『福運集団の社長奮闘記』

私が感動した事・驚いた事・日々感じた事をたくさん綴っていきます!

報道機関の功罪

2011-04-15 21:46:39 | 遊び

第三の勢力としての膨大な力の影響・・。

 

(坂本龍馬もこうした写真を写して、名刺代わりに、名だたる方々に渡していた様です。現代の様な、マスコミの力を、早くから察知して、うまく活用していたのでしょうか・・・・。しかし、それを扱う人間の心によって、善悪両面に大きな力となって現われるのです。)

 

 

福島原発事故も、収拾がつかず、日がたつごとにその深刻さが、拡大していっています・・・。過度の不安や、恐怖を与えてはいけないという考え方からか、最初は、そんなに深刻な事態として捉えていなかったようです・・・・。

 

 (事実をそのまま報道しない、その事で正確な手立ても打てず、全てが後手後手となってしまう。その結果、多くの国民に不信感を与え、二次被害三次被害と被害の連鎖を生み、拡大をしていっているようで、本当に心配でたまらないのです・・・・。)

 

 しかし、実態はかなりの危険状態であったのを、報道では前述の状況からそのように、報道を自粛していたのでしょうか・・・・。専門家の口からも、今考えれば極端なほど、不要な心配はいらないがごとき、話をする方々ごほとんどでした・・・・。

 

しかし、今回その実態は、原発事故の危険度が、レベル4から、レベル5へ、そして一気にレベル7という、国家にあっては非常事態の領域になったのです・・・・。何なんでしょうか・・・・。

 

 (今現実に起こっている事は、そんなに心配しなくていいのでしょうか・・・・。本当は大変な事態の渦中にあるにもかかわらず、敢えて問題視しないように仕向けて報道しているように見えるのは私だけなのでしょうか・・・・。あまりにも、危機意識が乏しく、本当に国民の生命財産を命をかけて守ろうと言う姿勢が、ひとかけらも見えないのです・・・・。哀しい現実です・・・。)

 

 そういった次第にもかかわらず、危機意識は全く見られず、『チェルノブイリと同じレベルですが、内容は全く違い、被ばくの濃度は低いのです・・・。』とか、この期に及んで、言い訳ともつかぬごまかしの答弁に終始しているのです・・・・。国も国なら、それらを報ずるマスコミ報道機関も、報道機関である・・・・。何おか言わんやで、本当にこの国の国民を守ろうと言う意識の軽薄さに唖然とします・・・・。

 

(福島原発では、今命がけで、危機回避のために色んな対策や対処をしてくれているのですが、トップリーダーや、政治家が、まず考えななければならないのは、万一の事が起きた時を 、想定しての危機回避の手立てです。どんな事があっても庶民の命を守るための二重三重の安全策を取っておくべきで、真実を隠して不安を起こさせなくすることではないのです・・・。)

 

 私たち国民にとって、一番恐ろしい事は、事実を隠して報道されることです・・・。・・・いや、隠す意識はないにしても担当記者の、意識加減で、真実が大きくゆがめられてしまうということです・・・・。民意の時代の最高権力者は、誰か?・・・。それは、国権の最高機関である国会ですが、この国会の権威が、大きくぐらついているのです・・・。いや国民から呆れられ、不信の塊と化しつつあるのです・・・・。

 

(報道機関の職務に着くと言う事は、命をかけて事実を正確に伝え、目の行き届かない、盲点になって苦しんでいる方にスポットを当てて、救済をし支援をしていく事なのです・・・・。)

 

 

 所が今、その上に君臨している、民意を左右している第三の権力『マスコミ・報道機関』が、いつの間にか、この国日本を左右していると言っても過言ではない状況が続いています・・・・。

 

 今事あるごとに、政党や政治家が攻められ、検察庁や警視庁や弁護士会が攻められる時代です・・・・。当然のあり方です・・・・。・・・・しかし、マスコミはどうか?・・・・。国民の名を借りて、報道の自由と云って、大上段に全てのものを切りつけていく・・・・。いわば、正義の使者として、この国の全てをさばいていっているのです・・・・。

 

 

 『報道機関の功と罪』・・・・・。これまではどちらかというと、庶民にとっては、功績の方が多かったかとは思います・・・・が、近年の報道姿勢の傲慢さは、目に余るものがあります。一部の人物や組織を過剰に報道する事で、民意の誘導傾向が、各所に起こり、その威力を知った善悪の心根の輩が、それらを利用しようとして、敢えて平等に利用させているのです・・・・。

 

(一部の行動を、全体の動きのように 報道をして、庶民の気持ちを煽ろうとする傲慢な報道姿勢が、随所に目につきます・・・・。そもそも今日の都会への一点集中の文化も、田舎の疲弊も、もとはと言えば、報道する人間の田舎蔑視の、都会志向の心での報道の在り方が、今日の諸問題をも、創り上げ起こしているのではないかと思うのです・・・・。)

 

 しかし、いかなる人間にも、組織にも、『自由と平等』はありますが、その裏には必ず、『使命と責任』がつくはずですが・・・・。責任が全くとられていないのです・・・・。誤った報道によって、一人の人の命も簡単に奪ってしまいます、いや一人どころか組織や、地域まで壊滅させてしまう大きな力を持っているのです・・・。

 

(人間には、間違いはあります。ですからマスコミにも間違いはあるのです・・・。であるなら、間違いは間違いとして、しっかりと頭を下げ誤って、そして責任ある行動を起こしていかなければならないのです・・・・。言いっぱなしで、責任もとれない…いや取ろうともしないマスコミ人が、あまりにも多くなってしまっているのに、そろそろ庶民の厳しい審判が下るのは、もう時間の問題ではないかと思います・・・・。) 

 

 自由平等は、声高に叫ぶのですが、他の組織や人物の『使命と責任』は、追求するのですが、はたして第三の権力といわれるマスコミ人自身が、『使命と責任』を果たしているのでしょうか・・・・。言いっぱなし、流しっぱなしは、国民に百害あって、一利もないのです。

 

 (おかしな政治家や組織は、糾弾をされるのは、当然でしょう・・・。しかし、人のふり見てわがふり直せで、そういった連中に加担をしてきて、今の国が出来上がっているのです・・・。功罪こもごもで、マスコミ界にも、おかしな政治家以上に、大きな責任があるのです。その総括を、今一度原点に立ち返ってしておかないと、独裁者の格好の餌食となってしまう危険性があります・・・。そうなれば、もう取り返しがつきません!!)

 

 今回の東日本大震災の被災の報道姿勢に、極端に表れて、その報道理念や、使命と責任の欠落が、如実に表れてきているのです・・・・。

 

 

 大きな問題点は、多くのマスコミに、理念哲学がないということです。記者のさじ加減で、黒を白にし、白を黒にする事ができる恐ろしい力を持っているのがマスコミです・・・・。それだけに統括をする各社それぞれに、理念哲学が絶対に必要なのですが、それらがなく、会社の独善で、『すべてに平等』という報道姿勢で行動しているのです・・・・・。日本国民の大きな不幸が、ここにあります・・・。

 

(都会の価値を最大限尊重し、田舎の価値が解らない・・・。そういった記者が見る目感じる価値は、報道にも随所にそれが現れます・・・。記者自身の価値観を変えなければ、新しい日本の素晴らしさを発揮する事が、数十年は遅れてしまいます・・・・。) 

 

 確かに民意の代弁者としての、正しい理念哲学にのっとっての報道は、絶対に必要なものです。こうした報道機関がしっかりと根を張る事で、どれだけ庶民の文化の活性化に繋がっていくことでしょう・・・・。

 

 

 しかし、 『権力は、腐敗する!!』これは過去のいくたびの歴史の中で、繰り返されてきました。取材する記者、及びそれらを制作して民意を誘導しようとするプロデューサー及びトップの、一人一人の価値観を変えなければ、自浄作用で、浄化できる限界の時期に、今のマスコミ界も来ているのではないでしょうか・・・・。

 

(現実は、常に戦いが必要です・・・。常に古い体質と、新しい変化と、そして自分自身の心の中で、戦い続けて勝ち抜いていかなければならないのです・・・・。安易な妥協は、敗北に繋がっていくのです・・・・。) 

 

 自ら変わる事が出来なければ、庶民の手痛い鉄槌で、いずれ変わらざる負えない時代が、もうすぐそこまで来ているのです。新時代をリードするマスコミに大きく変身する事を心より期待するものです。

 

 

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