モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



さて今日も美里町の続きです。井竿橋を探します。
ガソリンスタンドがあったのでお聞きしました。西の鶴橋とここ(スタンド)の
中間ぐらい・・・通り過ぎてますね。車に合図して方向転換して貰ったら 
おじさんが中から出てこられました。
ちょっと先に 用来橋があるよ それから そこに桑野橋・・桑野は坂道に桑野地区
の道標がありました。また向きを変えて下用来に行くことにしました。
下用来橋をご紹介します。架橋年 石工 不明
”人里離れた川に架かり、橋を通る人影も無く、茂った周囲の緑に
とけ込むように存在している。”熊本の石橋313 の紹介文です。
これを変える言葉は見つかりません。ほとんどの石橋が そうなんです。





井竿橋に行く前に桑野の石橋を見に行きます。
坂道を登ったものの見つかりません。お家があったので歩いて行って見ました。
絵に描いたような可愛いおばあちゃんが外にござを敷いてお仕事されています。
道を真っ直ぐ行って田んぼ2、3枚いくと ガードレールがあるから。。。

行く途中 四駆の二人連れに止められました。私の車が北九州ナンバーだから
「どこかお探しですか」と言われるかと思ったら「甲佐嶽は?」と。。。同類でした。
 
真っ直ぐ進みガードレールから下をみて最後まで歩いても無く、少し歩くと眼下に
(山から下を。。)さっきのスタンドがみえ しかも外に出ておられます。
”すみませぇん” 大声で2度3度。。 気づいて見上げて下さいました。
桑野橋は~  よく聞こえないけど「戻って 四つ角を右に」 が聴こえました。
まだ進むようです。車に乗るひとは「真っ直ぐ」を”道なり”と解釈するけど 
おばあちゃんは真っ直ぐは真っ直ぐ・・・ あたりまえでした。
方向転換できないので一旦下まで下りて 又上がりました。

標識からも 折れた木とか踏みながらです。啓蟄を過ぎたら私はいけません。
そしてご褒美が待っていました。静かに待っていてくれた桑野の石橋です。




下に下りられます。



井竿橋は? 桑野橋からは白岩橋が近いから。。。でもまだ諦めていません。 

次は近いからとりあえず白岩橋です。運転し乍も標識はほとんど私が見つけます。

公民館に車を置いて降りていきました。工事の方に聞いて杉木立の中かなり
”石キチ道”を歩きました。(私の作った言葉。。石橋狂が通る石橋の為の道)

おぉ。。 架橋年 石工 不明 苔むした白岩橋をご紹介します。




苔でツルツルしていて上に上がろうとした時滑ってしまいました。
今度は水は無く濡れはしなかったけど、時計のベルトが切れて無くしてしまいました。
お釈迦様の立像があるようだから 私の代わりに好きな石橋と仏像の近所で
時を刻んでおくれ。。。

井竿橋に行きたいけど又近くに中岳橋があるようです。
でも細い道を行ったけど分かりません。またおばあちゃんの家に戻ってきました。

もう1度お訪ねしました。今度はお嫁さん(?)。奥でおばあちゃんが教えて
くれますが分かりにくそうです。
嬉しい事に石匠館の上塚館長さんをご存知のようでした。守る会の会員でもありました。
・・・313の本もお持ちで嬉しかったです。
2度まで訪ねたのは ご縁があったんですね。喜○さん有難うございました。
地図を描いてくださって外れの 海徳さんちなら詳しいから。。。。とのこと。

そのお宅の下です。こんな高~い橋もありました。




中岳橋たどり着いたけど よく見えません。覗いてくださいね。



井竿橋は? すごくいい橋なんだけど。。。。。。

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さて、美里町・・古米橋の次に行ったのは木早川内橋(きそがわちばし)です。
大正10年架設の橋で 長さ10m コンクリートで補強されがっちりしています。
写真は割愛します。

次は妙見橋です。国道(といっても細いんですが)443号のT字路で道路から
美しい姿が見えました。




上の写真の手前側に コンクリートの堰があります。中々いい対比でした。
この妙見橋も架橋 石工 ともに不明です。菜の花が咲いていました。





次は 椿橋 橋の名前から色々想像しますよね。
でも、ここもコンクリートで補強されて全く見えません。
隣で新しい橋の建設中で左官の職人さんが作業中でした。
ここは椿橋ですか?とお聞きしました。
地の者じゃないからと言われましたが、愛想よくどこから来たのか・・
とか聞いて下さいました。
もしかして新しい橋が出来たらコンクリートの中で眠っている石橋に
目を覚まさせてあげるのかな。。。。   

そういうわけで写真は入れません。お好きな椿橋を想像してください。

その次の機織橋は大正11年と比較的新しいんですが とても風情のある橋でした。
機織(はたおり)の名前もいいですね。写真はまたの機会に。。。。

そして小岩野橋です。
ここは一目ぼれしました。架橋年も石工も不明ですがこれまた風情ある橋です。




少し上に上がると椿が咲いていました。川には落ち椿が浮かんでいるんですが
私にはとても撮れません。




もっと上に上ると今度は満開の梅の花と椿が眼下にありますが橋が小さすぎ 
”花より石橋” の私としては。。。

ここでお弁当です。早朝から動き回っているので美味しい。。
と言っても基山パーキングでもお弁当頂いたんですが。

次が10番目にで ”坂貫の刎橋”niemonさんが見つけられたんだと思います。
目にはつくんですが、アスファルトかな・・でもよくみるとその中から
石が顔を出しています。この橋は通り道で見つけ わぁ新発見かも・・・
と色んな角度で写真を撮りました。
そうそうないですよね。”坂貫の刎橋”をご紹介します。




そしてその次は 告乗橋(つげじょうばし)です。架橋年石工とも不明です。
コンクリートで覆われ石橋とは分かりませんが ここも工事をしていたので
この厚化粧(?)を剥がしてくれるのかなぁ と希望的に。。
ここは橋よりも集落の感じが こう。。。よかったですよ。
半鐘が盗まれなければ・・・と願う変なご時勢です。





次に探すのは井竿橋です。でも探している途中で”西の鶴橋”を見つけました。




周りの風景に溶け込んだ小さな橋で、高い位置にあります。水の量も少ないので
四方八方から撮りました。下からも撮れる数少ない橋なんですが 足が滑って
片方の靴が濡れてしまいました。
まぁ 26日といえば汗ばむ暑さで 私は真ん中に着ていたブラウスを
脱いだくらいでしたから 靴もそのうち乾きました。


さぁ 井竿橋を探しに行きます。


追記 どんこさんへ


追記 niemonさんより

告乗橋はここには写真を載せていませんが 私達が告乗橋と思ったのは
さんが橋でした。撮った親柱にもはっきりそう書いてありました。
したがって 半鐘のあるすてきな地区は 三加地区です。
niemonさん ありがとうございました。


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石橋探訪・・・今日は美里町に行きました。3人組です。(日付変わりましたね)
まず最初に行ったのは堅志田橋  ナビの使い方も少しは 慣れてきたし
見つかりました。幸先いいスタートです。
架設年は大正時代と推定 石工不明(熊本の石橋313)より。
堅志田橋をご紹介します。






つぎの風呂橋はちょっと難儀しました。まず堅志田橋から出た所で方向を間違え、
やっと戻ってきて目印の曲がり角RICから700mなのに100mと見間違え 
カントリーパークからRIC まで引き返す。。。
結局又 カントリーパークの中だったのでそこまで行ったけど誰もいなくて
分からない。ゲートボールをされてるグループがおられたので聞くと
その運動場の隅から杉木立に下りる道があった。車は見といてあげるから と
言われそこにおいて 降りていく。。。

とっても風情のある水路橋でした。





架橋年も石工も不明ですがミニ通潤橋的な存在と・・・313に書いてありました。
こういっちゃあなんですが お風呂場の床は昔こんなタイル模様が多かったですよね。






横にこんなのもありました。





苔で滑りそうでしたが 恐る恐る渡りました。水路になっています。





運動場を戻りながらゲートボールの方に大声でお礼を言ってかえる。

次は白石野橋です。ここも大正時代ですね。





梅が咲いていたので一緒に撮りたかったのですが 下には下りられませんし
半分しか見えずちょっと残念でした。



そして古米橋(ふるよねばし)です。ここも架橋年 石工 不明です。
その上 ちょっと頭が混乱して。。。違っていたら
明日訂正します。





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ついこの間 還暦だと思ったのにまた3月が近づいた。。ウソでしょう。。。
でも免許証更新の知らせが来ました。

義兄はトンネル内進路変更で 青色 5年 姉は一旦停止違反で 青色3年
姉は"一旦停止違反がトンネル内進路変更よりも軽微な違反"と思っていて 
自分が3年なのは「おかしい」といいます。


そして私は一昨年12月 17kmスピード違反です。その時おまわりさんから
ゴールドはなくなりますと言われました。わざわざそういわれたんだから
ゴールドはなくなるけど 5年はあると解釈していました。

姉いわく"軽微な違反は 青色5年貰えるけど、スピード違反はもらえん"
そうかなぁ そんなはず無い・・・おまわりさんは言わなかった
"イワンでも当然・・・一旦停止よりもスピード違反の方が悪い"と。。。。


でも一旦停止違反は危ない! スピード違反は17キロくらいならとりあえず
危なくはない・・・(遠賀川の堤防  しかも夜)

更新のお知らせが来ました  ヤッター 青色5年でした。
信じるものは救われる。。。。こんな時に引用する言葉じゃないですね。

それにしても みんな自分の罪は軽いと思っているんですね。。。反省!


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風紋  


先日 すごく風の強い日がありましたよね。
あとで春1番の発表がありました。
海に行くと 今まさに風紋が作られているところでした。
風神がふぅーっと吹いているのが見えるような気がしました。

風で砂が煙っているのが分かるような写真を撮れませんが
立っておれなくて車の中からです。
それでも飛ばされそうで怖くすぐ帰りました。





そして翌日もう1度行きました。
まだ風が強かったんですが、空は真っ青でした。




上は車から撮りましたが 何とか降りられそうで 砂浜に行って見ました。入り口です。





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昨日は母の13回忌でした。




思い出すと申し訳なさでいっぱいです。
間質性肺炎でした。学歴は無いのですがとても頭がよく気持ちもしっかり
していました。
最期は人工呼吸器をつけました。兄が旅行中だったためです。
このことが自分を責めます。

それでなくとも、呼吸ができなくなり危篤状態になった時、数日間呼吸器を
つけたんです。その後、大量のステロイド(?)で奇跡が起こったように
元気な(もちろん動けませんが)数日を過ごすことが出来ました。
これは先生のご厚意だと思います。
奇跡の数日の間・・・・母は自分が死に行く事をまるで気づいてなく
生き返ったことを先生に、看護婦さんに、私達に笑顔で感謝の気持ちを 
そのたび伝えました。

「天井から青々した草がぶら下がって 大根とか実がなっとうのがみえる。
退院したら野菜をいっぱい食べなさいという事やろうね」 っていいます。
そこまではいいんですが 「あんたたちはみえんと?」
。。。。。 みえるわけがない。。。
けっしてぼけては無いんです。幻覚でしょう。。。

指遊びをしました。子供の頃 話や指遊びをいっぱいしてもらいました。
元気付けるために最後の子守唄と思って。。。

両手を向かい合わせて同じ指同士をカチカチしながらうたいます。
母の手と私の手で しました。

普通の病気の時だったら気恥ずかしくてとても出来ません。

(親指からです)
おやおやけんかして(親指)
子は子は ないた(小指)
ひとさまわらう(人差し指)
なかなかすまん(中指)
べに屋(紅)ですんだ(薬指)

産んでくれてありがとう とお礼を言うと 産んだだけ といいました。


これは一時的であること、次に呼吸ができない時は最期だと言われていました。
それなのに旅行のために調整したんです。
先生の言われたとおり 奇跡ではなく その日が来ました。


切開してなく 口からで、もう作り笑顔も見られません。


今日は兄が帰ってくるという日です。 その時間を待たずに私達(姉妹)は
呼吸器を外していただきました。弱弱しい声でしたがアイスクリームを
食べさせる事ができました。


そして今度は自分が死に行くことを 気づいていたと思います。

4人姉妹交代で24時間ついていました。

血液を採っていました。ジャムのように固まっています。体重を量りました。
シーツごとハンモックのようにしてです・・・・。
何のためなん?
人間がこのあとどう死んでいくか データをとるため?

いったい人間って死んでいるんでしょうか 。。。。。。。。。。。。。
そして私はどのように。。。。。。。。。。。。。。


最期の日 婦長さんが
痰の吸引の仕方を指導してくれました。
短い残り時間を家族だけで過ごさせるためです。

電気が眩しそうなので消そうか・・・というと頭を振りました。
きっと眩しくはなく暗かったんだと思います。
妹と私が両側で手をとっていました。はずしたほうが楽かな と思ったけど
それもそのままでした。
妹に あんたもお礼を・・・と促すと 妹も ありがとうを言いました。



もしも看護士さんのご家族とか医療に詳しい方が これをご覧になって
不快に思われたらすみません。



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大宰府に行って"橋の写真は撮らなかったのか"って?
そんなわけないです・・・・人も多く見にくいでしょうがご覧くださいね。
生憎の空模様で、しかも古いカメラを持って行きました。
何故って・・・・  近い内に石橋探訪予定だから。。。。 
充電するのはその日までとっておこう・・・。バカでしょう?

朱塗りの過去 現在 未来の橋
参道で最初に渡るのが 過去橋・・・ここを渡る時は振り返ってはいけません。




次は現在橋  過去と未来が見えています。向かって右が過去 左が未来です。

橋の下の池は心の形(漢字の心)。過去現在未来 仏教的(?)ですね。




そして未来橋です。私にも若い人と同じ長さがありますね。




境内に着きました。 とても人が多く 途切れた所を撮った積りですが・・
境内橋があって左右それぞれに側橋(今作りました)で幅が広くなります。
渡らなくても入れるんですが正面だから皆さん通られます。





さらにその池の左右の端っこに耳のように二つの小橋があります。本殿に向かって右側です。





そして 左側です。




大宰府に行ったのは18日(日) 昨日19日は友達のお誕生日でした。(79歳)

ご主人のお好きな"東筑軒のかしわめし"を持っていって一緒に頂きました。
なんて安いプレゼントでしょう。

でも堰を切ったようにお話される友達に会って、ホッとしました。

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土曜日は 12月、1月と工事の為中止だった特養ホームでの音楽会でした。
コカリナは二人。。。。今回はピアノとサックスの方の最初の曲が "青い山脈"
だったので のりがよくお年寄りがとてもお元気でした。
♪清水港のめいぶつは~ というのと"星の流れに" 
これがサックスにぴったりですよね。 しびれました。

そのあと歌手のナオミさん。
蘇州夜曲 1番と3番を唄われましたが 3番の詩 最高に好きです。
西条八十です。すてきですよね。



  「蘇州(そしゅう)夜曲」
       西條八十作詞・服部良一作曲
 
 
君がみ胸に 抱かれて聞くは
     夢の船唄 恋の唄
水の蘇州の 花散る春を
     惜しむか柳が すすり泣く

 

花をうかべて 流れる水の
     明日のゆくえは 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿
     消えてくれるな いつまでも

 

髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
     君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
     鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)


日曜日 お友達ご夫婦と国立博物館に”若冲と江戸絵画展”を観にいきました。
とにかく雨の日曜日・・濡れずにいけるところですし
立錐の余地も無い混み様でした。

若冲の絵は観る目を持ち合わせてない私でも 紫陽花双鶏図 と 猛虎図 が
やっぱり「聞きしに勝る」感動でした。



丸山応挙も私は京都で幽霊の絵を観ましたが今回は美しい屏風でした。

私が一番好きだったのは 酒井抱一の「佐野渡図屏風」
初めて観たのですが小ぶりの屏風で金地に雪がぱらぱら(少し)みえます。
金地が雪そのもののようです。
藤原定家の歌の様子を描いたもの・・・

駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮(新古671)

どうしても物語が分からないと意味が分からないから やはり歌があるといいですね。
袖うちはらうかげもなく雪を手でよけている。。。そんな絵でした。

天満宮は本当に人が多く写真なんか撮れません。
裏の裏の方です。
こんな句碑がありました。





紅梅に たちて 美し 人の老  風生
「老い」 だけに反応してしまいました。


食べ物の話が出ていませんね。
お昼は箸巻き(御箸に巻いたお好み焼き)200円、焼き鳥のさざえ 500円
おせんべい 七味味120円  いずれも外で。。。。



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香春町・・・でも赤村なのかな?

昨日 またの機会に といった分で、昨日の№3の少し先です。
こんなポスト少ないですよね。以前彦山駅にもありました。
レトロな油須原駅をご紹介します。




太祖神社を過ぎて、小内田多目的集会所の前に
              潰してしまった煉瓦橋梁がありました。
数メートル先にコンクリートの橋梁が並んでいます。




№5の少し先です。
又も潰した橋梁です。今度はきっちり並んでいます。



裏に回ってみると全部コンクリートで塗り固め四角の穴だけがあります。

採銅所から電池も切れたし 真っ直ぐ帰ろうと 車を進ました。

高座石禅寺という案内標識が見え、niemonさんのHPが頭の中で
    パラパラパラとめくれました。

神宮院の近所だし猿もいるかもしれない・・・行って見ました。
境内の左側に池が見えています。あそこにある筈なんだけど・・・・。
鐘楼もあります・・・ 真正面から見ると きれいに箒目があり
どなたもいらっしゃらないようで入れませんでした。

人がいたらヘッチャラなんですけど無人だととても小心なんです。
残念ながら前まで行っているのに、電池もないし
  足止めされたように動けない。又おいでということかな。。。。

山頭火の歌碑 と石の5徳を とりあえず。。。。

"そこもここも 岩の上には 仏さま"






"黙々として 山岳庭園などに趣を添え 人身を和らぐるは石なり"

石橋のそばに行くと落ち着くわけですね。

今回の香春町 これで終わりです。次はどこに行こうかな。。。

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先日、香春町に3連橋を観に行った時、いくつかの煉瓦橋梁を見つけました。
勾金→内田→採銅所の順に3連橋を観る間のものです。
JRと平成筑豊鉄道の両方があるし、位置が違うかも知れません。
また鹿児島本線のように名前が書いてなく分かりません。
形や煉瓦の積み方など 写真だけ見て下さい。


№1 まずもうすぐ内田というところにありました。(方向は?笑)





反対側です。白い文字らしきもの読み取れませんでした。





№2 それから内田駅の少し先(これまた方向は?笑)です。





幅は2.3mくらい 長さ21歩(15mくらい)でした。反対側です。





№3 次は油須原駅の少し手前です。戸城山公園登り口と書いてありました。




ここは長さは50歩ありましたよ。裏は美しくなかったです。


№4 その次です。油須原駅の少し先



太祖神社があって緑色の橋がありました。裏側です。




№5 次です。町営住宅のようなのがあり、公園がありました。その前です。





反対側です。






そこから不思議なことに内田3連橋の裏側に着きました。信じられません。
内田からナビで採銅所を設定して進んだのに・・・。
狐につままれたようです。それに・・・・それに・・・もしかして・・・
№2と№4って同じですか?
時間は違うんですよ。狐さん 答えてください。


№6 そのあとです。



反対側です。
 




煉瓦橋梁は多いんですね。
他にもお見せしたいところがありますが又の機会に。

もしもこの先、見に行かれる方がおられたら、私の場所説明は参考に
なさらないで下さいね。

案内してくれたのは 狐ですから・・・コンコン!!

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