とは申せ、日当たりの良いところでは半袖で過ごせるような陽気です。
ちょっと歩くだけで汗ばむような…。
でも、夜の冷え込みを考えると、上衣持参になるのですよね。
持参の飲料をペットボトルから水筒に切り替えたこともあり、荷物が重い(ーー;)
昔々…JRがまだ国鉄(日本国有鉄道)だった頃の話。
確か、昭和51、2年だったと思います。
運賃が値上げされて間もなくの時期のある日曜午後、上野発常磐線快速電車の発車を待っていました。
車内は八~九割方席が埋まっていたでしょうか。
私の前のシートには夫婦と子ども(小学生)三人の他にこの家族とは無関係の大人が一人座っていました。
空席は一人分です。
そこへ、一組の中年夫婦(五十代位)が乗車。
先ず、妻は夫を空いた席へ座らせました。
それから子連れ家族の前に立ち、徐に大きな声で先ず、国鉄の運賃値上げをぼやきます。
次に、子どもは立つのが当たり前だしそもそも運賃をちゃんと払っている大人が立って半分しか払っていない子どもが席を一人前に占領するのはおかしいと、周囲に同意を求めるような喋り方をしたのです。
ううむ…当時中学生の私は大人の運賃を払っていましたが、年少者が年長者に席を譲る意味合いでは立つべきかもしれない…でもこのオバサンには譲りたくない(苦笑)。
同調する声はないまま(皆さん知らん顔ですよね)、目の前で幾度か繰り返される話に根負けしたのか、一家五人の母親(オニの形相でしたね)が隣に座っていた父親(つまり夫ですね)に合図を送って無理矢理立たせ、そこにかのオバサンを座らせたのでした。
これには内心驚きましたよ。
フツー、ここは子どもを立たせるところでしょ。
子どもは三人とも具合が悪そうには見えませんでしたから。
そんな妻に従う夫もどうかと思いましたが…。
オバサンは、「あら、ありがとうございます」か「すみませんねぇ」か何か言いながら座って、途端に大人しくなりましたねぇ。
子どもではなく大人が座っていた席でいいのか、と突っ込みたくなりましたっけ(苦笑)。
言ってることだけは、そこそこ正論だったオバサン(苦笑)。
当時は『ダメおやじ』のオニババが連想されました。
考えようによっては、見ず知らずの他人に説教(と言って良いのかどうか…)できた最後の世代なのかもしれません。
他所の子を叱る大人も、他人の世話をやく大人も、とんと見なくなりました。
私自身、気にしながらも『見猿言わ猿…』で遣り過ごすことがほとんどですから…。
声高な自己主張ばかりでは困りますが、一歩距離を置いた視線からの注意は何時の時代も必要なのかもしれません。
それが差別や切り捨てに繋がらないように気を付けながら…。
ちょっと歩くだけで汗ばむような…。
でも、夜の冷え込みを考えると、上衣持参になるのですよね。
持参の飲料をペットボトルから水筒に切り替えたこともあり、荷物が重い(ーー;)
昔々…JRがまだ国鉄(日本国有鉄道)だった頃の話。
確か、昭和51、2年だったと思います。
運賃が値上げされて間もなくの時期のある日曜午後、上野発常磐線快速電車の発車を待っていました。
車内は八~九割方席が埋まっていたでしょうか。
私の前のシートには夫婦と子ども(小学生)三人の他にこの家族とは無関係の大人が一人座っていました。
空席は一人分です。
そこへ、一組の中年夫婦(五十代位)が乗車。
先ず、妻は夫を空いた席へ座らせました。
それから子連れ家族の前に立ち、徐に大きな声で先ず、国鉄の運賃値上げをぼやきます。
次に、子どもは立つのが当たり前だしそもそも運賃をちゃんと払っている大人が立って半分しか払っていない子どもが席を一人前に占領するのはおかしいと、周囲に同意を求めるような喋り方をしたのです。
ううむ…当時中学生の私は大人の運賃を払っていましたが、年少者が年長者に席を譲る意味合いでは立つべきかもしれない…でもこのオバサンには譲りたくない(苦笑)。
同調する声はないまま(皆さん知らん顔ですよね)、目の前で幾度か繰り返される話に根負けしたのか、一家五人の母親(オニの形相でしたね)が隣に座っていた父親(つまり夫ですね)に合図を送って無理矢理立たせ、そこにかのオバサンを座らせたのでした。
これには内心驚きましたよ。
フツー、ここは子どもを立たせるところでしょ。
子どもは三人とも具合が悪そうには見えませんでしたから。
そんな妻に従う夫もどうかと思いましたが…。
オバサンは、「あら、ありがとうございます」か「すみませんねぇ」か何か言いながら座って、途端に大人しくなりましたねぇ。
子どもではなく大人が座っていた席でいいのか、と突っ込みたくなりましたっけ(苦笑)。
言ってることだけは、そこそこ正論だったオバサン(苦笑)。
当時は『ダメおやじ』のオニババが連想されました。
考えようによっては、見ず知らずの他人に説教(と言って良いのかどうか…)できた最後の世代なのかもしれません。
他所の子を叱る大人も、他人の世話をやく大人も、とんと見なくなりました。
私自身、気にしながらも『見猿言わ猿…』で遣り過ごすことがほとんどですから…。
声高な自己主張ばかりでは困りますが、一歩距離を置いた視線からの注意は何時の時代も必要なのかもしれません。
それが差別や切り捨てに繋がらないように気を付けながら…。