今朝、警視庁の身元不明・行方不明者相談室が開設されたという、
ニュースがテレビで放送されていました。
38年前の9月5日、
妹が家を出て行方不明になったことを思い出しました。
その日は曇りの蒸し暑い日で、朝起きて妹の部屋を覗くと、
妹の姿はなく、ベッドの上に手紙が置いてありました。
その手紙を読むと、内容は親友に宛てた遺書でした。
慌てて、両親の部屋に行き手紙を見せると、
父はすぐに所轄の警察署に捜索願を提出。
案外、すぐに戻ってくるかもしれませんよ、と言われたそうですが、
その後1ヶ月以上も連絡はありませんでした。
妹から連絡のないことを、心配してくれたわたしの友人から、
警視庁に身元不明者の相談室があるから訪ねてみたら・・・と言われ、
母とふたりで出かけました。
身元不明者のファイルを何冊も渡されて、
身元不明者の顔や持ち物の写真をいくつも見ました。
妹の写真は見当たりませんでした。
でも、ある女性の持ち物に見覚えがありました。
わたしとお揃いの小銭入れでした。
それはとても変わったデザインでしたので、
すぐに妹のものだと分かりました。
電車に飛び込んだ損傷の為、人相が変わっていて、
面長だった顔は丸顔になっていました。
だから、顔写真ではまったく妹だとは分かりませんでした。
それで、妹を指し示す証拠がなかったため、
自宅で指紋の採取が行われました。
妹が家を出て1ヶ月以上も経っていましたので、
掃除をしていたためか、
はっきりとした指紋は採取できませんでした。
今度は歯型の確認ということになり、
歯の治療記録と照らし合わせて、やっと本人と確認できました。
その後、骨壺に入った骨の妹と対面すると、
足から力が抜けて、涙が出てきました。
死後のいろいろな事務処理がたくさんありましたが、
淡々とやるしかありませんでした。
「やくざに引っかかっているくらいなら、死んでた方がましだった」と父。
母は認知症が始まっていて、状況を把握できず、
これから人がたくさん来るのだからと言って、
洋服をたくさん買い込んでいました。
そんな両親とわたしは悲しみを共有できずに、
悲しみと苦しみは長く続きました。
でも、今は自分の生活のペースが、うまく取れるようになりました。
あのときの悲しみや苦しみは、忘れかけていましたが、
今朝のニュースで思い出しました。
妹のアルバムをゆっくり見ようと思います。
そして、妹が好きだった紫色のお花をたくさん持って、
お墓参りに行こうと思います。