モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



赤間宿に向かっています。8月2日のことです。粟屋-岡垣 県道495は右にカーブしていますが私は斜め左に入ります。


今日は写真が多くてすみませ~ん。。。4日間のウオーキングです。


車だと気づかなかった小さな道祖神とか祠とかあります。夾竹桃が咲いていました。
そして糠塚(ぬかづか)に着きました。イオン岡垣までで3km 車まで歩いて戻ります。(粟屋-糠塚 往復6km)






翌日です。1、氏森神社の前を通り 2、山田小学校の横を通り 3、国道3号線に出ました。これを横切って進みます。
4、写真の坂道の下を右折するとJR海老津駅です。3kmです。また車まで戻ります。(糠塚-海老津 往復6km)






8月4日です。江戸時代だって雨も降ったでしょうからね。早朝ですし全体がネズミ色です。

赤鳥居のあたり山中になるんですが道が続かないので国道を歩きました。城山峠までです。
街道は採石所や福岡教育大学の構内を通るため道が続かなかったんです。

この日はサポーター(妹)が車を回してくれたので6km歩きました。






赤間宿に到着したのは 8月5日のことでした。



教育大駅前に標柱があります。
唐津街道 ・ 赤間宿
須賀神社です。
道中の安全をお参りしました。


 

法然寺です。
早朝で 入っていません。
出光興産の創業者 
出光佐三氏の生家です。



 

こんにゃくやさん。
大きな看板です。
タイムスリップしたような
おうちです。

 

酒屋さんです。向い側に勝屋の看板
があったから一緒かなぁ。
構口の遺構はなく
信号にその名がありました。



 「構口(かまえぐち)」・・・・宿場の入り口と出口に設けられた門塀
この日は城山峠から赤間宿3km 往復6km歩きました。


  赤間宿はこの辺です。
 
地図を少し右に行くとミスターマックスがあって茶色の国道3号に出ます。
それをたどると 海老津に戻ります。
私が4回に分けて歩いた道です。芦屋まで戻れるかな。。。




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彦山駅をご紹介します。無人駅です。駅舎はギャラリーになっていて改札口はツバメが縦横無尽に飛び回っていました。

まあ 鳥はいつだって縦横無尽ですが。。。(天井の蛍光灯に巣がありました)





ここのどこが好きかって長いホームなんです。。いかにも田舎のホームって感じです。。

左上の方が上り小倉方面 右下の方が下り日田方面。
下り線に乗るには 写真で見えてる真ん中の 道を通って線路を横切るんですね。







ちょっと横切ってみますね。 横切ったから上の方が 日田方面下の方が小倉方面です。





なんか ドキドキします。。反対ホームに戻ります。。電車を見たいなぁ。。
長椅子で昼寝していた作業員の方がもうすぐ電車が来ると教えてくれました。10分ぐらい間があります。。

きました。 小倉ゆきですから 日田方面から来ています。。





行ってしまった。。。。。どんな時でもちらっと風が吹くような寂しさを感じますね。。通り過ぎる電車が遠ざかるとき・・・



それなのに 一緒に行った妹は前も後ろも同じって笑います。(写真は・・・後ろ姿です)

つまり近づくのも遠ざかるのも、同じ形だから撮り直せるって。。。プラス思考でしょ?



 
1ケ以上前に彦山川の最終の記事の時に寄った撮り置きです。彦山駅は ここです






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あんなに暑かった夏が通り過ぎ、秋の気配・・・そんな時去年の今頃は何をしていただろう・・・・って思います。(阿蘇に行きました)


記事は写真を撮れなかった、最近の出来事です。そして写真は去年の根子岳です。早朝少しづつ姿を現します。






お友達と芝居を観にいきました。北九州芸術劇場 「ウエディングママ」 木の実ナナ 井上順 田中健 他 
70歳の木の実ナナ が恋をするんですが アメリカものはハッピーエンドで気楽に見れます。



国立博物館に [篤姫と島津の国宝展]を見に行きました。これは平日なのにとにかく多くて病み上がり(?)の私は気分が悪くなってしまいました。

大奥の見取り図があって 島津藩に渡したひとは篤姫以外考えられないって音声ガイドの説明です。








オリンピックを見るともなしにずっとみました。感動したのは女子ソフトボール つまらなかったのは野球。
残念だったのは男子バドミントンの同級生の息子さん 競技する姿を観たかったです。








昨日は智鏡先生が近くで講演されたので聴きに行きました。(法話と琵琶)。個人的なお付き合いとは別に大勢の前でお話しされる姿を見てちょっと誇らしい気持です。


そうだ。。もう一つ講演に行ってました。町の歴史資料館。。民俗学者の[物に憑く妖怪]のお話。
日本人のことを ヨーロッパの学者が “一部高度な未開人” と紹介した件がおかしかったです。





写真は ベランダから見た昨日の朝日 今日は曇ってます。右の山は皿倉山です。




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瀬高町で観たい石橋がありました。ナビに案内して貰ったら懐かしい清水寺の駐車場でしたが見当たりません。

入って行ったけどなかったんです。入山5時まで 5時10分でした。鬱蒼として怖いです。。 諦めました。

8月5日 再度出かけました。今度は近くまで行ってniemonさんの石橋の写真を思い浮かべながら 下の方から川を探しました。最初に目に入った景色です。

 

 
近づきます。。「大塚の眼鏡橋」です。 緑色の文字は瀬高町教育委員会の案内板です。

大塚地区を流れる返済川に架けられていた石造りの独特な構造をもった眼鏡橋です。


渡った向こうには お地蔵さんがありました。誰もいないのに橋を渡るのは怖くないから不思議です。

文久4年(1864)大塚地区民が中心となり女山・草場の人達によって造られたもので出費者は女山の梅野庄平氏 設計は大塚の西田氏(のちに学習院長になる)施工は湯谷村(現在の大牟田市四箇)の石工 儀平氏と中原村の宗右衛門氏だと伝えられている。

今度は通り過ぎて上流からです。。

  

石材は飯江山(飯森山)より切り出したもので石質は女山の神籠石と同質のものです。

少し離れて上流から見たところです。 河川の改修工事の為移設されています。

 

 

移設と言っても公園じゃなく川だからよかった。。。

今日 ご紹介した  大塚の眼鏡橋 は ここです



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高井川橋といきなり団子の記事と同じ日のことです。瀬高町です。八坂神社を訪ねました。

写真の左側が道路です。大きな神社でご神木の先に参道橋がありました。茶色の建物を窓から覗いてみると美しい絵の大きな提灯が幾つもありました。




その橋の上から右手を見ると反対側から入る参道橋が見えました。まわってみます。




ご神木の楠です。とっても立派な石灯篭が何個もあります。





明治二十六年十一月吉日。。そう彫ってあります。115年前。。。




見落とすところでした。小さな橋があります。。




句碑がありました。珍しく読めました。 月の句だったことと 桃の字がありましたから。。。
 
  月かかる 黄昏ながき 花の上     白桃花  




八坂神社の神様へ

今 やっかいな夏風邪に困っている どんこさん  どんぐりさん
癌と闘っているみのりさん 季節の変わり目で体調を崩している方たちが
1日も早く回復されますようにお守りください。





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お友達とドライブしました。泊ではなくお部屋でゆっくり食事をすることができます。

船小屋温泉大橋です。川は1級河川...矢部川 大雨が降ると増水するそうです。




両側に見えているのは河川敷の大楠で国指定の大楠林です。



では頂いたお食事のご紹介・・・「樋口軒」さん。大橋のすぐ隣です。料金は3通り。頂いたのは1番お安い分です。





熱物・・・これがスープカレーでした。ご飯にかけて食べたら美味しすぎて“ほっぺた”が落ちてしまいました。









食べ過ぎてちょっと散歩しました。お店をでて橋を渡ると1番上の写真の所に出ます。
そこから河川敷に降りますね。夏休み 大勢の子どもたちがいました。





川に降りて 水の中に足をつけました。右 樋口軒さんです。川の中にベンチのように見えるのは橋台かなぁ。。






石と水草を拾って帰りました。金魚へのお土産です。めだかやどんこがいました。





今日もまた 俳句も詩もうかびません。 こんな素敵なところなのに。。








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祝! 女子ソフトボール金メダル!! 感動しました。


下の中で4の写真。橋から右岸を山鹿 左岸を芦屋と町を2分して遠賀川が流れています。

写真は その山鹿地区 1は大君神社(大君は安徳天皇) 2は城山神社 3は浜木綿自生地です。




芦屋橋の袂にあった“渡し場跡の記念碑”が見あたらないから歴史資料館に聞きました。
保管場所に案内してくれましたが、残念ながら裏向きです。、重くて動きません。





塩田屋薬局さんです。 歴史資料館に看板が保管されています。 



このあたりは街道筋を歩けますが、自衛隊基地は側道を通って本当の宿場「わが家」に向かいます。
7月31日 暑いけど雲がちょっとだけ秋っぽい朝でした。






芦屋小学校を突き抜けます神武天皇社に出ます。




今度は自衛隊基地の中で入れません。粟屋から岡垣町に入りました。



翌8月1日 家から歩いて出ました。「粟屋」という町のはずれまで約3km 戻りも歩きますからそれ以上進めません。

7月31日 8月1日  芦屋宿を歩きました。。



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夏休みでも両親が仕事の為、学校の留守家庭(学童保育)に行っている子供たちを訪問です。
芦屋町には小学校が3校あります。。山鹿小学校はご紹介済みです。

8月6日は2校目 芦屋東小学校です。実家からは1番近く、校庭の隣の墓地に、生前父が造ったお墓があります。

留守家庭の生徒は37人中32人出席してました。工作の時センセイ センセイって呼ばれたのは面映ゆいけど嬉しかったです。






16日はいつもの第3土曜日 ホームでした。紙芝居の「ななつのほし」って北斗七星の話ですがびっくりしたのは原作 トルストイでした。。

それからお盆だから姉が わが町の伝統芸能“はねそ” を歌って踊りました。息が上がってました。
ぐるぐるぐるぐるまわるんですがちょうど後ろ姿の黒シャツがうちわを持って踊る姉です。 
懐メロの演奏は いつものパパ&ドーター のお二人です。







昨日は「芦屋小学校」の留守家庭訪問でした。 移転したけど私の母校です。。留守家庭は43人中30人が出席でした。

写真は 「3枚のお札」のパネルシアター。。オサツじゃなくオフダです。大人しく聴いてくれます。
ドカドカッと前に行ったのは和尚様がとんちで山姥を大きくさせた後、小さくさせた・・・その小さな山姥を見るためです。

コカリナは昨日は完璧にできました。




子供代表3人でお礼のお手紙を読んでくれました。私たちは子供たちの前に立っています。ウルッときました。



☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~


ではここで 工作は何をしたか・・・ポンと飛ぶから 遊ぶ時は気をつけてね。





輪ゴムをかけて×にして反対にかけるクルッとひっくり返すとこうなります。




ひっくり返して、たたんで押さえて台の上に置き 手を離すとポーンと飛びます。
人に当たらないように気をつけて下さいね。飛ばなかったら輪ゴムを2本重ねるといいですよ。





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8月15日 16日は熊本県山鹿市 山鹿灯籠祭りの「千人灯籠踊り」なんですが、16日 雨のため中止されたようですね。

頭の上に灯籠を載せた踊り子は幻想的な美しさ なので一度でいいから観たいと思っています。

昔 絵や写真で見たときに私は 馬鹿な事に金属製の灯籠を載せていると思ってました。 重くないのかな・・・・・って。

撮り置きの写真の中に、山鹿灯籠民芸館がありましたのでご紹介します。 緑色の文字はパンフレットから。。 

山鹿灯籠民芸館 吹き抜けの2階から撮りました。沢山の灯篭が並んでいます。

 

 

山鹿では灯籠製作者のことを灯籠師と呼ぶ。この灯籠師は高等な技術と熟練を要し、1人前になるには十数年の期間が必要である。

 

 

制作行程で切りそろえられた 部分が展示されています。

 灯籠師は5月の大宮神社の開始祭に出てお祓いを受ける。6月10日頃小屋入り(現在は開始祭・小屋入り4月同時)と称し 水垢離をとり、しめ縄を張って清めた部屋に籠って制作を開始する。

え? 現在もなんですね。

 

出来あがると特定の台に載せて周囲を幕などで囲み 手が触れないようにして祭り前夜 店の前や町内の灯籠台に据える。

 

 

観光客用に実演(?)されるようですが残念ながら見ていません。

 

灯籠に使用する和紙は加藤清正の頃に朝鮮から連れてきた道慶 慶春らによって伝えられ 明治大正頃までは玉名郡三加和町で生産されたものを使い 現在では八女市柳瀬で漉かれた和紙を使用している。

 

 

画家の名前 度忘れしたけど 絵があるんです。音楽でいえば抒情歌・・・切れ長の目に神秘的な美しさ。。

来年はぜひ観たいなーー。千人踊り。。。

 歳をとると 先の予定や約束があるというのは力になります。。

  



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ここも偶然通った場所でどこだか分かりません。熊本です。
仏像の中でも特に好きな十一面観音の標識を見つけ 行ってみました。






笛鹿観音です。どんな仏像でしょう。。わくわくします。





細い苔むした階段をおそるおそる登ってみました。





格子の隙間にカメラをつけてとりました。十一面観音ではありませんでした。




カメラをずらしてみましたが 違いました。きっと上の観音様が 御前立で後ろにお厨子があるんでしょうね。





もしも御開帳の日があれば再び訪ねたいと思います。




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