菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

靴磨きの女房は、寝る前に旦那の靴を磨く。  『ル・アーヴルの靴みがき』

2012年05月09日 00時00分29秒 | 映画(公開映画)
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第297回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『ル・アーヴルの靴磨き』







アキ・カウリスマキ、久々の新作。

フランスの湊町ル・アーヴルを舞台にしたおとぎ話。

難民問題を扱うために、イギリスを望めるフランスの港町を舞台にしてはいるが、世界中のあらゆるで起こりそうな普遍性さえ感じさせる。
いや、この奇跡を描いた物語は、どこにでもありそうでない物語なんだ。
そんなおとぎ話を役者と現在、現実の題材を具材に実現させるため、魔法使いの腕前がどれだけ必要か。

そこには、針打ちた表情があり、日常にこらえていることがその顔を見ていうだけで伝わってくる。
伝えるために出すことはなく、ただ滲み出てくる。

微妙に字幕に?が浮かぶことがあるが、映像から滲み出ているものを受け取るとじんわり見えてくるものがある。
それは応報ではなかろうか。
仕事をしてくれたら、それに見合う金を払う。
愛情には愛情を。
困難には施しを。
ただ哀れむのではなく、行動にして返すこと。
涙を流す人にハンカチを差し出すくらいのそれでいい。

オープニングで全てを表す。
靴磨きの最中、刺客の存在に気づいた男は、足早にその場を去る前に金を払う。
命の危険を抱えていても、相手の仕事に敬意を払う。
義理でも人情でもない。
応報すること。

袖すり合うも多生の縁だもの。

ある意味では、これは『ダークナイト』とも通じる物語。
心は見えないから、行動で示せ。
涙を流しあってもしょうがないのだ。
あなたが止まるなら、わたしは走ろう。




撮影は、カウリスマキ兄弟の目であるティモ・サルミネン。
プログラムの場面写真を見ればわかるが、そこにあるのは、一幅の動く絵画。
色彩と人間の想いがフィルムのコマ1コマに刻まれているのがわかる。
美術はヴァウター・ズーンの手によるもの。
ノーマン・ロックウェルやエドワード・ホッパーのような切り取られた日々の一瞬の内に温かさや冷たさ。
冷えた体の帰宅に重いコートを脱いでいると、背中に皿を置く音、振り返るとそこにはスープ。だが、中には具もない。けれど、湯気がそれを隠す。



今日の憂さを晴らす一杯のウィスキー、一服の煙草、一幅の絵画、一福の映画。
それに価するようにとつくった職人の意気を感じさせる味。

フィルムと映画館の闇は、こういう作品の味を何倍にも膨らませる。



港町の、いい顔、いい時間、いい空間を、いい雰囲気に揺さぶられる堂々たるおとぎ話。










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