストの献身に頭が下がる。
素晴らしい美術チームの仕事とそれを妖しくとらえた撮影で、画で見せるホラーになっている。ボディスーツやアレとか、ほんと画の力が強い。
それを一歩の幹が通すことで、ホラー映画の新しい空を目指す。再生産かのように、同じように見えて、ホラー映画というジャンルは繰り返しながら拡張して変容していく。ホラー映画ファンにこそという根の伸ばし方はまさにA24ならではだし、アレックス・ガーランドが脚本作『28日後…』と『28か週後…』などでやってきたことだったりする。
劇中出てくる顔のレリーフは、グリーンマンというイギリスの妖精のようなものだそうですよ。
今作も、引用が多いんですが、『ウィッカーマン』や『マルコヴィッチの穴』がまずは浮かぶと思う。知ってる人なら『極道恐怖劇場 午頭』も。実は、アレックス・ガーランドはインタビューで発想元はアニメ『進撃の巨人』からと発言していたり。デ、おいらは、これのアイディアって、『ジョジョ』からなんじゃないかと妄想してます。第2部のあるシーンにそっくりな画もあったり。分かる方はスタンド攻撃だと思って今作を見るとかなり面白いんじゃないかな。というか、荒木飛呂彦の短編集の実写化みたいな雰囲気なので、そういうシンクロニシティを楽しめたり。
予告編で、「このラストはトラウマになる」と言ったのも頷ける、かなり衝撃的なのですが、そこをさらに前に押し進めてくるのがアレックス・ガーランドなんです。その先の地平にあれを用意してくれるんだもの。
そう見ると、タイトル『MEN』にはもう一つの謎が隠れている気がしてくる。
こういう御伽噺感もホラーのいいところなんですよ。
たぶん主人公の名前HERPER(ハーパー)もしかけじゃないかな。だってHER(彼女)が入ってるしね。
これも、性別でジャンルが変わる映画かな。
読み取るのが難しいという意見もあるようですが、反芻と点対象という言葉を念頭に置くと読み取りやすいのではないかしら。
そうそう、アダムの肋骨からイブが生まれたってエピソードもね。
MENが面倒だけど、ある面を見ることで見えてくる世界に面食らう。
こんな風に感じさせてるとしたら、どこか申し訳ない気持ちになってしまうし、これを男性がつくることは許してもらいたかったり。
これぞ、最悪の癒しムービーな種作。
おまけ。
原題は、『MEN』。
『男たち』。
2022年の作品。
製作国:イギリス
上映時間:100分
映倫:R15+
配給:ハピネットファントム・スタジオ
ネタバレ。
影響元は、『ウィッカーマン』、『マルコヴィッチの穴』、『極道恐怖大劇場 牛頭』、『ミミック』、『エクソシスト』、『悪魔の赤ちゃん』、『レッドライト』ってとこかしら。
性的な表現を植物的なものに置き換えている。タンポポの種とか感z念スペルマだものね。
ヴァギナも植物の蕾的に描かれる。
結婚していると死んだ状態になる妻と離婚したら死んだ状態になる夫のように、反転した関係が紡がれる。
いうなれば、実際に存在する鏡像であり、それは鏡を通さないで反転している自分と言える。
アレックス・ガーランドは、反転した自分、拡張していく自分、変容していく自分、をテーマに選ぶことが多い。(そこには、ヨーロッパが好きなドッペルゲンガーが影響しているのかも)
それは、ゾンビのレイジウィルス感染者の『28日後…』、拡張できる理想の女性の『エキス・マキナ』などが顕著。
それは、合わせ鏡による像の反復であり、すなわち、そのどこまでが自分なのかを突きつけてくる。
今回もそのテーマが明確で、トンネルのシーンで天然のループミュージックが合わせ鏡になっており、そこで、まさに自分の名「ハーパー」が反復し、小さく拡張していく。(ハーパー/Harperという名前もハーとパー、HERとPERで繰り返しと変容をしめす。herは彼女でもある)
ハーパーがトンネルでこだまさせるメロディもほんの少しずつ変えて、どこまでが元のままかを示す。
この拡張と変容の鏡像の関係は、都会(人工物が林立)と田舎(緑が繁殖)、白人と黒人、同じ顔の男たち、人とグリーンマンは動物と植物といくつも配置されている。
男たちが、同じ顔なのは、ハーパーの主観であろう。男性は少年であろうとも同じ物だと夫からの呪いで、そうとしか感じられなくなった彼女の男性への恐怖と偏見がもたらせた知覚だろう思われる。
そう、この鏡像の最大の関係が、女と男。
女性(実際は男性も)が男性に抱く恐怖の象徴のような攻撃があるのだが、実際には直接的な攻撃はなく(ガラスを割るのは鳥)、ただ追ってくるだけか、ただいるだけ。でも、それでも怖い。
それらはハーパーによる、夫が死んだのは自分のせい、という罪悪感や自責の念の鏡とも言える。(牧師にも言われるし)
相手の罪悪感で攻撃してくる『ジョジョ』第4部に登場する小林玉美のスタンドのザ・ロックと同じで、それにより自殺したくなるのも似ている。
体から出てくる男は、第2部の吸血鬼の描写に重なる。
そう考えると、グリーンマンもスタンドっぽい。
しかも、2000年に『THE GREENMAN』というアルバム(同名曲も収録)をイギリスのミュージシャンのロイ・ハーパーが出している。ハーパーってこっからとったのかも。
https://www.youtube.com/watch?v=fx93anilVDQ
このアルバムに収録の『The Monster』が今作のイメージに合う。
https://www.youtube.com/watch?v=y7ipVDc5qUQ
合わせ鏡のうつって増えていく自分の像は怖いし、ホラーの定番だったりする。
その自責の念や恐怖で育つ妖精グリーンマンがかぎつけたんじゃないかな。
それさえ、あのレリーフのグリーンマン(イギリスの怪物だそう)を見たことによるハーパーの妄想かもしれないけど。
でも、どうやら彼は生みの親を求めてくるだけの子供であり、植物なので、ただそこにいるだけだとも言える。
これ、きっと『イット・フォローズ』の引用よね。
スマホのビデオ電話する友達ライリーがヒント。
手のひらの鏡みたいなもの(スマホ)の中に映るのは他人だ。
ライリーは妊娠しており、それは鏡像反転で、ジェームズ(男)の子供を孕んでいたかもしれない恐怖をハーパーに浮かばせもする。
(はたして、ハーパーはジェームズの子を孕んでいるのか、ここは議論しがいのあるところ。おいらはセックスレスだったんじゃないかなと考える。ジェームズは子供を欲しがったが、ハーパーは嫌がったのではないか)
林檎を食べるのは、聖書のアダムとイブの挿話からだろう。
男アダムの肋骨から生まれた女イブ。
林檎を食べ、そのイメージを大家から改めて植えつけられるハーパーは、男が女を下に見る意識、女性から生まれたのに男性が女性を生んだという神話をつくり、その教えを広める教会が都会を離れても自分を見下ろしている。
世界が男性による女性への抑圧で出来ているとハーパーは恐怖を感じる。
それは、ラストの出産マトリョーシカの連想へと繋がる。
グリーンマンはハーパーの妄想を体現するのだろう。
つまり、ハーパーは、最後に出てきたものにより、これは自分が生み出したもの、御なんである私が生み出したものだと気づく。
(死者は蘇らないという女性的な冷静な現実的観点からとも言える)
そして、ハーパーを苦しめているのは彼ら(男たち)ではなく、夫、夫が残した、こちらへの勝手な押し付け。
つまり、私が私を苦しめているのだとハーパーは悟る。
そして、それを克服したのは、男には産めないでしょ、と気づいたのかもしれない。
そして、大家のジェフリーは、ハーパーを助けようとしてくれた、いかにも田舎の人というイメージの押し付けをハーパー自身も行っていたと気づいたのではないか。
(同じ顔なので、混乱するが、出てくる現実の男たち、牧師、少年、村の人は本来は違う顔をしているはず)
車をぶつけたのもハーパーであり、あの屋敷で起きた出来事は鳥が飛び込んできたことぐらいなもので、すべてグリーンマンのしわざと見てよいと思う。
そして、ハーパーが自分の心に気づいたことで、グリーンマンは消えた。
それは、ずっと向き合って対峙していた夫とハーパーは最後、同じソファに同じ向きで座ることで見せる。それは、ある種の邂逅。以前は愛していた人であり、それはもう自分の一部なのだと。(ジェームズというイメージを孕んだとも言える)
ハーパーの妄想の具現化だと気づくのは、時折挿し込まれる、追われていないハーパーの姿(車に乗り込む前など)で、グリーンマンは頭の中に存在している怪物なのではなかろうか。
いうなれば、強力な頭の中の病気(妄想症)みたいなものだろうと思われる。
そういえば、植物系ゾンビは、『ディストピア パンドラの少女』でやってましたね。(手前味噌ですが自作『ライフ・イズ・デッド』のゾンビも植物系だったりします)
アガメムノンなどの単語も出てくるので、ギリシャ神話もいれているのかもね。
鹿の角なんかも男性性のイメージなのかな。
タンポポの種が集まった玉は卵子かしらね。
グリーンマンは荒療治しに来たかも。
癒しどころか治療。
だからこそ、グリーンマンはレリーフになる妖精なのかもしれない。
『グリーンナイト』に出てくるグリーンナイトと同じ種族なのかしらね。
【MEN】を反転すれば【NEW】となる。
彼女が新しくなるための通過儀礼のような悪夢だったと言える。
都会から持ってきた車も壊れる。
夫を殺したという自責の念は結局、自分のものであり、夫は自分のせいではなく勝手に死んだのだ。
ああすばよかった、こうすれば? 後悔が後悔を呼び、公開を生み出す。自分が自分の罪を生み出し罰を与える。
相手がしたことは自分が起こしたことではない。
それって、女性の性暴力被害者にかけられる、相手を刺激することを行っていたから被害者にも責任があるかのような非難と同じだ。
だが、大人なら、それはそれぞれの個人の問題、自分で処理できなきゃいけないことなのだ。
公開や自責、罪悪感、その自己増殖は意味がない。
だから、ハーパーはその自己増殖を冷めた目で見るようになり、呆れ、冷めて、朝日の中で、拡張をやめ、自分を取りもどすのだ。
鏡から飛び出してきた友達は他人で、彼女の責任でここに来たのだ。あなたのせいで巻き込んだわけではない。
さぁ、新しい朝が来た。
日が昇るのも、自分のせいじゃあない。あいつが勝手に昇ったのさ。
それは、アレックス・ガーランドがつくる作品は、反転したA・ガーランド、拡張したA・ガーランド、変容していくA・ガーランド、であるとも取れる。