モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



英彦山に行かれたことのある方はご存知だと思いますが、通り道にこんにゃく工房
があります。とっても美味しいんですよ。素通りできません。
今回で2回目なんですが、初めて行ったときびっくりしました。
こんにゃくは海藻からできていると思っていました。当方随分長く生きています。
(カマボコは トトから 出来てるって知ってますよ。)
サトイモのようでしたね。それを棒に突き刺してゴリゴリすりつぶし、型に入れて
暫く置き 1丁づつ切って茹でます。



釜の左(蓋の前)に見えているのはこれから茹でるものです。
混ざり物がないので賞味期限は1週間・・柚子胡椒で頂きました。まいう~でした。

食べるものも食べたし、帰ります。 でももう一つ・・・・
日田-彦山線 の ガードです。




道路沿いです。全体と内側でした。

今度はくぐって反対側から撮りました。



日田-彦山線は乗ったことがないので乗って見たいです。
日田も石橋がありますし・・・・でも石橋探訪の場合車がないと後が不便ですし
こうして 電車のガードの写真を撮れないし・・・。家の中で考えるばかりです。




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お天気もいいし、友達から誘われ(運転は私で送り迎えだから・・・いわゆるアッシー?)
英彦山に行きました。紅葉はまだ早いって、分かっているんですが彼女の希望です。
彦山駅の下に日田-彦山線の鉄橋があります。だから、まっいいかと行ったわけです。



山菜蕎麦を食べていざ出陣・・・橋が気になるオバサンに、上り口またもや小さな橋
が、ここよ・・・といいます。個人が奉納されたものでした。
ちいさな欄干(?)には浮き彫りがありました。



こんな句碑もありましたよ。
谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま   杉田久女



そして本当は一番嬉しかった事 帰り道にもう一度 鉄橋を見ようと思ったら
電車好きの私に来た来た来た来た~!
鳥居が邪魔しましたが何とか間に合ってやったぁ。。。。



日田-彦山線 左 日田側 右 小倉側 です。真ん中邪魔しているのは大きな
鳥居です。電車が来てよける間もありませんでした。


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階段箪笥を作りました。二十年位前までわが町の果物屋さんに、あるのを見ました
が 今では果物屋さんはありません。というか最近は果物屋さんと言うお店がない
ですよね。(果物に関係なく奥に見えていました)
この階段箪笥・・・引き出しや 引き戸は一応全部開きますよ。





全部で54ピースです。で、それを納める部屋は 囲炉裏の部屋です。





このあとまだいろいろありますよ。

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何とか 新しいカメラの画像取り込みが出来ました。初めての写真だから
(まっさらで行きました・・・)弁解はこのくらい・・・

まずは 古いカメラで撮った新しいカメラ カシオ1010万画素です。



以下 前回投稿分の新しいカメラバージョン・・です。くれぐれも初めてで@&%#*$











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諫早眼鏡橋の近くで食事をしてそこの方に聞いて、小ケ倉川へ・・・
大渕橋を探しますが、コンクリートですっぽり補強されているから期待は
していない。(ダムに続く道だから仕方ない)・・。それにしても補強後
の橋は別に観にいかなくてよかったのかも・・もう諦めるしかない。

そこから程近い所にあるはずの「小川橋」を探します。またご近所の方どなたも
ご存知ありません。とってものどかなところです。とりあえず橋名は違う場合が
ありますから田んぼの中に入っていきました。



他の方のブログでお見かけするような写真が、一朝一夕で撮れるわけはありません
が、去りがたい、いい風景でした。

近所で測量をされている現場監督さんがおられたので聞いて見ました。
私は建設会社に勤めています。現場員は地理に詳しいんです。
ゼンリンの地図で二人で調べておられたんですがないということでした。
諦めて帰ろうとしたときです。後はもうあそこの人道橋くらいしか・・・
ん?最初からそれ聞いてるのに・・・・・。
相手から見たら 家を探すための橋と思われたんですね。



小川橋をご紹介します。可愛い橋でしょう?小ヶ倉川
橋長:3.8m 橋幅:1.8m 架設:明治43年 です。





これも新しいカメラでバッチリ撮れていたら、ご紹介します。
でて来なかったら(?)あぁ・・やっぱり・・・と。


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久々に長崎に用があって行き、石橋探訪の機会がありました。
行く前の日に新しいカメラを買ったんですが、撮り方もよく分からないので
カメラは今までのと両方持って行きました。
取り込みのCDインストールも自信がないので今日ご紹介するのは古いカメラの方です。
後日バッチリの写真をご紹介しようと 今は思っているんです・・・・。

諫早眼鏡橋です。1839年本明川に架橋されたのを現在は移設されています。
昭和32年の水害で539人もの死者が出たとき本明川の橋は、ほとんど流れた
んですが 流失せずに残った名橋です。



この諫早眼鏡橋の奥にもう一つ石橋があります。
「くじら橋」が、見えているんですが、お分かりでしょうか・・・。



近づいてみますね。
1856年 架設 くじら橋をご紹介します。



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小鳥はこずえの上で、面白そうに唄っていました。白いばらの花からは、よい
香りを送ってきました。
冬はやはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方を恋しがりました。
その方には、せがれや、孫が住んでいました。
「早く暇をもらって帰りたいものだ」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、しらぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、
やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。
どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます」と、青年はいいました。

やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、
なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつ
まじく、暮らしていた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、
不思議なことに思われました。

「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても
少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください」
と、老人はいいました。これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、
ほかになければなりません。戦争はずっと北の方で開かれています。私は、そこへ
いって戦います」と、青年はいい残して、去ってしまいました。

国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、
老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲いて、みつばちは、日が
上がると、暮れるころまで群がっています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、
たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の
影すら見られなかったのであります。

老人は、その日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしたちました。
ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったか
とたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろし
になって、戦争は終わったということを告げました。

老人はそんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんな事を気にかけ
ながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうと
と居眠りをしました。

かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。
見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、
かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。
やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
老人はなにかものをいおうとすると目がさめました。
それはまったく夢であったのです。


それから一月ばかりしますと、野バラが枯れてしまいました。
その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。 
おわり

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これは”小川未明”の童話「野ばら」です。これで半分です。
あと1回で終わりですから読んでいただけたら嬉しいです。


 大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。
当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。
ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人づつ
の兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。
大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年
でありました。
 
 二人は石碑の建っている右と左に番をしていました。
いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影
は見られなかったのです。
初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じ
がして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲良し
になってしまいました。
二人はほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、
春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。
 
 ちょうど国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばら
がしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて
集まっていました。
その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。
「どれ、もう起きようか。あんなにみつばちがきている。」と、二人
は申し合わせたように起きました。そして外へ出ると、はたして、太陽は木
のこずえの上に元気よく輝いていました。
 
 二人は、岩間からわき出る清水で口をすすぎ、顔を洗いに参りますと、顔
を合わせました。「やあ、おはよう。いい天気でございますな」
「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持ちがせいせいします。」
 二人は、そこでこんな立ち話をしました。たがいに、頭を上げて、あたり
の景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを見る度に
心に与えるものです。青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。
けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろ
には、二人は毎日向かい合って将棋を差していました。

 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、
しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。この
青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつで
ありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上で争っても、心は
打ち解けていました。
「やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げ続けでは苦しくてかなわない。ほんとう
の戦争だったら、どんなだかしれん」と、老人はいって、大きな口を開けて
笑いました。青年は、また勝ちみがあるのでうれしそうな顔つきをして、
いっしょうけんめいに目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。

つづく

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記念の日って不思議・・・・
たった数日前、モモの死んだ日は
辛くてたまりませんでしたねぇ
今日は誕生日なんです。
すると 可愛い姿が眼に浮かびます。

そういうわけで 誕生日特集です・・・
誕生日だと分かるようにしたため
動いてないので
自然さが減ってますが
親馬鹿だとお許しを・・・。

 1歳のお誕生日 沢山のプレゼントを貰っています。




 2歳のお誕生日 おもちゃのミーちゃんがお気に入り


 3歳のお誕生日 この頃まで弱かった・・・・


 4歳のお誕生日 お母さんのお気に入りの写真




  5歳のお誕生日 おもちゃが大好きでいつも持っていました。



  6歳のお誕生日 ソファーーに飛び乗っていました




  7歳のお誕生日 布製のハウス通販で13500円でした。
 



  8歳のお誕生日 懐かしい布の上・・・




  9歳のお誕生日 白内障が心配でした。


  10歳のお誕生日 顔は老けたけどいとおしさが増しました。

 11歳のお誕生日 この視線の先に私がいるんですね。




 12歳のお誕生日 やっぱりおもちゃを・・・。

そしてあと11日で13歳の誕生日のはずでした。

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10分前です。(ベランダ)


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