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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

新阪急ビルと阪神百貨店・高層ツインタワーで建て替えへ

2011年01月19日 | 大阪

 讀賣新聞関西web版記事からです。大阪駅前に建つ、阪神百貨店が入っている大阪神ビルとそのすぐ南東の新阪急ビルがツインタワービルとして一体的に建て替えると、阪急阪神ホールディングスが方針を固めたそうだ。

 既に阪急阪神HDの社長から、会見の場でツインタワーの構想が発表されており、今回の報道は事業化に向けて動き出したところでしょうか。記事によれば2013年にも新阪急ビルの工事を開始し、完成後に高層ビルとなる新ビルの低層部に阪神百貨店が移転し、引き続いて大阪神ビルの工事に入るとのこと。

 ツインタワー完成後は、両方のビル低層部で百貨店営業を行うことも検討しているとあり、低層部=商業施設、高層部=オフィス部、という構造になるらしいです。

 大阪駅前は変わりますね。昨年暮に大阪富国生命ビルが新たに高層ビルで完成し、阪急百貨店梅田店のビルも一期工事が完成、現在二期工事中。このブログでも書いたチャスカ茶屋町には日本最大の書店が入りました。そして今年5月にはJR大阪駅のプロジェクトで駅北ビルの新築と南ビルの増床で、駅北にはJR大阪三越伊勢丹が入り、今年5月4日開店を目指しています。

 建て替えられた阪急ビル、大阪富国生命ビル、5月完成のJR大阪駅北ビル、いずれも高層階がありオフィス棟として使われるそうで、大阪神ビル+新阪急ビルのツインタワーの高層部もオフィス用。日本の台所といわれる大阪ですからオフィスフロア需要はあるでしょうけど、こんなに増えてもいいのかな?とどこか疑心暗鬼なところが正直なところあります。ま、大阪駅前の立地ですし、潜在需要はありそうですが、その分周辺部のオフィスに空室が出来てくるのかもしれません。

 オフィスだけではなく、前記のJR大阪駅では駅北ビルのJR大阪三越伊勢丹が新たに開業し、駅南ビルの大丸は増床で売り場面積増。来年には阪急百貨店梅田店の建て替え増床工事も完成し、梅田界隈は百貨店激戦区になると新聞記事。そんな中で阪神百貨店は建物の老朽化もあり、対策が必要だったところでしょうね。

 ところで阪神百貨店の入るビル「大阪神ビル」と新阪急百貨店の間は大阪市道が通っており、その上空を被せて両ビルを一体の施設として活用することとして、現在大阪市と協議中とのこと。

 もう一度書きますけど、大阪駅前、変わりますね。凄い。大阪は今、そんなに元気なの?。これら駅前の建物の他、梅田貨物駅の再開発も、線路を地下化して跡地は公園にするとも聞いており、駅の北も東も南も、様変わりの印象です。


日本最大の書店へ行ってみた・丸善&ジュンク堂書店梅田店

2010年12月27日 | 大阪

 先日、12月22日に大阪市北区に、日本最大のフロア面積という触れ込みの書店が出来たというので、昨日26日の夜、行ってみました。

 場所は梅田ロフトの南、元は東急ホテルのあった新御堂筋沿い。ここに一部高層階もある複合ビル「チャスカ茶屋町」が今年春に建ち、このチャスカ茶屋町の地下1階~地上7階に、丸善とジュンク堂書店の共同店舗が入りました。

 ロフトに近い方の入口。

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 売り場面積は約6800平米、書籍数は約200万冊。これまでの日本最大書店はジュンク堂池袋店(東京都豊島区)で、面積は僅かに上回っているのだそうです。

 店内案内図の表紙。

Chaska

 無い本は無い、という触れ込みだそうですけど、本当にそうなのかな。初めての大型書店は、いや初めてではなくとも、PC、鉄道、能楽、地図、地理のコーナーへ行ってみます。どのくらいの品揃えなのか。まだお目に掛かったことの無い書籍は?。揃え方の傾向は?。

 売り場階はこんな感じ。

  7階 学参・語学・児童書
  6階 医学・理工・洋書
  5階 芸術・人文 (能・狂言はここ)
  4階 コンピュータ・社会
  3階 地図・旅行・実用 (鉄道はここ)
  2階 文庫・文芸・新書・文具品
  1階 雑誌・新刊話題書・集中レジ
  B1階 コミック

 3~7階は一通り拝見しました。やっぱり広いですね。店内のインテリアはジュンク堂仕様の雰囲気です。上からだんだん下に降りて行きまして、まず7階の語学。私の場合は韓国語。棚の「4列」という言い方は正しいのかな、縦の仕切りを1列とすると、それが4列あり、これまで見た韓国語のコーナーでは最大です。初級編からニュース素材を元に音声を聴き取る書もあり、また歴史に踏み込んだ書など、韓国語、もしくはハングルの範疇で多方面の品揃えでした。これは良い!

 5階の芸術。能楽のコーナーは3列分あり、大体他の大型書店なみか少し多いかなという程度。掘り出せば能楽の書物はいろいろあるのですけど、やっぱり「その筋」の方々で占められる分野だけに、なかなか一般書店では扱いにくいものではあります。

 4階のコンピュータ。ここは文句無く揃っています。じっくり棚の隅から隅まで約30分ほどかけて見てみました。ジュンク堂の京都BAL店もコンピュータは良く揃っていますけど、ここはもう一枚上でした。言語の他、システムの考え方を紐解く書物が良く揃っています。

 3階の実用で鉄道のコーナー。う~ん、鉄道関連は同じ梅田では、いや大阪では一番の旭屋書店の方が、品揃えとしては豊富でした。やはり旭屋はレアな(マニアックな)書物をじっくりと揃えてきただけありますね。それと店では素通りしてしまいましたが、バスのコーナーも別の棚にあるようで、今度行ったらそれを確かめねばなりません。

 あと3階の地図のコーナーで、棚に入っていた国土地理院発行の10000分の1地形図。いきなり一番上が「一宮東部」で、まるで私を待っていたかのよう、ドキリしました。10000分の1地形図は、まだ全国網羅しておりませんけど、この梅田店では京阪神地区の他、名古屋近辺の図葉も取り扱っているようです。

 とここまで来て時間切れで、2階と1階は素通り。B1階は私の分野外。

 丸善&ジュンク堂書店梅田店は、代金支払い方式が1階の集中レジで行います。そのため上の階の書籍などは、店備え付けの籠に入れて1階まで行くわけで、12月26日の夜は比較的(というか結構)空いていたものの、人が増えてくるとどうなるでしょうか。押し寄せる人波を上手く捌けるのか、一寸心配です。

 名古屋市のかつて私が贔屓にしていた書店「マナハウス」。ここが一時期1階の集中レジ方式だったのですが、お客側の不便という声なのか、それとも万引きが増えたのか、やがて各階のレジ支払いになりました。

 さて、この丸善&ジュンク堂書店梅田店があるチャスカ茶屋町。2010年春には建物が完成していたのですが、この不況なのか当初計画にあったレストランやフィットネスクラブが入らなかったそうで、どうやら丸善&ジュンク堂書店は後から加わったような感じです。

 そして大型書店が大阪梅田近辺に林立して大丈夫なのか、という心配もあります。ヒルトンのジュンク堂書店は縮小するそうですが、大阪駅再開発の駅北ビル(ノースゲートビルディング)には三省堂が入るそうですし、大型書店競争の様相です。


JR西日本・2011年3月ダイヤ改正の片鱗が見えた

2010年12月17日 | 大阪

 約2年前、つまり2009年のお正月にJR西日本からなんとも大きな発表がありました。(→弊ブログ記事)。それは「2011年春ダイヤ改正で、本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の新快速が全て12両」というもの。その2011年3月ダイヤ改正では、大阪ステーションシティの完成を目前にして、大阪駅に人が集まるようなダイヤにすると、昨日の日経新聞近畿web版に記事がありました。

 大阪駅へどんな増強策をとるかというと、箇条書きで

  • 本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の新快速が土曜休日は全て12両編成
  • 大和路線から大阪駅へ向かう大和路快速を現在の1時間3本を1時間に4本に
  • 阪和線から大阪駅へ向かう紀州路快速・関空快速を現在の1時間3本を1時間に4本に

ということで、本線系の新快速は増結だけですが、大和路快速と紀州路快速・関空快速は増発となり運転間隔は均されるでしょうから、大和路線と阪和線はダイヤパターンが変わるほどの改正になるようです。

 ところで本線の新快速のオール12両は、土曜休日だけなのですか?約2年前の発表では「全て」という文字が見えていたようですけど。ちょっとがっかり。

 大和路線(関西本線)。現在は大阪環状線へ直通する「大和路快速」と普通の「快速」がそれぞれ1時間に3本で、普通電車も区間運転を含めて1時間に6本。それが2011年3月ダイヤ改正で大和路快速が1時間に4本ということは、約15分間隔の運転でさりげなく快速系統の減回なのではないか。それとも大和路快速4本とJR難波駅発着の快速が2本なのかも。いずれにせよ大和路線はダイヤパターンが大きく変わりそうです。

 阪和線も紀州路快速・関空快速併結列車が1時間に3本から4本に増えるわけで、ダイヤパターンが変わると思いますけど、阪和線は滅多に乗らないので、現在どんなパターンなのか、そしてどう変わるかはよく分かりません。

 そして大和路快速と紀州路・関空快速の両方が走る大阪環状線は、西半分の天王寺~大阪間でこれら快速が1時間8本と、市内の移動でも随分便利になりますけども、当然ダイヤパターンが変わることで、現在は約10分間隔の環状線普通電車がどうなるのか、さりげなく減られるのか、気になります。

 これら大阪駅直通列車を増やして、大阪駅の乗降客数を現在の85万人から大阪ステーションシティ開業後は91万人程度に増やしたいという。その成功例としてJR京都駅で駅ビルとジェイアール京都伊勢丹開業に合わせ、JR京都線の京都~高槻間で昼間帯に普通電車を倍増し、京都駅の乗降客数が約8%増えたとのこと。今のご時勢、大阪駅で一日6万人も増えるなんて、正にビッグプロジェクトですね。

***追補
 コメント頂いた通り、JR西日本からプレスリリースが出ました。それによれば、大和路線と阪和線は、大阪直通する快速の他に、線内の快速(区間快速)を時間4本運行するという。その分普通電車は削減。

 それとJR宝塚線で、JR東西線からの快速が塚口で折返しで事実上運転取り止め。そして丹波路快速と15分間隔になるように、大阪~宝塚間の快速を運転するとのこと。JR宝塚線については大阪駅発着の快速は増えるものの、マイナスの印象が強いのか日経記事にはありませんでした。

 大阪環状線は私の心配の通り、環状系統が時間4本に削減。ただ大阪まで来る大和路快速が増え、現行通りそのまま天王寺まで普通電車として走るようなので、環状線東半分については、運行間隔はいびつながら現状の頻度はありそうです。そして大正駅が快速停車駅になります。


新しく出来た大阪駅のドームを上から見てみた

2010年10月06日 | 大阪

 大阪駅のプロジェクト、ノースゲートビルディングから斜めに大阪駅ホームを覆うデッかいドームがこのほど完成したそうで、久しぶりにアクティ大阪の27階展望ロビーに登ってみました。いやホントに久しぶりだな。前回登ったときはまだ下の線路が見えていました。

 大阪駅ビルアクティ大阪は27階がレストランとなっており、北側と南側は展望ロビーとなっています。その北側ロビーから外を眺めたところ。

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 これが完成したドーム。ドーム言うても別に丸い形しているわけではなく、駅の北から南へ降りる形で覆う屋根のようなドームです。この下に空中通路などができます。12両編成分の長さがあり、とても大きくカメラに収まりませんでした。

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 少し上を向けて、大阪駅の北の方向。梅田駅が見えますけど、こちらも再開発で線路が減っています。

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 北東の方向。MBSの社屋が随分低くなってしまいました。こっちの方向がテルテルさんちですね。

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 ノースゲートビルディングのオフィスタワー棟。

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 前回ここへ登ったときは、まだオフィスタワー棟がこんなに高くなる前でした。今後は梅田貨物駅も再開発でなにやら出来るそうですし、大阪駅は変わって行きますね。


大阪市電の遺構かな?

2010年09月29日 | 大阪

 先般、IKEA鶴浜(大阪市大正区)へ行ってみました。JR難波駅西側から発車するシャトルバスに乗って。このIKEA鶴浜は初めてです。

 そのIKEAの話は今回は主題ではありません。シャトルバスで向かったIKEA鶴浜。途中、大浪通を走行し泉尾(いずお)の交差点で信号待ち。そこでバス車窓左前方に見えた、交差点脇の歩車道境界に地面から延びた二本の棒。遠目ですがこの棒、なにやらレールのように見えます。

 私、首から上は悪いところばかりで、眼も近視かつ乱視ですけど、こういうのには目ざといですね~ぇ(笑)。信号が青になりバスは発進し、件の現場に近づくと、地面から延びたその黒い二本の棒の断面は、確かにレールの断面っぽく見えました。現場を地に足つけて確認した分けではないですが、あれはレールだと思います。

 場所は大阪市バス泉尾一丁目バス停から南へ二つ目の信号交差点北東角。グーグルのストリートビューに写っていました。

大きな地図で見る

 横断歩道脇に建っているの標識すぐそばに背の低い黒い棒が出ていますけど、これです。よく分からないかも知れず、スキャンした画像を。

Izuo

 この大浪通はかつては市電が走っていました。ここは何線というのかな、1927年に開業し、1967年に廃止された、三軒家~新千歳の区間です。

 この黒い棒は、歩道を拡幅する前の飛び出し防止のために設置されたものと思いますが、これはその当時の市電のレールなのか、或いは他所から持って来た物なのか。今日では安全施設として無役な位置にあり、1967年(昭和42年)に廃止された当時に設置され、それが今日まで続いていたのではないかと思いますけど、どうなのだろう。

 

 ところでこの大浪通。今は新千歳の先で海上高く千歳橋を渡って鶴町に至っていますが、この千歳橋が出来る前は道路は港に突き当たって行き止まりでした。しかしもっと前、1945年までは新千歳の先、鶴町四丁目まで市電が通っていました。市電が通っていたということは道路があったわけで、戦後の大阪内港の建設で、北恩加島と鶴町の間が分断されてしまいました。

 分断後は千歳渡という渡船が運行されていましたが、2003年の千歳橋開通で、大正から鶴町へは少し近くなりました。なお大阪内港建設で発生した土は、大正区など周囲の地盤の低い地域に、盛り土として使われています。