で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1113回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『怪物はささやく』
47歳でこの世を去ったシヴォーン・ダウドが遺したアイディアをパトリック・ネスが引き継ぎ完成させた同名ベストセラー児童文学を、『永遠のこどもたち』、『インポッシブル』のJ・A・バヨナ監督が映画化した喪失と再生のダーク・ファンタジー。
主演はイギリスの新星ルイス・マクドゥーガル。
物語。
教会の墓地が見える家で母親と2人暮らしの13歳の少年コナー。
母親は癌のために治療中。
訪ねてくる、しつけに厳しい祖母とはソリが合わない。
学校でも孤立して、毎夜悪夢にうなされる日々を送っていた。
そんなある日、不気味な大木の怪物が現われ、“お前に3つの物語を話す。4つめはお前がお前の真実の物語を話せ”とコナーに告げる。
原作は、パトリック・ネス 『怪物はささやく』(あすなろ書房刊)
原作原案は、シヴォーン・ダウド。
脚本は、パトリック・ネス。
出演。
ルイス・マクドゥーガルが、コナー。
シガーニー・ウィーヴァーが、祖母。
フェリシティ・ジョーンズが、母親。
トビー・ケベルが、父親。
ジェニファー・リムが、ミス・クワン。
ジェラルディン・チャップリンが、校長。
J・A・バヨナの前作『インポッシブル』でも謎の老婆役で出演してましたね。
作家の心の声を伝えてくれる役割を担っているのでしょう。
リーアム・ニーソンが、怪物(声と動き)。
モーションキャプチャーを担当し、実際に現場でも芝居もしている。
スタッフ。
製作は、ベレン・アティエンサ。
製作総指揮: パトリック・ネス、ジェフ・スコール、ビル・ポーラッド、ジョナサン・キング、ミッチ・ホーウィッツ、パトリック・ワックスバーガー、エンリケ・ロペス・ラビニュ、ジスラン・バロワ、アルバロ・アウグスティン。
撮影は、オスカル・ファウラ。
プロダクションデザインは、エウヘニオ・カバイェーロ。
編集は、ベルナ・ビラプラーナ、ジャウマ・マルティ。
音楽は、フェルナンド・ベラスケス。
癌治療中の母と暮らすいじめられっ子の息子が怪物を生んだ秘密を解くダーク・ファンタジー。
児童小説をJ・A・バヨナが映画化。
一人の少年の胸中ホラーとして絞り込んだ構造に絵本のような画面でウロを覗かせる。
劇中寓話の質に唸る。
フェリシティ・ジョーンズ、シガニー・ウェーバー、ジェラルディン・チャップリンらの女優陣が、新鋭ルイス・マクドゥーガルを包み込む。
トビー・ケベルもさりげなくいいとこ持ってく。
矛盾の盾と矛で怪物に挑む。
人の秘めたる襞を紐解く皹作。
おまけ。
原題は、『A MONSTER CALLS』。
直訳だと『怪物は呼びかける』。
怪物はささやくの「ささやく」は「そそのかす」の意味。
原作小説の邦題でもある。
小説なら音がないから囁くを想像できたんだろうけど。
もしかして、リーアム・ニーソンは囁いていたのかしら。
雰囲気はあります。
上映時間は、109分。
製作国は、アメリカ/スペイン。
映倫は、G。
キャッチコピーは、「その怪物が喰らうのは、少年の真実――。」
日本の洋画宣伝にありがちな浪漫過多かな。
もっと子供が見たくなるようなコピーにしなきゃ。
大人が来なきゃ商売にならないと言うならば、そこをうまく加味してほしい。
「12時を過ぎた、今日も怪物が僕の胸をえぐりに現れる」とかどうかしら。
胸中ホラーは、『ペーパーハウス』、『ババドッグ』、『コララインと魔法ボタン』、『パンズ・ラビリンス』(今作とスタッフ一部同じ)などがありますね。あと、ある有名作品はそれがネタバレなので名前を出せない。
『エルム街の悪夢』も傾向としては近い。
ファンタジーの要素が強くなるのも特徴。
妄想っぽくなるからかね。
そもそも、ホラーがどこか心理学的なところが強いからかも。
これがサスペンスになると脳内という方向性が強くなる。
『インセプション』『ザ・セル』、『エンジェル・ウォーズ』、『記憶探偵と鍵のかかった少女』とかね。
実は、今年公開の日本のアニメ映画と同じオチだけど、今作の見せ方はさりげないので胸に来ます。あと、こちらの原作小説は2011年刊行で世界中でベストセラーですが。
原作はもともと、英国の女性作家シヴォーン・ダウドが、遺稿の草稿を元に、米国の男性作家パトリック・ネスが書き上げた児童小説。
トム・ホランドもいくつかのシーンで、怪物役をやっているそう。
走ったりするシーンかいね?
ネタバレ。
人間の闇を肯定してくれるのが、ファンタジーの良さでもある。
母親の死を願ってしまったことの苦しみは怪物のせいだといいたくなるほどのものだ。
でも、人の心はそういうところがあるのだ。
清廉潔癖、道徳的に正しくだけ生きれるものなど一握り。
「おじいちゃんに会わせてあげる」と映画『キングコング』を見せるのは、その人が好んだ物語にはその人が宿るというこの映画のエンディングの後を想像させる。
母が話してくれた物語、怪物の物語は母親が宿るのだ。
物語の伏線(木の怪物が話す物語は母にとっての『キングコング』。つまり木の怪物=キングコング=母)でもある。
キングコングは知らぬ場所に連れてこられ、いじめられ、死ぬことで世界中から愛された。コナーと母の出来事と重ねられている。
ちなみに父役のトビー・ケベルは、『キング・コング:髑髏島の巨神』 のコングのモーションキャプチャーをやっていたりする。
ちなみのちなみで、校長役のジェラルディン・チャップリンはチャールズ・チャップリンの娘で、『キングコング』(1933)の同じ頃は『街の灯』を作ったあとで、まさに黄金期。
まさに、怪物王と喜劇の怪物。
そう、怪物は今もささやいているのだ。
あと、当時は、サイレント映画だしね。
『星の王子さま』と構造が相似している。
母親の病気は飛行士の不時着で、怪物は王子。
いわば、『木の怪物さま』。
原作では、ラストのスケッチブックは出てこないのだとか。
物語の中で、母の物語であることが分かっていく。