20日、宮代町役場で、住民から出されていた「宮代町職員措置」に関する監査請求の陳述が行われた。職員の不祥事などに伴う懲戒処分は首長の人事権に属するものであり、その裁量の範囲を大きく逸脱していない限り監査請求になじまない事項であるところから、こうした監査請求が行われることは、全国的にも極めて珍しいと見られ、埼玉県では初めての事例とされる。
一度、懲戒処分が行われると、同じ事案で再度懲戒処分の変更が出来ないこともあって、首長の下した判断を是とすることが多い。
今回監査請求した住民は「そうしたことは承知しているが、今回の処分が穏当を欠き極めて不適切という住民の声なき声を代弁すると共に、この処分によって給与という形で公金が支出されるのは不当であると考え、今回、措置請求を起こした」と陳述した。
監査請求は9月27日付けで起こされ、監査委員の請求受理を受けて、10月20日、請求人及び町当局の陳述が監査委員の下で行われたもの。
今回の懲戒処分は、宮代町の発表によると「当該職員は、平成21年度において、請書を徴さず2件の業務委託を行い、その支払に際し添付書類を1件改ざんしたうえ、3件の文書に上司の決裁印を無断で使用した。また、埼玉県へ進達すべき2件の文書を適正に処理しなかった。さらに4件の決裁文書等を決裁未了のまま放置するなどの不適正な事務処理を行った」と言うもので、減給 10分の1 (1箇月)の懲戒処分となった。
請求者は「公務員は法律に基づいて業務を行う立場にあり、一般企業職員以上に厳正な仕事が求められている。宮代町は平成18年に懲戒処分の指針を作成しているが、これに照らしても甘い量定であり、停職が相当と思われる」とした。
これに対して宮代町は「金銭面など町民に対する物量的な損害は与えておらず、他自治体等の量定等と照らして見ても、甘い処分とは思われない。今回の不祥事は、個人のコミュ二ケーション力不足が発端であり、本人も十分に反省し、コミュニケーション力の向上に力を注いでいるので、首長の人事権、裁量権の枠内での処分であり、適当である」とした。
この監査請求の審査結果については、今後、監査委員から文書で公表される予定(時期は未定。監査委員は「早い時期に」としている)。
【監査請求の意見陳述を聞いて】
まず驚いたのは、議員が誰も傍聴に来ていないということである。
この問題が発生してから、6月議会、9月議会と2回の議会が開かれたが、この問題についての一般質問は一切なかった。
宮代町初めての懲戒処分事件発生というのにである。
監査委員は21年度決算報告監査報告の中でコンプライアンス問題の重要さを異例の字句を割いて述べているのに、議員からは全く声がない。
こうした議員の住民感覚との乖離に危機感を持った住民が起こしたのが今回の、監査請求という手段ともいえる。
人事案件は監査請求という場になじみにくいこともあってか、なかなか表面化しないが、今回は受理され、意見陳述まで行われた。その点では、住民参加を基本とする宮代町の良識が生んだ成果ということができ、その結論はどうであれ、大きく評価したい。
意見陳述は、人事という難しい問題だけに、細心の注意が必要で、私自身、どのように伝えたら良いのか迷った。結局、どろどろした世界を、意見陳述の場でろ過し、その上澄みを上記のようにお伝えしたというのが正直なところで、結局、問題は、そのどろどろした部分であるのだが・・・。
今回の、不祥事を私なりにまとめてみると、問題は3つ。
●一つは不祥事が起きた原因は主に個人の問題なのか組織の問題なのか。
個人の問題とするならば、そうした個人をどう指導し戦力化していくかという組織論ともつながる。
あるいは、そうした個人を採用に至った組織の有り方ともつながってくる。
宮代町の下した判断は「個人のコミュニケーション力の問題」ということのようだ。
では、そのコミュニケーション力をどういったやりかたで高めていくのかの組織としての対応を検討したのかどうか。または、これからの採用に当たって、どうしたフィルターをかけていくのか。
その辺が、住民に示されないと「またやってしまうのでは・・・」と不安で仕方がない。
事件表面化以来6ヶ月、住民にそうした説明は一切行われていない。今日の陳述でもその辺が聞かれるかと思ったが、やはり、なかった。
●もう一つの問題は、処分が妥当であったかどうか。
再発防止のためには厳罰が効果的かもしれない。
個人の再起を願うのなら温情が良いかもしれない。
その、バランス加減が、人事権、裁量権ということになるのだろう。
細かいところまで、事情を知っているわけではないので、私自身は判断がつかない。
ただ、懲戒決定にあたって、「信頼は失墜させたが、物量的に損害を与えたわけではない」という理由が述べられた。
思わず「逆だ」と声を発したくなった。
こうした姿勢で行政をやっていたのでは町民との間に信頼関係を築けないのではないか、こうした思いが今回の不祥事の背景となっているのではないだろうかとも・・・・。
私たち町民は信頼しているからこそ行政を任せているのであって、信頼関係こそが基本である。
時代劇的に言うならば「信頼、信用のためには腹を掻っ捌かなければならない」はずなのに。
●最後は上二つと重なるが再発防止に向けてどう体制を構築するか
コンプライアンスへの取り組みを再点検し、住民が納得できる形で示し、一刻も早く、失墜した信頼を回復に向けて動き出す必要があるのではないだろうか。
一度、懲戒処分が行われると、同じ事案で再度懲戒処分の変更が出来ないこともあって、首長の下した判断を是とすることが多い。
今回監査請求した住民は「そうしたことは承知しているが、今回の処分が穏当を欠き極めて不適切という住民の声なき声を代弁すると共に、この処分によって給与という形で公金が支出されるのは不当であると考え、今回、措置請求を起こした」と陳述した。
監査請求は9月27日付けで起こされ、監査委員の請求受理を受けて、10月20日、請求人及び町当局の陳述が監査委員の下で行われたもの。
今回の懲戒処分は、宮代町の発表によると「当該職員は、平成21年度において、請書を徴さず2件の業務委託を行い、その支払に際し添付書類を1件改ざんしたうえ、3件の文書に上司の決裁印を無断で使用した。また、埼玉県へ進達すべき2件の文書を適正に処理しなかった。さらに4件の決裁文書等を決裁未了のまま放置するなどの不適正な事務処理を行った」と言うもので、減給 10分の1 (1箇月)の懲戒処分となった。
請求者は「公務員は法律に基づいて業務を行う立場にあり、一般企業職員以上に厳正な仕事が求められている。宮代町は平成18年に懲戒処分の指針を作成しているが、これに照らしても甘い量定であり、停職が相当と思われる」とした。
これに対して宮代町は「金銭面など町民に対する物量的な損害は与えておらず、他自治体等の量定等と照らして見ても、甘い処分とは思われない。今回の不祥事は、個人のコミュ二ケーション力不足が発端であり、本人も十分に反省し、コミュニケーション力の向上に力を注いでいるので、首長の人事権、裁量権の枠内での処分であり、適当である」とした。
この監査請求の審査結果については、今後、監査委員から文書で公表される予定(時期は未定。監査委員は「早い時期に」としている)。
【監査請求の意見陳述を聞いて】
まず驚いたのは、議員が誰も傍聴に来ていないということである。
この問題が発生してから、6月議会、9月議会と2回の議会が開かれたが、この問題についての一般質問は一切なかった。
宮代町初めての懲戒処分事件発生というのにである。
監査委員は21年度決算報告監査報告の中でコンプライアンス問題の重要さを異例の字句を割いて述べているのに、議員からは全く声がない。
こうした議員の住民感覚との乖離に危機感を持った住民が起こしたのが今回の、監査請求という手段ともいえる。
人事案件は監査請求という場になじみにくいこともあってか、なかなか表面化しないが、今回は受理され、意見陳述まで行われた。その点では、住民参加を基本とする宮代町の良識が生んだ成果ということができ、その結論はどうであれ、大きく評価したい。
意見陳述は、人事という難しい問題だけに、細心の注意が必要で、私自身、どのように伝えたら良いのか迷った。結局、どろどろした世界を、意見陳述の場でろ過し、その上澄みを上記のようにお伝えしたというのが正直なところで、結局、問題は、そのどろどろした部分であるのだが・・・。
今回の、不祥事を私なりにまとめてみると、問題は3つ。
●一つは不祥事が起きた原因は主に個人の問題なのか組織の問題なのか。
個人の問題とするならば、そうした個人をどう指導し戦力化していくかという組織論ともつながる。
あるいは、そうした個人を採用に至った組織の有り方ともつながってくる。
宮代町の下した判断は「個人のコミュニケーション力の問題」ということのようだ。
では、そのコミュニケーション力をどういったやりかたで高めていくのかの組織としての対応を検討したのかどうか。または、これからの採用に当たって、どうしたフィルターをかけていくのか。
その辺が、住民に示されないと「またやってしまうのでは・・・」と不安で仕方がない。
事件表面化以来6ヶ月、住民にそうした説明は一切行われていない。今日の陳述でもその辺が聞かれるかと思ったが、やはり、なかった。
●もう一つの問題は、処分が妥当であったかどうか。
再発防止のためには厳罰が効果的かもしれない。
個人の再起を願うのなら温情が良いかもしれない。
その、バランス加減が、人事権、裁量権ということになるのだろう。
細かいところまで、事情を知っているわけではないので、私自身は判断がつかない。
ただ、懲戒決定にあたって、「信頼は失墜させたが、物量的に損害を与えたわけではない」という理由が述べられた。
思わず「逆だ」と声を発したくなった。
こうした姿勢で行政をやっていたのでは町民との間に信頼関係を築けないのではないか、こうした思いが今回の不祥事の背景となっているのではないだろうかとも・・・・。
私たち町民は信頼しているからこそ行政を任せているのであって、信頼関係こそが基本である。
時代劇的に言うならば「信頼、信用のためには腹を掻っ捌かなければならない」はずなのに。
●最後は上二つと重なるが再発防止に向けてどう体制を構築するか
コンプライアンスへの取り組みを再点検し、住民が納得できる形で示し、一刻も早く、失墜した信頼を回復に向けて動き出す必要があるのではないだろうか。