ラジオを聞いていると、いろんな催事の申込先がアナウンスされます。
外部の催し物や、放送局番組自体の公開収録・録音など。
毎週いつも聞いているある番組が、今度公開収録を行うことになり、その申込先がよくある
「番組ホームページから、投稿フォーム」
で申し込みというものでした。
余談ですが、この「ホームページ」という言葉は、すっかり誤用が広まり定着してしまった感があります。
いつもこの種の案内を聞くたびに、「インターネットの環境に無い方はどうするのだろう」と思います。
早速、同じことを思っていたリスナーさんからお便りが来たらしく、次の週の番組内で
「私は、世間様とのつながりは、電話と手紙だけです。収録に行きたいのですが、申込できません・・・」
という内容が紹介されていました。
そうなんです、世の中のみなさんが、インターネット環境にあると思うのは大きな間違いで、ネット経由のアクションを用意するのは大切ですが、あくまで一つの方法として、手紙などほかの手段も用意するのが親切ってものです。
私は、インターネットを使いまくることができて、ITの世界の片隅にいる者ですが、なんでもかんでもインターネット経由というものは納得できません。
やはり信を伝える基本は、紙にしたため、それを相手先に伝送するのが基本だと考えます。
インターネットの世界は大変便利です。
電子メールなんて、字の超下手くそな私でも先方さんに信を伝えることができ、ラジオ番組に参加もできます。
でもこれ、あくまで特殊な手段だと思っています。
世の中、便利なものに傾くのは致し方が無いことですが、便利さの押し付けはむしろ不便だと思うんです。
いつか書いたとおり、新幹線ができると不便になる、という私の主張。
これも同じことで、新幹線という高速鉄道は大変便利なものです。
しかし、あくまでそれは対東京との移動のみの観点で、ローカルな視点では、在来線が分割され、分割点で乗り換えさせられたり、運賃が高くなったりします。
便利さは、従来の不便性が存続して、初めて「ああ便利だね」と言えるもので、便利さの押し付けはどんなものだろうか。
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