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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

大阪市電の遺構かな?

2010年09月29日 | 大阪

 先般、IKEA鶴浜(大阪市大正区)へ行ってみました。JR難波駅西側から発車するシャトルバスに乗って。このIKEA鶴浜は初めてです。

 そのIKEAの話は今回は主題ではありません。シャトルバスで向かったIKEA鶴浜。途中、大浪通を走行し泉尾(いずお)の交差点で信号待ち。そこでバス車窓左前方に見えた、交差点脇の歩車道境界に地面から延びた二本の棒。遠目ですがこの棒、なにやらレールのように見えます。

 私、首から上は悪いところばかりで、眼も近視かつ乱視ですけど、こういうのには目ざといですね~ぇ(笑)。信号が青になりバスは発進し、件の現場に近づくと、地面から延びたその黒い二本の棒の断面は、確かにレールの断面っぽく見えました。現場を地に足つけて確認した分けではないですが、あれはレールだと思います。

 場所は大阪市バス泉尾一丁目バス停から南へ二つ目の信号交差点北東角。グーグルのストリートビューに写っていました。

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 横断歩道脇に建っているの標識すぐそばに背の低い黒い棒が出ていますけど、これです。よく分からないかも知れず、スキャンした画像を。

Izuo

 この大浪通はかつては市電が走っていました。ここは何線というのかな、1927年に開業し、1967年に廃止された、三軒家~新千歳の区間です。

 この黒い棒は、歩道を拡幅する前の飛び出し防止のために設置されたものと思いますが、これはその当時の市電のレールなのか、或いは他所から持って来た物なのか。今日では安全施設として無役な位置にあり、1967年(昭和42年)に廃止された当時に設置され、それが今日まで続いていたのではないかと思いますけど、どうなのだろう。

 

 ところでこの大浪通。今は新千歳の先で海上高く千歳橋を渡って鶴町に至っていますが、この千歳橋が出来る前は道路は港に突き当たって行き止まりでした。しかしもっと前、1945年までは新千歳の先、鶴町四丁目まで市電が通っていました。市電が通っていたということは道路があったわけで、戦後の大阪内港の建設で、北恩加島と鶴町の間が分断されてしまいました。

 分断後は千歳渡という渡船が運行されていましたが、2003年の千歳橋開通で、大正から鶴町へは少し近くなりました。なお大阪内港建設で発生した土は、大正区など周囲の地盤の低い地域に、盛り土として使われています。


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