で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2147回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『ザ・メニュー』
至高のシェフによる究極のディナーを求めてきたセレブたちに衝撃のフルコースが提供されるブラックコメディ・サスペンス・スリラー。
出演は、レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト。
監督は、 『運命の元カレ』、『アリ・G』のマーク・マイロッド。
物語。
マーゴとタイラーが今夜向かうのは、一人約100万円のディナーを提供する孤島のレストラン。
そこは、最高のシェフのスローヴィクが仕切る超高級レストラン“ホーソン”。
有名な辛口グルメ評論家と編集者、顔の知れた映画スターと恋人のマネージャー、大富豪夫妻、レストラン経営者たち……一晩12名の選び抜かれたセレブだけが味わうことが許される今晩だけの究極のフルコースが振舞われようとしていた。
脚本:セス・リース、ウィル・トレイシー
出演。
アニャ・テイラー=ジョイ (マーゴ・ミルズ)
ニコラス・ホルト (タイラー・レッドフォード)
レイフ・ファインズ (ジュリアン・スローヴィク/シェフ)
ホン・チャウ (エルサ/給仕長)
アダム・アールダークス (ジェレミー/スーシェフ)
クリスティーナ・ブルカト (キャスリーン/スーシェフ)
ジャネット・マクティア (リリアン/グルメ評論家)
ポール・アデルステイン (テッド/編集者)
リード・バーニー (リチャード/大富豪)
ジュディス・ライト (アン/富豪妻)
ジョン・レグイザモ (映画俳優)
エイミー・カレロ (フェリシティ/マネージャー)
ロブ・ヤン (ブライス)
アルトゥロ・カストロ (ソーレン)
マーク・St・サイア (デイブ)
レベッカ・クーン (リンダ/母)
スタッフ。
製作:アダム・マッケイ、ベッツィ・コック、ウィル・フェレル
製作総指揮:マイケル・スレッド、セス・リース、ウィル・トレイシー
撮影:ピーター・デミング
プロダクションデザイン:イーサン・トーマン
衣装デザイン:エイミー・ウェストコット
編集:クリストファー・テレフセン
音楽:コリン・ステットソン
『ザ・メニュー』を鑑賞。
現代アメリカ、セレブたちに至高シェフの究極メニューが提供されるブラックコメディ・スリラー・ホラー・サスペンス。
なんとなくわかる転がり方を、煮詰めたソースの絶妙さで全く違う味にして頬を落とす。この深い味わい。
不穏さで包み、ブラックコメディとサスペンスをぎりぎりの線で綱渡りし続ける。
監督は、 『運命の元カレ』や『アリ・G』、TVシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の監督など、テレビでの活躍が目覚ましいマーク・マイロッドで、10年間TVシリーズで磨かれた腕は熟成している。
脚本は、セス・リース、ウィル・トレイシーで、あるレストランでの実体験からの発想だそう。格差だけでなく、権力構造に対しても包丁を入れている。製作総指揮には、当代一ブラックコメディを輝かせる作家アダム・マッケイが名を連ねているのも効いたんだろうね。ウィル・フェレルも名を連ねていて、今作が痛烈なコメディであることが伝わる。
料理は命って、まさに最高のコメディの材料じゃないか。
配役も見事。レイフ・ファインズがその狂気と弱さとまさかの展開を記号に落さずに体現し天晴。ニコラス・ホルトもまた違う狂信と純粋さなどいくつもの顔を見せる。なんといっても、アニャ・テイラー=ジョイの凄みがここにも。同時期には『アムステルダム』での上流ぶりと対になる庶民を演じ上げ、その壊れているがゆえに真っ当な人物をつくり上げている。彼女はジャンル映画を引き上げる女神。
そう、これは、ジャンル映画の逆襲とも言える。『ゲット・アウト』、『ブラックパンサー』、『ルック・アップ』、本作もまた、ドラマや社会派や実話ものより、やや下に見られがちだったジャンル映画(ホラー、スーパーヒーローもの、SF、スリラー、コメディなど)を引き上げる。他の作品同様、今作もアカデミー賞に食い込む可能性がある。
でも、いうなれば、ジャンル映画はパンなのよ。主食なのよ。主食づくりあってこそのおかずなのよ。
撮影は『マルホランド・ドライブ』や『キャビン』などのピーター・デミングで、料理の美しさもさることながら、その不穏さと短い説明カットの的確さが素晴らしい。
美術がこの映画の見どころで料理もレストランの造形もお見事。『ルーム』や『フリー・ガイ』のイーサン・トーマンのチームの仕事に舌鼓を打つ。
脚本構造には見やすくさせるある関係が出てきます。まんまの人物とセリフも出てくるので、その関係がモチーフになっている。それ自体がアメリカ映画を皮肉っているとも言える。
映画館に入ったら、なかなか出ることは出来ないよね。特に日本人は。その点では、このレストランは孤島だ。そこには支配の仕組みがある。
これは、料理映画か映画料理か、の樽作。
おまけ。
原題は、『THE MENU』。
『品目』、『献立表』、『お題目』。
2022年の作品。
製作国:アメリカ
上映時間:107分
映倫:R15+
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
撮影のピータ・デミングは、『ロスト・ハイウェイ』『ツインピークス』などでのデヴィッド・リンチとの仕事や『死霊のはらわたII』、『スペル』などでのサム・ライミとの仕事でも知られているが、それ以外に『オースティン・パワーズ』、『いちこのビニー』、『ハッカビーズ』などのコメディでも手腕を発揮している。
原案もしている脚本家のセス・リース、ウィル・トレイシーはTVコメディの人。
今作の笑いはモンティ・パイソンとかのイギリスっぽい笑いといえる。
ネタバレ。
映画と映画関連のメタファーに溢れている。
手を大きく叩くのは、映画撮影のスターtの合図であるカチンコ(スレート)のメタファーかもしれない。
あの部分によって、ホラーとなってもいる。
料理名が、映画におけるタイトルのややこしさを揶揄してるのかも。
最初は娯楽作品で出てきたのに、どんどんややこしく難解になっていく巨匠とかね。その難解さが娯楽になってる場合もあるんだけどね。
スローヴィクも評論家に育てられたわけだし。
タイラーは知ったかぶりのネタバレ野郎だとも言える。
アート作品も娯楽ジャンル映画もやってるピーター・デミングという起用も狙いかも。
あの大きな窓もスクリーンよね。
メインポスターも凝っていて、客に目線を向けているのは、奉仕者側の人物で、見ていない人々はこちら観ていないし、その人物が、誰を見ているかが、示されている。
あのレストランの状況は、新興宗教と同じで、洗脳されるよね。
(地齋に、山奥にあるレストランや世界一のレストランと言われるエルブジは半年営業して、残りは研究で料理研究となるなど、こういうレストランはけっこうあります)
まさに最悪の権力構造。
カルト(=カルト)映画なんて言い方もあるし。
映画は中毒者(シネマディクトという呼び名もある)を生むしね。
客は満足を知らぬ者たちと自己判断がない者たちが殺される(映画は攻撃する)。
それはジュリアン・スローヴィクもそう。セクハラとパワハラをするようになったことをスローヴィクは自分で許せなかったのだろう。
傲慢な評論家、素人評論、つくり手、それをありがたがる信者すべてを攻撃している。
子供時代のスローヴィクを無視した親もまた同様の立場で自己判断を失い、親に等しい立場でもあるシェフ(スローヴィク)も同じになったことを示す。
自分を有名にしたグルメ評論家もスローヴィクを見出したというので、親と同じ立場になる。それを支える編集者もまたお追従するだけの夫のようなもの。
客は、全て、疑似家族に名ているとも言える。
オーナーは親。
オナ―の部下は兄弟。
タイラーは子。
新興宗教の教祖への狂信も攻撃する。
最初のスーシェフは自分の道を探せず、師匠(教祖)に追随することだけを願い、そうなれないことに絶望する。絶望させたのもまたスローヴィク。
自分は出来ないくせに、聞きかじった知識で、邪魔をする敬意の無さも攻撃。
あれで、タイラーがある程度普通の料理がつくれたらどうだったのか。
そして、彼は神の如きスローヴィクの料理のために自分だけでなく付き合っている相手も殺す気だった。
映画スターは、スローヴィクの傲慢さの現れ。
自分もまた評論していた。
彼の駄作もまた楽しんでいる人がいるのだ。それはジャンクフードのように。
奉仕者だといいつつ、自分も別のものでは傲慢であることに気づく。
映画における殺し方や殺され方は、料理や素材処理に似ている、という逆の発想もあったのかも。
なにより、映画における定番の殺し方を採用している。
・スーシェフは牛を殺す頭部射殺(ただし弾丸ではなく空気銃で殺す)。
・オーナーは水につける。
・大富豪の指はカットでまだ殺してない。
・エルサは偶然だが、活〆血抜き。
・タイラーは肉の保存と同じ吊り。(耳打ちして、セリフ聞かせないのは最近の映画でよく使う手)
・最後は焼いて、アメリカ映画的に爆発。
この定番の殺し方の採用は、もしかすると、この究極のフルコースはスローヴィクが何をつくっていいか分からなくなったことへの絶望の味なのではなかろうか。
だからこそ、スーシェフの料理を採用している。
それは、逆説的に親になろうとしたともいえる。(採用したが、それで終わりになる)
パンが有名なのにパンを出さないのが、この映画の肝。
あと、肉や魚をタンパク質というのも。
それは、ジャンル映画か。
今作はジャンルで映画であることを放棄しない。
コンテンツがあふれ、配信で映画館が危機になりかけている映画そのものへの提言でもある。
こういうときは、ジャンル映画こそ花なのだ。
アメリカンニューシネマから、次に映画に花を与えたのは、ルーカスやスピルバーグらのジャンル映画だった。
今度は新しいジャンル映画の道が始まっているのだ。
チーズバーガーの注文で、スローヴィクがかつて、自分も満ち足りていた若い頃、ハンバーガー店での調理人の頃を思い出す。
取り戻すが、フルコースを途中で終わらせることは出来ない。
そこにあるのは、奉仕者と客の関係。
マーゴは、それをまだ食べたいと持ち帰ることで、食べ終わってもらいたいスローヴィクは送り出す。
チーズバーガーはアメリカ人の庶民の食べ物なのね。トニー・スターク(=大富豪でありアイアンマン)の好物もチーズバーガー。
大富豪は、食も色も満足できない。
しかも、マーゴの親(親のふりをしたシチュエーションでのセックス)ともなる。
ここにも親子関係を入れている。
親子関係ばかりを題材にするアメリカ映画界もちょっと皮肉っているのかも。
マーゴはヒロインとして、スローヴィクと同じ立場になる。
エルサを殺し、演出を共有(無線で警察を呼ぶ)。
研究用のキッチンは、スローヴィクとの同列になったことも示そうとしたのではないか。
そして、スローヴィクの過去を知り、彼を注文(ザ・メニュー)によって奉仕者に戻す。
映画スターは奉仕者を放棄したといえる。
マナージャーは、彼を捨て、映画会社の開発部門へ行くので、奉仕者となるが、その部門はあまたの脚本家を審査する立場でもある。
ジョン・レグイザモが演じた映画スターは、スティーブン・セガールをモデルにしたそう。
敵がコックなので、『沈黙の戦艦』の戦う料理人ケイシー・ライバックつながりかもしれぬ。
ニコラス・ホルトは、『マッドマックス4』でもウォーボーイズという狂信者を演じていた。
彼が追ったフェリオサの若い頃をアニャ・テイラー=ジョイが演じるという縁もあったり。
スローヴィクにとっては、満腹になる人なら問題ない。
しかも、同じ奉仕者。
ただ実際は満腹ではなく逃げるためのテイクアウト。
だから、最後、島を爆発を観ながら安堵の晩餐をとる。
_____________________________
追記。
劇場によるだろうが、けっこう笑い声が起きている。(少なくともおいらがい合った劇場では起きていた。本国の評価でも笑えるというものがけっこうある)
ブラックコメディはクセがあるので、笑えない人もいるだろう。
ある意味で、コメディはコメディで、スリラーはスリラーでは、牡蠣はそのままで食べた方がうまいと通じることかもしれない。
タイラーは、このディナーの後で、そもそも自殺する気だったのかもしれない。
元の相手と心中するつもりだったとか。
だが、タイラーの料理はまかない扱いになる。
スーシェフは、セクハラされて、思いや行為は拒否は出来ても、あそこから離れることが出来なかった。
タイラーのことも併せて、スローヴィクの料理には通じる人にはそういう力があるということで、それをタイラー自身が命を扱うのが料理人という言葉で説明している。
これ、儀式ものであり、変形デスゲームものなのよね。
基本逃げられないタイプの。
スローヴィクはチーズバーガーで料理という神に出会い、自らが神になった。
最後、ご本尊であるチーズバーガーと再会する、それは注文する客=神に出会い直したからこその笑顔。
宗教的な救い。
今作は、例え話なのだ。