モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



コロナ、コロナの年も 終わろうとしています。 自分のことを静かに振り返ってみたいと思います。

まずは1年を通して会社は休まず(週一ですが)決算も無事済ませたことは 健康だった証拠ですね。

ベランダのコケ玉シクラメンです。

 

2月 前々から行きたかった白川郷・金沢 の旅行をしました。残念ながら雪は全然降りませんでした。

 

3月から パソコンの会も コカリナも 地域の体操教室も 新型コロナ感染予防で公民館使用禁止で休止

毎月訪問していた高齢者施設の コカリナ訪問も中止 ベランダのアンジェラちゃん

 

 

4月12日 亡父の三十三回忌 食事会は取りやめ(ホッとしたものです。) 法要のみ

ベランダの寒菖蒲です。 小さな鉢に多すぎて花が咲けない 少し伐ったからこれから花が増えるかな?

 

7月 パソコン 地域の体操は 再開  一昨年東京で孤独死した友人の3回忌 3人で執り行いました。

サポートしている友人の施設へのお見舞いは自由にはできない 許可を貰って ロビーで10分程度

 

8月24日 私は亡母と同じ年と日にちになり 9月15日 母は生きていれば100歳の誕生日 

日にちを記憶するために有名な御朱印を頂きました。 田川郡福智町 岩屋神社です。

 

10月 少しコロナも落ち着き GoTo トラベル 11月になって友人達と京都旅行しました。 

泉涌寺の楊貴妃観音さんに会えたのは嬉しかったです。

 

 

わが町では 恒例の 岡湊神社夏祭り 花火大会 精霊流し はねそ盆踊り 航空祭 砂像展 すべて中止

明日からの新年 まず私は感染するわけにはいかない 世界中のコロナが少しずつ 収まりますように

 

高台寺圓徳院で頂いた 疫病退散のお札です。

 

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今年1年 お付き合いありがとうございました。 どうぞよいお年をお迎えくださいませ。



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長々とご紹介した京都の旅 最終編となります。 渉成園(しょうせいえん)をご紹介します、

石橋だったかと思わせる石もある高石垣です。高台寺からバスで京都駅に戻り また歩いてきました。

 

庭園の入り口です。

 

建物は滴翆軒 ホント緑がきれいです。隣に映っている灯籠が名物のようです。

 

ちょっとぼーっとしてますが 灯籠の部分切り取りますね。 檜垣の灯篭です。 銘の由来についてははっきりしないそうです。

 

桜の紅葉だったと思います。 小径が自然な形なのも嬉しいです。

 

 

傍花閣 桜の頃 みたいですね~

 

印月池と浸雪橋  浸雪(しんせつ)という言葉を初めて知りました。

 

夜じゃないんですよ。 逆光です。 京都タワーですね。

 

橋好きの私にとっては 3つも橋が見えるなんて 嬉しいです。 小橋が、、いくつもあったので 【私の宝物】で改めてご紹介します。

 

回棹廊(かいとうろう) 北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋です。 

説明はすべて 頂いた冊子より抜粋しています。

 

源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔  嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓を賜って臣籍に下りました。

源氏物語の主人公 光源氏のモデルの1人だそうです。

 

もしも紅葉バッチリの季節だったら ガラスに映った、私のこの写真 きれいだと思うんですが・・・・

紅葉にはちょっと早かったんです。

 

 

 

長々とお付き合い頂き有難うございました。  京都旅行記 これでおしまいです。

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高台寺 圓徳院に 3枚共通のチケット、掌(てのひら)美術館があります。 サッサッサーっとみました。

出口には 三面大黒天があって 受付の方が ここにお参りすると素晴らしい事があるって パワースポットだとのこと

 

御朱印も三面大黒天さんです。

今回の旅行 私はこの日 身内の手術のために ひたすら祈っていました。

もう40日以上経っています。手術は無事に終わり会社に行ってます。きっと 私のおかげです。

 

ここでは新型コロナウイルス終息を願う 疫病退散 のお札を頂きました。(もちろん無料です。)

もう境内を出ています。 触れられる三面大黒天さん このポスター 東山 路傍の触れ仏 探してみたいなぁ~

 

次は・・・テレビのドラマで 京都といえば出てくる景色ですね。 

 

八坂の塔です。

 

八坂の塔があるのは 史跡 法観寺境内です。紅葉し始めた頃でした。

 

まだまだ歩きます。 タクシーには一度も乗っていません。ひときわ色鮮やかな門がありました。

 

一つ一つの玉?には願い事が書いてあり この拙い写真でも切り取ると読めますが 一生懸命祈られたと思うからこの大きさにとどめました。

 

八坂の庚申堂(こうしんどう)です。 ご本尊は 青面金剛です。

 

以前小豆島のお遍路でお聴きしたお話を思い出しました。

庚申堂のいわれ 私たちの体には、三尸(さんし)という3匹の虫がいて 普通は出ることができない

3匹の虫は 人が死んだら自由になれる。庚申の日だけ身体から出ることができ、そしてその時に 私たちの寿命を縮めようとする。 

そこの庚申堂には 三尸を食べるという 青いお不動様がおられました。  

 

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秀吉の妻 北政所(きたのまんどころ)ねね終焉の地 圓徳院(えんとくいん)をご紹介します。 

入口で高台寺の共通チケットから切り離します。

 

手水鉢 ツワブキの花が咲いています。 私はお遍路をずっとやってて 手水鉢を ちょうずばち と言っています。

ここで 友人が てみず っていいました。 私よりも ずっと 文字や言葉に係わっている友人です。お寺にも神社にも・・

ネットで調べたら てみず で載っていました。ちょっとショックでした。 もちろん ちょうず でもいいんですよ。 

 

長谷川等伯の障壁画です。冬の絵 本物ではないのですが 説明を聞いてホント感心しました。

一面に桐の紋があります。

 

私の下手な説明よりも これを読んでくださいね。

 

そのうえで 絵を観たら・・・ 桐のご紋が ぼた雪に見えませんか? 

 

仏間の方は鶴でした 解放部には 大きな阿弥陀像があり 数えられないくらいのお位牌がありました。

 

お庭の中に趣のある小路があるのですが ガラス越しで 撮れませんでした。

 

秀吉 と ねねさんの お軸がありました。 ちゃんと 一段高いところに右側が秀吉です。

ねねさんは次の間 左側です。

 

これも説明は 読めるかな?

 

そのうえで・・・ 秀吉像です。

 

北政所 ねね です。いつでも動けるように 立て膝です。

 

掛け軸のお部屋の奥の広間に面して お庭があり お座敷からゆっくり見ることが出来ます。

待望の小さな石橋があったんですよ。

 

 

御朱印です。

 

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歩いて歩いて ここに着きました。 高台寺 拝殿です。

入館料は、高台寺・ねねさんが過ごした圓徳院・掌美術館と合わせて900円でした。

 

高台寺は、慶長11年(1606年)秀吉の没後に北政所、通称ねねが出家し開創しました。

 

前回2006年に行った時は 円山応挙の幽霊の絵を観ましたが・・・

 

お掃除をされている方は 人形かと思いました。 おしゃべりもせず よそ見もせず ・・・奉仕の方でしょうか。。

遺芳庵(いほうあん)という茶室です。

 

庭園がすばらしかったです。

 

廊下は通れず 通路からまわって・・・建物は開山堂です。 開祖のほかに ねねの兄も祀られていました。

 

廊下から見たら 全部を海としたら 波間に見え隠れする龍でしょうか・・・ (かな❔と思いました。)

 

偃月池です。

 

ここの紅葉は美しかったです。 京都のお寺はお庭が見ものですね。

 

皇室の5本線だから 勅使門ですね。

 

霊屋(おたまや)です。

 

坂道を上りましたが ここは 臥龍廊(がりょうろう)と言われる廊下があります。外から見たら龍のようでした。

 

傘亭 茶室 重文です。

 

こちらの茶室は 時雨亭です。

 

高台寺の御朱印です。

 

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清水寺の、もう一つの三重塔 子安塔(こやすのとう)です。

聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられているが、その創建時期は不明。 

現在の建物は、1500年(明応9年)の再建で高さ約15メートルの三重塔(重文) (ネットより)


残念ながら中には入れませんでしたが、 堂内には子安観音(千手観音)が安置されているそうです。

安産の神として信仰を集め、三年坂は 子安観音への参道であったということです。(ネットより)

 

通り道の小さな仏さんですが まるでお供えしたように 落葉がありました。

 

音羽の滝です。今から60年前 中学の修学旅行で(こんな立派じゃなかったけど) 頭がよくなる水を飲んだけど効き目はありませんでした。

 

飲む順番が回ってくるまで私は美しくなるという水を飲みたいと思っていました。
それなのにいざ自分の番になると、ためらいもせず(?)頭のよくなる水を飲みました。
頭なんかどうだっていい。あの時美しくなる方を飲んでいたら 私の人生変わったかも知れません。
、、、、、、、平成8年の旅行記より

 

 

その音羽の滝の御朱印です。 阿弥陀堂の 一字一字とは逆で すごい速度で一気に書かれ それはそれで見惚れました。

 

もうだいぶ歩いているし・・ 舌切茶屋 寄って寄ってと私を引き止めるものですから・・

壁がないから 蜜ではないし。。甘酒を頂きました。

 

1ヶ月以上前のことで 紅葉には少し早かったんですが きれいな所もありました。

 

清水寺を後にし 参道です。後姿の猫ちゃんが可愛いです。

 

どこにでもあるけれど 私は トトロが大好きなんです。

友人は 亡くなった御主人との思い出の小路を探していました。

 

歩いているのは三年坂(産寧坂)5分くらい前に 行先を決め 高台寺に向かっています。

 

マップに描いてある通り 坂本龍馬が出てきました。

マップの終点 八坂の塔が見えてきました。 まだまだ続きます。

 

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豪華な御朱印の岩屋神社 裏に回ると駐車場があります。本殿が東を向いているとしたら 西側です。

 

鎮守の森を歩きます。 灯籠がありました。

 

本殿です。 間に建物を挟んで左に拝殿が少し見えています。 拝殿は前回ご紹介した大きな大黒様の絵馬があります。

 

境内社の貴船社です。

 

郷土愛の強い甚兵衛という人が 権現として祀られている 飢饉のときに自分の種籾を食べずに配って 自分は亡くなった

ということが書いてあります。

 

岩屋神社をご紹介しました。 

ここからは週2回くらいのう5,000歩ウオーキングです。 ベランダから見えるSL公園に 【無限列車】があります。

鬼滅の刃 会社の同僚が貸してくれた漫画、1ヶ月になるけど読めないんですよね。頭に入らん 

 

役場の職員さんが 段ボールで作られたそうです。 子供たちが大喜び

 

白い松ぼっくりの ヒマラヤ杉はすっかり実が落ちてしまいました。 実は風にひらひらと1枚ずつ剥がれていき てっぺんの 薔薇の形の部分が落ちていました。

 

ヒマラヤ杉の隣り 大きなサザンカも 散って足元を飾っています。

 

ススキに日がさしてきれいです。

 

西日を浴びて メタセコイヤが紅く生えていました。

 

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京都は一休み、近場です。 御朱印帳の2ページ分 屏風畳みですから 広げて描いてあります。 

妹のと比べると 少しずつ違います。 もちろんこれだけの画ですから その場ではできません。 

全国から希望者があって、9月にお預けして 受け取ったのは、12月11日でした。

 

季節によって 色々ありますが の中から 私が選んだのは 【十五夜】と この神社の名物【キンモクセイ】です。

どの画にも大黒様はいらっしゃいます。 私達は近いから受け取りに行きましたが 郵送もされています。

 

9月15日 亡母の百歳の誕生日の記念にと 妹とお参りしました。

お寺にも行きましたが こちらは 田川郡福智町 岩屋神社さんです。拝殿にも大きな大黒様。

 

少し下がって 拝殿の全容です。 (9月15日)

 

もう少し下がって 拝殿に続く 石畳の道です。

 

同じ道を 御朱印を受け取りに行った12月11日 3ヶ月で風情が変わりますね。

 

さらに下がると階段です。 階段を下りると狛犬さんがあります。

 

同じところ 2歩 後ずさりしたら鳥居があります。

 

そしてまた階段を下りたら石柱の門があって その右側に御朱印に描かれている大きなキンモクセイの樹があります。

万治元年(1658)神社の創建と同時に植えられたそうです。

 

さらに下がります。 上の写真は9月ですが こちらは12月です。大きな鳥居があって 大きな狛犬さんがあります。

 

狛犬 9月  生き生きしていると思います。

駐車場は ここを右に通り過ぎ 左折、まわったところ 保育園の隣です。 そちらからも色んな史跡がありますのでまたご紹介します。

  

 

ここまで下がった景色が 道路から見える所 ナビが 教えてくれる場所です。 

こちらの御朱印は作品?ですから UPする旨、宮司さんにお知らせしたところ 快諾して頂きました。

 

宮司さんのブログです。『岩屋神社 神主のブログ』 https://ameblo.jp/iwayajinshiyaookuninushi/ リンクしていません。 ご興味のある方は検索してくださいね。

 

 



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まるで包帯のような痛々しい姿の【清水の舞台】です。 修復完了前のことです。

3年間の工事を終え、この12月3日から公開されているそうです。京都の紅葉は 今 美しいでしょうね

 

 

十一面千手観世音菩薩 残念ながら 秘仏です、 本堂の御朱印です。

 

釈迦堂です。

 

前の記事で 本堂から見た阿弥陀堂をUPしています。 その阿弥陀堂です。

建物ばかり撮ってますが お参りはそれぞれしています。 撮影はできません。 

 

ここ阿弥陀堂の御朱印 若い女性ですが それはそれは一字一字丁寧に書いてくださいました。

 

阿弥陀堂の方から見た 本堂です。

 

清水の舞台から飛び降りる というけど 本当に飛び降りた人がいるんですね。高いですよ。

 

京都の町が見えます。 京都タワーも見えました。

 

毎年末に 今年を現す漢字1文字 こうして募集していました。 昨日14日 発表があり 今年を表す漢字は【蜜】でしたね。 

 

もう入館料の要る所は通り過ぎ 自由に散策できます。 京都の人はいいですね。

 

ここの紅葉は綺麗でした。私の好みです。

 

もう一つ三重塔がありました。 行ってみることにします。 トリミングしてますが結構離れています。

 

小高いところから 本堂が一望できました。 この先、京都に来ることはあっても この位置まで歩くことはないでしょう・・

見納めかもしれない・・

 

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京都2日目です。バスで清水寺に行きました。楼門が見えました。側面ですね。

 

正面から入りなおすと 仁王門でした。 

この写真は 帰る時に撮ったのですが 修学旅行の生徒たちが記念写真を撮っていたので この写真を選びました。

 

狛犬さんも大きかったですよ。

 

平成19年に発願し 20年に寄進された 平成の梵鐘です。(案内石碑より)

 

三重塔 現在の三重塔は、1632年(寛永9年)に再建されたもの。 高さは約31m 

1987年(昭和62年)の解体修理によって桃山様式の極彩色が復元されたそうです。(ネットより)
 

 

上の写真は光線具合でで暗かった三重塔ですが  確かに極彩色です。隣の建物は経堂です。

 

朝倉堂 

応仁の乱の戦火で全焼した清水寺が復興された時に、清水観音を信仰していた越前の朝倉貞景が、本堂を模した「法華三昧堂」として寄進したもの。(ネットより)
 

 

ここは轟門(とどろ門)本堂への入り口 で ここからは入館料が必要です。扁額には 普門閣と書いてあります。

 

おっと その前に 轟橋(とどろばし)です。

 

紅葉と緑が重なっていました。

 

本堂にいると 本堂の写真は撮れませんからね・・ 本堂前の舞台から見ています。

阿弥陀堂 寛永再興期の再建で 重要文化財 (ネットより)

 

右側 奥の院です。 1633年(寛永15年)の再建 重要文化財 清水の舞台から撮ってますので  

この建物の方に行くと 本堂と清水の舞台が観られます。 まだ工事中でした。続きはまた。。。

 

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