モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



2006年  私の5大ニュース



「第5位」
 仕事に少し限界を感じ自分の方から申し出て 主帳簿を税理士さんにお願いする事になりました。計算機も何度もやり直すようになったし、寄る年波には勝てません。でも泣き言を言わず脳力を鍛えましょう。


「第4位」
 9月 車を買い替えました。今までの車6年間で走行距離49000km 調子良かったんですが、この後のことを考えると(歳)今かな?と・・・・。新しい車は ダイハツ "ソニカ" とてもよく走ります。ところがおまけがついて数日前 リコールとの連絡がありました。どこかを締めるのを確認と言う事で10分くらいで終わりましたが 熊本行ったばっかりですよ。事故がなくてよかった。。。


「第3位」
 niemonさんのHP"石橋 眼鏡橋 太鼓橋 石造りアーチ橋" といえば私にとってはバイブルです。日本の石橋を守る会の方でもあります。
その中に私のみつけた橋として記載されました。サイトを開いたら地図から 福岡県 立花町 左側☆マークの山中橋(仮称)です。 同じく福岡県遠賀町 今古賀橋(これはもう一方おられました) です。石橋愛好者としてこんな嬉しい事はありません。


「第2位」
 ブログを通じて新しいお友達が出来た事です。3月にKUROD@さんから「石橋」の検索でコメントが入った時はびっくりしました。ブログがそういうものだと知りませんでした。5月には遠賀川を遡上し、上流の市役所の検索でたてさんを知りそこからりあらさんならやまさんとは実際に会いました。どんこさんは美しい鳥の写真に感動しました。他にも瑞穂さん かやこさん 芳順さん・・等 多くの方からコメントを頂くようになりました。学生さんから研究テーマの課題で遠賀川の橋を選び私のブログで感動したとコメントを頂いた時は私のほうが感動しました。


「第1位」 
今年無事還暦を迎えた事です。同窓会があったり、お祝いにといろんな方に温泉を兼ねた石橋探訪をプレゼントされました。(私には石橋が主、温泉が副)
父の還暦は父が胃潰瘍の手術をして手術跡が癒着しすっかり瘠せた還暦祝いの写真が残っています。母の還暦の時は50代になって筋萎縮症になりちょっと不機嫌そうな母、それなのにやたら嬉しそうな私・・・。
それに比べて私の還暦は何とのほほんとした60歳でしょう。両親に感謝するばかりです。



そして、私にとっての本当の1位・・・・それはここには書けません。
でもそれを忘れさせるくらいブログライフ(?)が楽しかったと言う事かもしれませんね。・・・・

残りの今日明日 静かにこの1年を振り返り、行く年を惜しむ事にします。皆様 どうもありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいますように・・・・・
            momomama 




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今日 最初にご紹介するのは耳取橋です。これは役場から送って頂いた地図と友達がインターネットから取り込んだ地図が少し違い、なかなか見つかりませんでした。私は車を降り近所の方に聞いて見つけ道路から下に下りようとしますが、車が前方に行っています。見えなくなったら携帯も車の中です。やっと気づいてくれて引き返してきました。写真の撮りにくい橋でよそんちの車庫から撮っています。
      耳取橋(ミミトリバシ)をご紹介します。






石橋探訪の時間は4時半までと決めていました。
私は雄亀滝橋が一番観たかったんです。その目印である砥用中学が右にありますが時間が。。。。maruさんの意見で内山橋と新内山橋を観て帰ることにしました。だから諦めました。
でも、かなり進むと、雄亀滝橋4kmと書いてありました。どうしても行きたいと言いました。
言った者勝です。(笑)往復8キロ。その途中 あれ?石橋の匂い 桑木野橋ではありませんか。
これで数として(内山・新内山)一緒だと自分を正当化します。(雄亀滝橋 桑木野)
  架設年や石工は不明 桑木野橋をご紹介します





さっ!時間がないから急がなくっちゃ。。。でもあれ?また石橋ですよ。
弘化年間 種山石工と言われているけどはっきりしないそうです。
      県橋(アガタバシ)をご紹介します。





     にわとりが・・・・珍しい・・・・





時間がありません  というか過ぎました。途中で心細くなるほど細い山道を進みました。我儘を言って雄亀滝橋に行くといった事をちょっと後悔しました。たまたま中央に着いたので 二俣橋とか大窪橋とか、もう一度見たかった所に行ったけど、今回 美里町で一番見たかったのは雄亀滝橋(オケダケバシ)なんです。朝から言ってたでしょ?
実は私が石橋にはまるきっかけとなった「肥後の石工」(岩波少年文庫)の主役 「岩永三五郎」その人の造った橋なんです。
でもでも離合も困難でドキドキします。そして目の前に・・・・・。
  文政元年(1818)架設 石工 岩永三五郎 「雄亀滝橋」(オケダケバシ)をご紹介します。






昼でも暗い山の中です。でも心打たれる石橋でした。もう帰らなければなりません。振り向いてもう一度またもう一度と振り向きますが段々フラッシュが届きません。いつものように石橋に手を振りました。






戻る時は細い道じゃなかった・・こんな事なら案内板をこちらにつけて欲しかった・・・それに入った所に戻ってきたんですよ。そしたら また思い出してしまいました 桑木野橋の角に お寺があってそこに、「こめがね橋」の案内板があったなぁって。曲がってすぐなら後悔しないように行ってみよう・・・また我儘言ってしまいました。またまた細い道 またまた後悔しました。頂上まで行って引き返そうとしたらなんと標識・・・長さ 3.2m「こめがね橋」をご紹介します。








今回の石橋探訪 日帰りですから、これが限界です。どの橋も感動を与えてくれました。もうすっかり疲れてしまいました。体力的にではないんです。抜け殻状態でした。でも帰ってから4日間充電しました。私の充電方法は ブログに投稿したりいつものように石橋の写真集を見たり、次はどこに行こうかと計画する事、急に雪が降ってもいいようにJRで行って電車で観れる所に行こうか 雪が降ったらそこで雪の通潤橋を観にいこうか・・・キャッシュカードを持ってないと帰れなくなるかもしれないとか。。。
考える事なんですよ。今回もniemonさんKUROD@さんの地図 美里町、石匠館の資料のお世話になりました。
今回の石橋探訪・・・なんと24の石橋です。観光客が訪れる橋・・・地元の方の生活道路としての橋・・・たま~に来る人を待ってひっそりと佇んでいる橋 このあといつ人が来るか分からない橋・・・
いつもいつも梅雨が終わるとホッとするんですが、先人の残した素晴らしい石橋が流失する事がないように 今年最後の石橋探訪で思いを新たにしました。
  どの橋にもいいたいです。ありがとうね!また来るからね。
 
            (完)








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次の目的地は馬門橋(マカドバシ)です。地図では幹線道路から近いようですが、これもなかなか大変です。でもこの間が楽しい。佐俣の湯(?)の看板につくりものの石橋があり、ここに移設したんじゃないかと同行の友は言いますが、馬門橋はそんなチャチな橋じゃありません。とても風格のある橋です。
  長さは27m 1827年架設 馬門橋をご紹介します。






今度は目磨橋を探します。これもなかなか見つけられず道路から見覚えのある大窪橋が見えました。ここなら知ってます。KUROD@さんの写真で感動した橋ですから・・・。前回は満開の桜の下で震えました。今回は桜も稲もありませんが、橋だけで十分人を惹きつける魅力的な橋です。
1849年架設 157歳 石工は 新八、丈八 架設当時は丈八という名前ですが、後に姓を名乗る事を許されます。・・・橋本勘五郎です。大窪橋をご紹介します。
私は前回と今回で50枚くらい大窪橋の写真を撮っています。
それなのにただの1枚もちゃんと撮れてないのはきっと魂が足りないんでしょう。 






大窪橋におられたオバサンに目磨橋の場所を聞きますと218号線に出なくても川沿いに行けるという事です。消防車の格納庫の先 右側とのことです。でも格納庫はなく、先に石橋を見つけました。親柱は釈迦院橋・・・写真を撮って念のため橋隣のお宅の方に聞きました。目磨橋という橋はない。。。ん?と思って戻ろうとすると釈迦院橋(目磨橋)と書いてありました。そこにまた別の方が現れて 橋の下の溶岩の話をして下さいました。橋の上から大窪橋側を見て右側の山は溶岩で 218号の左側の山とは全く違うんだと・・・。いつ頃 誰が造ったのか不明の目磨橋(メトギバシ)をご紹介します。






次に目指すのは舞鹿野田橋(モウカンダバシ)です。とても読めませんね。大通りに出るんですが大窪橋をもう一度瞼に刻み込むため戻ります。反対側から見ると確かに消防ポンプ小屋というのがありましたがシャッターが閉まっているから分からないはずです。大窪橋に別れを告げ218号に出て角の消防署・・春に来たときタクシーの電話番号を聞いたらかけて下さった・・・手を振りました。(建物に)
さて舞鹿野田橋ですがここは案内板がありました。 舞鹿野田橋をご紹介します。




私の癖で、どうしても見つけた時に感激するため風景をお見せしています。でも自分は現地では食い入るように石橋を見ています。(笑)架設も江戸時代・・石工も不明 でもこんな石橋大好きです。
どれもこれも大好きですが・・・・。少しアップして舞鹿野田橋をご紹介します。






今日最後にご紹介するのは上小夏橋です。舞鹿野田橋から庁舎までの数百メートルの間にあるはずなんです。ここも地元の方に聞きながら探しました。
  1849年架設 石工不明 上小夏橋をご紹介します。





今日も長々とご覧頂き有難うございます。
donguriさんのソースでちょっと見易くなった筈なんですが、逆に写真の拙さが目立つかもしれません。  でも私の嬉しさが伝わったなら それだけで十分です。





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御船町にまだ行きたい所もありますが、美里町に向かう事にしました。役場から送って頂いた
地図では砥用(トモチ)庁舎から御船町が真上に見えます。砥用庁舎を中心に書いてあります
から当然ですね。そこにナビを設定して、その周辺を見てから中央に戻り大窪橋、二俣橋など
みて松橋から高速に乗る予定でした。そしたらナビはまた最初の御船署の所に戻り、中央に
連れて行きました。3333段(?)の石段の案内板の所です。これなら先に・・・と二俣橋を観る
事にしました。私は以前行きましたが小筵橋を観てなかったので、 近くです。空き地に駐車。
通りかかられたオバサンに許可を頂きました。私は誰が地主であろうとそこにいる方に聞きます。
皆さんとても優しくよそんちの空き地でも許可して下さいます。その方に小筵橋の場所を聞くと
信号渡った所といわれました。(本当は間違いで、信号渡って八百屋さんに聞くと私達は小筵橋
の上あたりに駐車)でもそこから二俣橋の案内標識があったので歩いて先にそちらへ行きました。
以前行った時と反対方向から行ったので二つの橋が並んでいるのを見ることが出来ました。
長々とお待たせしました。二俣橋・・そっくりの二つの橋がほぼ直角になっています。
二つの川の合流地点です。 まず 1830年架設 「二俣福良渡眼鐘橋」をご紹介します。



上の橋とほぼ直角にあります。1829年架設 「二俣川眼鐘橋」をご紹介します。
覚えた積りでしたが下に降りたり逆から撮ったり、分からなくなってしまいました。



こんなに素晴らしい橋なのに石工不明だそうです。
名前は残らなくても176年後こんなつまらない私ですが、あなた達(石工)のことを
尊敬し,称えています。

元の位置に戻りながら気になって堪らなかった道路下のやなのような舞台のようなテラスのような
所に「チェーンを跨いで」一人で降りて撮りました。すみませ~んと言いながら。



二俣橋から見上げると 年祢橋が見えますが割愛(後で理由が・・・)します。

さて小筵橋・・八百屋さんから聞いたとおり 渡ってきた信号を戻ると見えました。
1808年架設 石工は嘉八と推定 小筵橋(こむしろばし)をご紹介します。



足場の悪い所下まで降りて 何枚も撮ったんですよ。でも見とれてしまって(笑)
ピントは全部アーチの中の空間の奥の景色に・・・・。上部とかすかに分かるアーチです。

上に上がって車に戻ります。あれ?渡っている橋が 古色蒼然と。。。
新旧二重になっていると言う事は年祢橋です。二俣橋からしか見たことがないので
単一アーチと思っていたら2連でした。
中央町では最も新しい大正13年架設と「熊本の石橋313」には書いてあります。
年祢橋(トシネ橋)をご紹介します。



そこでひらめきました。下からみたら年祢橋の上を新しい橋が通っていた・・・
今横に新しい橋が見える・・・だったら新しい橋(車道)に行けば眼下に二俣橋があるはず・・・・
歩道なんかなくていい・・・渡りました。上から見ました。
L字型にほぼ直角というのがお分かりいただけると思います。



ここからの写真 私だけかも知れないとワクワクしてウチに帰って確認すると・・・
そんなはずありませんでした。niemonさんのサイトにバッチリありました。


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今日最初にご紹介する橋は「下鶴橋」・・・明治19年架設です。
石工は 私の恋人"橋本勘五郎"と弥熊親子です。長さが71mですから探すのは簡単です。
大きな川を探せばいいですから。。。



その弥熊が酒好きだったため親柱は徳利と杯の形にくりぬいてあります。
何枚も写真を撮りましたが、割愛して 橋の全体写真をもう1枚だけ。
これは上の写真で工場(チッソ)が見えますので 逆から撮ろうと行って見ました。
たまたま工事の方がおられてちょっと目が合ってしまいましたが 柵を
乗り越えるわけではないから前進あるのみ。
美しい石組みなんですがご紹介できるでしょうか。
下鶴橋をご紹介します。



地図を見ながら次に目指すは下梅木橋です。梅木橋は通ったんです。その下流・・・
坂道だったのが悪いですね。下りますよね。下ったらまた国道445に出てしまいました。
左に行けば下鶴橋に戻ります。行ったり来たり原点に戻り、梅木橋に来ると
なんと並んでいるではありませんか。下梅木橋をご紹介します。



右にチラッと手摺の見えるのが梅木橋です。そして草のぶら下がっているのが
「下梅木橋です」。降りられるところは必ず降ります。



八勢眼鏡橋に行きたいんですけど寄り道ばかり・・・今度こそ八勢眼鏡橋を目指します。
そしたら行く途中 石橋らしきもの。



これは石橋でしょうか  目印のため風景入りを1枚



そして道が分からず何度も何度も聞いて山都町まで行ってしまいました。
ガソリンスタンドで聞くと あなたも八勢橋?山都町もいっぱい石橋があるから
次は来てくださいね。を熊本弁で仰って、教えてくださったのですがまだ分かりません。
次の方にまた聞いてやっとたどり着きここも一目ぼれしてしまいました。
1855年151歳 八勢眼鏡橋をご紹介します。



目の前にいきなりこんな風景が現れたらウルウルしませんか?
この橋と直角に交わる感じで八勢水路橋があります。(下の写真)



この橋(上の写真)の上は水路でその水路の行きついたところが八勢小橋です。
私の立ち位置は水路橋の上です。



位置関係お分かりいただけますか。
八勢眼鏡橋と八勢小橋が一体化してその八勢小橋からほぼ直角に八勢水路橋があります。

八勢眼鏡橋を渡って対岸から撮った写真です。



 もう魂は半分しか残っていません。


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御船に石橋探訪に行きました。最初に行ったのは下津留橋でした。
最初見つけられず その橋の袂で聞きました。お兄さんが「ない」といつもの答え。
そしたらちょうど通りかかったおじいさんが覗き込まれ 奥のほうを見たら石橋です。
と教えてくださいました。 蜘蛛の巣を払って撮りました。
下津留橋をご紹介します。



続いて訪れたのは中道橋です。1855年架設 151歳の橋です。
こんな石橋が一番好きです。



長さ3,8m 石工は丈八・・・私は昨日ゴム長靴を買いました。
「熊本の石橋313」をみて 川に入って撮ろうと思ったんです。でも御船高校の前に
車を停めて、道を探すために降りてそのまま行ったので役立たずでした。

KUROD@さんが 要石を見たら動けなくなりますよ。
と言われた要石です。



動きたくないけどまだまだ見たい橋もあるし車に戻りました。
次の橋・・・ここでもまた感動して動きたくなかったんです。
門前川眼鏡橋をご紹介します。
1808年架設200年近く前の橋ですね。



石と石の間を糸で縫ったように、カスガイでとめた様になっています。
美しかったですね。



次に行った橋はちょっと苦労しました。(お友達が・・・・)
歩くのも大分歩きましたが どうしてもありません。最後に目の前の壁のような
坂を登って見つけてくれました。蔓が絡み付いて大変でしたが、ご褒美にひっそりと
待っていてくれました。川内田堀切橋をご紹介します。



どのくらい人が通ってないんでしょう・・・・ 
上部はこれです。どんな橋も渡りますがここは怖くて渡れませんでした。
境目が分かりませんし。。。。
坂道を降りるとき滑ってしまいました。





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お友達が誘って下さって、グローバルアリーナ(宗像)のキャンドルナイトに行きました。
"お願いキャンドル"として料金を払って火をつけます。
カバーには色んなお願いが書いてありました。



少年合唱団のクリスマスソング・・・美しい歌声と軽やかなリズム。
聞いている人たちも手拍子(?)をしています。



サンタさんがお願いキャンドルを蹴飛ばして(ごめんなさい)あわてて直しているところを。。。。
サンタさん ごめんなさい。青い目のサンタでした。



もう真っ暗ですが灯りを頼りに。。。
今日は月が細~い(5日)から 足元のキャンドルの明かりがとてもきれいでした。



皆様がすてきなクリスマスイヴを迎えられていますように。。。。



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ワードで長靴を作ったのは全くの偶然なんですが、
         思いがけずプレゼントを頂きました。
サンタさん 大黒様 有難うございました。
お歳暮と違ってクリスマスプレゼントって
            トキメキ感がありますよね。
プレゼント一つ一つ写真を撮って5秒間UPしましたが、
       勿体無いから秘密にします。
 本当ですよ。ねっ!大黒様 サンタさん 

なお、長靴の中にはまだ若干のスペースがございます。






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いっぱいプレゼントを頂こうと長靴を作りました。
donguriさんの所のお客様のコメントをみて何だか何も勉強しないの
は勿体無いのかな・・と思いました。
いつでも質問できる状況ですから・・・。
真似できないものの方が多いんですが とりあえず取っ掛かりのいいの
からやってみることにしました。
長靴の下の 大きくなれ 小さくなれ と書いた所をクリックして下さいね。

<>



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昨日は出社でしたがその往き帰りに大変な目に遭いました。
一昨日が凄く寒く、風が強く、響灘は風速18mって言ってました。
だから多分浜辺は風紋が出来ているはず。。。と思ったんですね。
雨の中少し早めに出て行きました。
でも雨だし、風も一晩くらいじゃ砂が少なくてダメでした。



寒い中せっかくだからもう1枚



人っ子一人いません。。。。それなのに困った事に。。。。
雨に濡れないために砂の中に入っていたんです。

お分かりでしょう?車が埋まってウンウンいいだしました。
SOSしよう思ったけど笑われるし、JAFも恥ずかしいし・・・
もう どうにでもなれ~
とりあえず年齢から 昔のぬかるみの多かった時代を知ってますから
同じ所を踏まないように、少しの距離だったのでバックして後タイヤだけでも
舗装部分に出られるようにハンドルをきって。。。。

ふ~~!さっきまで寒かったのに汗が出ました。

1日仕事をして帰り道です。コスモス街道でパトカーにつけられました。
途中で気づいてスピードダウンしたんですが、なんとそのあと約3キロ。
思えば1年前の12月にもスピード違反で罰金払ってますからね。

そういうわけで往きも帰りもついてませんでした。
でもまぁ どちらも切り抜けたと言う事はついていたというべきか。。。。
言葉には魂がある(?)というから言い換えましょう。

  タイトルの変更@とってもラッキーだった一日



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