トニー・レオンのデビューの話。
トニー・レオンは貧しい幼少期を過ごし、8才から働いていたのだが、俳優に憧れていた同い年の友人の練習によくつきあっていた。18歳の時、友人がTV局の俳優養成所のオーディションを受けることになり、「怖いから付き添いで来てくれ」と頼まれて、行ったところ、一緒にオーディションを受けることになる。そして、トニー・レオンが合格し、友人は不合格になってしまった。その友人がチャウ . . . 本文を読む
今公開中の『HAPPYEND』(監督:空音央/撮影:ピオトル・ニエミイスキ)を見て、海外出身の撮影監督(またはシネマトグラファー)が撮った日本の映像は日本なのにどこか日本ではない感じを受けませんか。(西洋人でしたが台湾映画のような画面でした)他に、そういう作品はありませんか?
海外出身の撮影監督(またはシネマトグラファー)が撮った日本の映像と日本の撮影監督が撮った日本の映像を比べて見ると映画に . . . 本文を読む
<伏線回収>という言葉があるが、これは少々厄介な言葉だ。理由を説明する。そもそも<伏線>の意味は、「物語の解決方法を事前にほのめかしておくこと」であり、観客の共有感や納得感や感心を高めるためにする作劇法。なので、伏線は回収してこそ伏線となる。すなわち、これは、物語を観ながら観客側に、「これは伏線だと予測させ留めおかせておくこと」ことで、それが回収されたことにより、伏線だと確定する。なので、伏線だと . . . 本文を読む
映画にある音楽との融合演出のいくつかの内、物語から切り離されるものがある。
そのうちの二つ。最後だけ出てくるダンスエンド。(劇中で流れに沿わず、突然踊るものもある)語り部として歌う者や合唱隊が現れる。演劇から残ったものとは思われるので、物語語りの歴史からの継承ではあるのだろうけど。
実はもう一つあるが、これはなじませ方次第だったりもする。それはMV的なシーン(映画からMVが生まれたのだが)。こ . . . 本文を読む
アメリカ映画で、砂糖を食べてハイになるいわゆる<シュガーハイ>の状態が描かれるが、科学的には糖分過多と興奮の間の関連性は認められていない。これはアメリカの迷信が映画的に残ったものと思われる。
砂糖をカフェインに変えたものも描かれるが、実際にカフェインには覚醒(興奮)作用があるので、興奮しやすいのは確か。ところが、日本ではこのカフェインで興奮するという描写がほぼない。これ、実は、東アジア人はカフェ . . . 本文を読む
それぞれのメディア(映画、演劇、漫画、小説など)独自、<ならではの物語の語り>があり、その独自の語り方から物語が紡がれてもいる。たとえば、映画好きは<映画ならでは語り>を楽しんでいたりする。この<ならでは語り>のつかまえ方が甘いと別メディアでの語り直しにおいて、ズレが起きる。物語におけるどのメディアでも通じる部分が抽出されるが、それが<ならでは語り>でによってズレていく。このズレは漫画原作での実写 . . . 本文を読む
物語を動かすのは対立。作劇での成立のさせ方について。明確な二つの相反する思想を置く。そのそれぞれを具象的なものに置き換える。その具象化されたそれぞれを融合させるアクションを起こす。 . . . 本文を読む
映画の面白さには、怖さが含まれる、なんて言われたりする。
こいといえば、ホラーだ。
ホラーの目的は<見る人を怖がらせる>というのはあるけども、基本は<恐怖を目に見えるようにすること>、概念を映像化することでもある。そして、それは<見えてしまえば怖くない。恐怖を怖くないようにすること>でもあるんです。だって、映画なので。だから、ある種のドキュメンタリーの方がそこらのホラーより怖い。それは実際に見 . . . 本文を読む
映画好きでけっこう見ている人でも、いまだに予告編だけを信じるのはなんでなんだろう?
日本人は、見出しを中身が一致すると思い込みがちという性質があるのかもしれない。映画の内容が予告編から想像されるものと違うということをよく聞くが、そういう予告編のつくり方もあるという種類の問題なのではないか。予告編から想像できる内容を期待して観に行くなら、観に行きたい内容の予告編にして、中身が違うという宣伝はありえ . . . 本文を読む
恋は難しいの意味が、成就ではなく、すること自体が難しい時代になってしまった。だが、それは人類間の話で、人類じゃない相手とはあい変わらずなような気もする。または偶像や社会的人格とか。子をつくる=遺伝子を残す、だったのが情報遺伝子(ミーム)を残す、と同義化しつつあるのかもしれぬ。よきものは我の中ではなく我の外を選ぶことにあるという感じで。そうなると恋愛っていいよ、って、伝えてるドラマがいいよ、と伝えて . . . 本文を読む
MCUがヒーローものに与えた革新は組織や集団について描いたことにあった。スーパーヒーローのチームを描いたものや小規模の組織を描いたものは今までもあったが、例えば日本のヒーローものは組織のようで、結局は個人対チームの警察のローカル部署に収まっていた。世界の危機と言っていても。ウルトラマンも警備隊とはいっていても組織というより親戚や地域の集まりのようだった。そういう意味では『踊る大捜査線』は組織を描い . . . 本文を読む
世界の映画では斬れるソードアクションが当たり前になりつつある。(今まではどうしても斬ってる風が主流で、刀が斬った体や物を通過する、物が斬れる、刺さる、血が出るのはほんの一部に留まっていた)ソードアクションをお家芸にしてきた日本でも『椿三十郎』(1962)で斬って血しぶき以後、『たそがれ清兵衛』(2002)『座頭市』(2003)、『必死剣、鳥刺し』(2010)、『燃えよ剣』(2021)、『るろうに剣 . . . 本文を読む
映画とかで、<なぜそうなる?>と思うところがあったら、<そうなる理由>を考えることで<裏にある意図>が読めるものだ。ただ、その<裏にある意図>を、まずは<映画の中の狙い>として考えてほしい、<映画の外の事情(圧力とか経済とか)>で考えるのは、最後の最後にしてあげてください。
しかも、リアリティないとか思ったことも意外と現実にも可能だったりすることもあるものですよ。 . . . 本文を読む
作品を見たときに、観る者が自分(人間)についての<価値>を感じるであろう、という描き方がある。中でもそこに、自分(人間)が優れていると感じて心が動く、自分(人間)が愚かであると感じて心が動く、という分類がある。<自分が優れていると感じる>には、観る者が主観的になり、なおかつ共感できる部分を強調し、小さなモノ(路傍の石、独自性、無垢、善など)の価値を感じさせる、配慮がいる。<自分が愚かだと感じる>に . . . 本文を読む
映画で描かれる人物が、様になっているか、無様か、で見方が変わるのではないか。
美学か、なりふりかまわないか、に見出すものの違いなのかも。
そこには、ルールの中で新解釈をみつけるか、ルールを一歩はみ出すのか、ルールそのものを破壊するか、という新しさの求め方の違いにもつながる。そして、それを受け止める度量にも。
そういえば、美学って学問なのかね。音楽的に、美楽ではないだろうけど。 . . . 本文を読む