立ちのぼる生命 宮崎進展

2014-06-11 12:06:51 | Weblog
宮崎進…
1922年に山口県徳山町生まれ。
20歳で日本美術学校を繰り上げ卒業し広島の部隊に入隊するも、外地勤務を希望しソ満国境守備隊所属となる(原隊は1945年原爆により消滅)。
1945年8月、後方への伝令中に部隊は玉砕。
敗戦を迎えソ連軍による武装解除を受け、シベリアに抑留される。
1949年12月、ナホトカから舞鶴に引き揚げ。
戦後、取材に基づく写実的な作品を展開し、1967年に≪見世物芸人≫で安井賞受賞。
1974年には鎌倉市にアトリエを構え、今尚創作活動を展開している。

1950年代から近年に至る主要作品約70点の絵画と約10点の立体作品に、スケッチ類や取材写真などを加え、1.原風景 2.忘れえぬ人びと 3.花咲く大地 4.立ちのぼる生命 5.創作の現場
の5章から宮崎進の人と芸術の全貌を回顧する展覧会、とのこと。


シベリアで抑留された画家と聞くと、真っ先に浮かぶのは香月泰男だが(宮崎は帰国後に香月のもとを訪れているらしい)、三十代で召集~抑留された香月と二十代で同じ体験(と言って良いのかどうか…)をした宮崎とでは、受け止め方も表現も違って当然であろう。

合板にドンゴロスと呼ばれる麻袋を貼り合わせて作ったキャンバスに絵の具を塗り重ねる手法に辿り着いた時、画家は自身の体験を表現できる手応えを感じたらしい…。
作品によっては縦横2mをこえる巨大なキャンバス。
ドンゴロスの凹凸やほつれた様も、表現の一端にそのまま使われる。

永久に出ることが叶わぬ≪ラーゲリの壁(コムソモリスク第3分所)≫や不安と絶望ばかりの≪男の顔≫、希望や憧れなどは欠片もなく虚無感に包まれそうな≪冬の鳥≫など、どこまでも暗い色調にただ圧倒されるばかり。
抽象的表現であるだけに、タイトルを確かめ注意深く見なければそれとはわからないが、丁寧に見続けるうちに自分が画家と同じ空間に立ち一体化しているような気持ちになってくる。
3章の花咲く大地ではこれまでの暗いトーンから一転、赤や黄土色の作品が展開し、凍土シベリアの春が表現される。
この展覧会のタイトルになった≪立ちのぼる生命≫という立体作品でのみ青色が使われているのが象徴的、か…。


ところで、抽象的表現は独りよがりと紙一重の印象があるが、宮崎進の作品に関しては体験を敷衍する上での有効な手段だったような気がする。

立ちのぼる生命 宮崎進展神奈川県立近代美術館葉山にて6/29(日)まで。
JR逗子駅又は京急新逗子駅からのバスは、平日日中で15分おき。
美術館はバス停の真ん前で、出掛けてみれば案外便利(笑)。
好みは分かれるでしょうが、得難い機会と言えるのでは…。