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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

秋に京都の渡月橋、自動車通行禁止へ

2014年08月28日 | 京都

 本日の京都新聞web版からです。秋の観光シーズンには、観光客で大混雑する右京区嵐山地区。
 今年は、観光シーズンの5日間で、観光名所の渡月橋を自動車通行禁止にするとのこと。

 記事です。http://kyoto-np.jp/sightseeing/article/20140828000148

 実施予定日は、11月22日~24日、11月29日30日の13時~17時。この日は、土日祝日です。

 例年では秋の観光シーズンの交通規制では、渡月橋部分は、南行き一方通行でしたが、今年は、とうとう自動車を完全に禁止する策に出ました。

 計画では渡月橋の車道は、往復二車線道路ですが、中央部に一車線の幅だけ車道を確保し、その両側は歩道にして、車道部分は、許可車両と路線バスのみが通行可能となる。

 一車線だけの幅なので、言うなれば、「単線運転」ですね。

 渡月は歩道も車道も狭く、観光シーズンには、歩道の混雑で車道に降りる人が絶えません。
 とにかく人が多い秋の休日の嵐山地区。

 数年前から11月の土日祝日は強力な交通規制を始めました。一方通行規制を敷いて、おかげで路線バスもこの対象で、平日と土日祝で運行経路が違う路線もあります。
 それを始める前は、特に美空ひばり記念館の前から天竜寺の前にかけて、車道も人であふれ、その中を自動車が動いていたという現状。
 その様子を京都バス(株)の方は、自動車が走ると路面に落ちた木の葉がひらひら舞うが如く、と表現されていました。


明日・祇園祭後祭巡行

2014年07月23日 | 京都

 これまで過去に何度か、京都の祇園祭山鉾巡行についての記事を書いておりましたが、蛤御門の変(禁門の変・元治焼け)(19864年・元治元年)で消失した大船鉾(おおふねぼこ)が今年150年ぶりに復元され、これを機に昭和41年以降、前祭(さきのまつり)後祭(あとのまつり)が同じ日に合同して巡行していたものを、旧の通り、別々の日に巡行しようという機運が上がり、いよいよ明日、49年ぶりに後祭の巡行があります。

 そもそも祇園祭とは八坂神社の夏の祭礼で、疫病封じ・夏越祓で祭神のスサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、八柱御子神が祀られた神輿が八坂神社を出て、京都の街中の御旅所まで渡御するものです。そして御旅所で7日間滞在し、また八坂神社へお帰りになるもの。

 このお出ましになるのを神幸祭といい、7月17日に、お帰りになるのを還幸祭といい、7月24日に行われ、その前哨協賛行事として、山鉾が出される、というものです。

 なので、山鉾巡行は、7月17日と7月24日にそれぞれ行われていました。 

 このうち、7月17日に巡行するグループを「前祭(さきのまつり)」、7月24日に巡行するグループを「後祭(あとのまつり)といい、「後祭」は諺の「あとのまつり」のもとになったぐらい(一説では)寂しい祭りだったのもあり、昭和41年に前祭巡行の日に、前祭の巡行の後についていく形で合同の巡行となりました。

 しかし、蛤御門の変で焼けた大船鉾の復元が成り、それならばと、後祭り自体を復活しようというもので、今年前後合同後以来初めての後祭が行われています。

明日の後祭巡行順
橋弁慶山●
北観音山●
八幡山
浄妙山
鈴鹿山
南観音山●
鯉山
役行者山
黒主山
大船鉾●

「●」はくじとらず。

巡行ルート。昭和40年までの別々の巡行では、三条通りを東進し、寺町通を下がって、四条通を西進するルートでした。
しかし、今は寺町通が商店街アーケードが出来て物理的に不可能、それで、前祭の逆ルートとなりました。
Gion2014

過去の巡行ルート変遷についてはこちら→弊ブログ2011年7月16日記事

 なお昭和41年以降、後祭の前祭合同巡行となり、あいた7月24日に何らかの巡行を行いたいと始まった「花傘巡行」は、少しルートを変え、今年も行われます。

 祇園石段下→四条通を西進→寺町四条→寺町通を上がる→御池通を東進→河原町通を下がる→四条河原町→祇園石段下。

途中、寺町御池から四条河原町まで後祭の巡行の後を追うように、巡行するように伺っています。


祇園祭の後祭復活

2013年12月24日 | 京都

 京都新聞web版12月18日配信記事からです。来年(2015年平成26年)の祇園祭山と鉾の巡行概要を祇園祭山鉾連合が発表したとのこと。
記事→http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20131218000164

 これによれば、大船鉾の復活を機に、昭和41年から前後合同巡行となった、後祭(あとのまつり)の復活があります。

 簡単に言えば、祇園祭とは八坂神社の夏季の祭礼で、7月24日に神輿が八坂神社から街へお出ましになる「神幸祭」と、街から八坂神社へお帰りになる「還幸祭」、これが中心となる祭礼であって、山鉾巡行はこのお出ましとお帰りの二度の神輿渡御の協賛行事として、町衆の財力誇示もあって、山又は鉾を繰り出して祝った、というものです。

 なので、山鉾巡行は、7月17日の神幸祭の日と、一週間後の7月24日の還幸祭の日の二度行われるものでしたが、二度も巡行のために交通規制していては、大都市京都の都市機能にも影響が大きいという理由もあって、昭和41年から7月24日の巡行は中止し、後祭のグループは7月17日の前祭り(さきのまつり)のグループの後を行く形になってしまいました。

 その巡行を行なうべき山と鉾も、幾多の戦乱で幾つかが失われ、最近では幕末の元治焼で幾つかが失われております。この時に消失した、後祭おグループの「大船鉾」がこのたび復元され、2014年には巡行に復活参加する方向であり、それではこの機会に、かつての後祭復活もの声があって、大船鉾復活を機に後祭復活の方向となっていました。

 新聞記事によれば後祭の日程は、

  • 7月18日 大船鉾の鉾建
  • 7月19日 北観音山・南観音山・鯉山の山建
  • 7月20日 鈴鹿山・役行者山・黒主山・八幡山・浄妙山・橋弁慶山の山建
  • 7月21日~23日 駒形提灯を灯し、物品の販売など。いわゆる宵山ですな
  • 7月24日 巡行 巡行経路は現在の巡行路の逆廻り、午前9時半に御池烏丸から御池通を東へ、途中でくじ改めを行ない、巡行先頭(すなわち橋弁慶山ですな)が午前11時20分頃に四条烏丸に到達、以降は各町内へ。
  • 前祭のグループ(長刀鉾・菊水鉾・占出山など)は、現状通り

 巡行経路参考までに。この図は、弊ブログ2011年7月16日記事に使ったものです。

後祭の前祭合同化直前の経路。赤い線が後祭の巡行経路。赤地の山鉾町内名が後祭の山と鉾。

S3640

 現在(今年2013年までの巡行経路)来年2014年の後祭は、御池烏丸を起点にこれの逆ルートを巡行するとのこと。

S52kara

 しかし、この後祭巡行復活は古の姿の復活ではありますが、7月24日は後祭の山鉾巡行が止めたことで代わりに花笠巡行が行なわれていますが、折角それなりに定着してきた花笠巡行はどうなるのか?

 ことわざ「あとのまつり」の語源となる後祭、後祭はことわざが出来た頃は、北観音山と南観音山の二基しか囃子が鳴るものがなく、寂しい巡行だったそうですが、しんがりが大船鉾となっても、その状況になりやしないか、との懸念が個人的に有ります。


阪急の河原町駅・名称変更に地元の意向平行線

2013年04月06日 | 京都

 本日の京都新聞web版記事からです。昨年弊ブログでも記事にした、阪急電鉄の主要三駅駅名変更について、京都線の終点(起点だったか?)の河原町駅が、阪急の「京都河原町」駅に対して、地元の意向は「四条河原町」にすべきと強い意向があり、両者平行線であるとのことです。
記事→http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20130406000040

 この件改めて、阪急の考えるには、現在の主要な三線(神戸・宝塚・京都線)の終着駅となる駅で、宝塚駅の他は都市名を名乗っておりません。そのため観光客など外からの利用者にとっては少なからず分かりづらいとの意見があるそうです。

 そのため、従来から駅名の頭に都市名を付けて、梅田駅を「大阪梅田」駅、三宮駅を「神戸三宮」駅、河原町駅を「京都河原町」駅と案内しており、新しい名称はこれを軸に検討したいとしているものです。
弊ブログ2012年12月14日記事:http://blog.goo.ne.jp/mitake3067/d/20121214

 単に三宮だけでは神戸市かどうか分かり難いですし、河原町だけでは京都かどうかもすぐに分からない方いらっしゃるはずです。言うなれば、JR京都駅が「京都」を名乗らず、「烏丸梅小路駅」とか「東塩小路釜殿町駅」というようなものです。(笑)

 しかしながら京都側の地元では、「京都河原町」はまどろっこしく、地元商店会の四条繁栄会商店街振興組合では3月の定例理事会で、組合としての新駅名はバス停と同じ「四条河原町」を推すことを決議したそうです。ただこれが総意ではなく、近隣の他の商店会では意見が拮抗しているとのこと。

 この新聞記事で分かったのは、三駅だけでなく、京都線の京都市内中心部の大宮駅と烏丸駅も改称を検討しているとのことです。大宮は「四条大宮」、烏丸は「四条烏丸」で検討しているとのこと。そのため、四条大宮、四条烏丸と来れば、当然次は四条河原町というところもあって、京都河原町はおかしいのでは?だそうです。

   ◇   ◇   ◇

 この駅名改称、京都新聞記事なので河原町駅の件だけですが、他の二駅(梅田と三宮)はどうなのだろう。私個人的には今のままでもいいように思います。どうしても、であれば河原町駅は地元の推す通り四条河原町駅ですね。

 この感覚は地元か外来かで違ってきます。この記事がYahoo!のトピックに上がった事からツイッター上でも多くのツイート(つぶやき)が見られました。だいたい地元の方は変更しない、或いは四条河原町派、外の方は京都河原町がいい派に別れているようでした。

 私、現状のままがいいと書きました。しかし一点、改称した方がいいと思える理由が。それは駅名の地名化現象で、この四条河原町周辺のことを単に「河原町」と及びになる方が増えていますし、実際にラジオ(なんとKBS京都)でもそんな会話を聞きました。河原町は単に通り名称で、「河原町へ行く」だけでは目的地が完結しません。「河原町のどの辺り?」と私ならツッコミ入れますね。(分かっていながら・・・笑)


上ル下ルでも検索可能・京都の位置検索「ジオどす」

2013年03月30日 | 京都

 京都新聞3月26日配信記事からです。京都市内でも中心部の昔からのエリアは、所表記に通り名の組み合わせと「上ル、下ル、西入ル、東入ル」が用いられ、その表記も同じところを指し示すのに幾つかの通りがあって、カーナビなど地図検索では馴染めません。

 それを京都のIT企業が共同で、通り名を使った表記で電子地図上の位置を表示する仕組みを開発したとのことです。
記事http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20130326000081

   ◇   ◇  ◇

 このサイト、「ジオどす」といい、既に3年前に開発されています。2010年7月に讀賣online記事で、この「上ル・下ル」が地図検索では使えず、結果的に通り名表記の使われようが減っているとの記事があり、弊ブログでもこの讀賣記事を元にブログ記事を書きました。
こちらです:http://blog.goo.ne.jp/mitake3067/d/20100731

 その記事に、なんと「ジオどす」を開発されている方からコメントを頂き、そこで初めてジオどすを知りました。以来3年。英語表記にも対応したとのことで、かなりバージョンアップしています。

 改めて京都市中心部の所表記は、一例を京都市役所で、

  • 「中京区 寺町通 御池上ル 上本能寺前町 488番地

を普通の検索ではエラーが返されます。「寺町通御池上ル」の部分が余計で、これを外した

  • 「中京区 上本能寺前町 488番地」

だと検索できます。しかしこれではいくら正式な名前が町名だけであっても、織豊時代から続く京都の伝統にそむくことになります。なんとか「寺町通御池上ル」を含む文字列で検索できないかと開発したのが、ジオどす。

 しかし大きな困難が。それはこの「上ル・下ル」の種類の大さ。京都市役所のある上本能寺町でも、

  • 中京区 御池通寺町西入 上本能寺前町
  • 中京区 寺町通御池上る 上本能寺前町
  • 中京区 寺町通押小路下る 上本能寺前町

の三通りがあります。三通りは少ない方で多いところでは、下京区東塩小路町。列記しましょうか(笑)。

  • 不明門通木津屋橋上る 東塩小路町
  • 不明門通木津屋橋下る 東塩小路町
  • 不明門通塩小路上る 東塩小路町
  • 不明門通七条下る2丁目 東塩小路町
  • 不明門通七条下る 東塩小路町
  • 烏丸通木津屋橋上る 東塩小路町
  • 烏丸通木津屋橋下る 東塩小路町
  • 烏丸通塩小路上る西入 東塩小路町
  • 烏丸通塩小路上る 東塩小路町
  • 烏丸通塩小路下る 東塩小路町
  • 烏丸通七条下る西入上る 東塩小路町
  • 烏丸通七条下る西入 東塩小路町
  • 烏丸通七条下る 東塩小路町
  • 河原町通七条下る 東塩小路町
  • 木津屋橋通不明門西入 東塩小路町
  • 木津屋橋通不明門東入 東塩小路町
  • 木津屋橋通烏丸西入下る 東塩小路町
  • 木津屋橋通烏丸西入 東塩小路町
  • 木津屋橋通烏丸東入 東塩小路町
  • 木津屋橋通新町西入上る 東塩小路町
  • 木津屋橋通新町西入 東塩小路町
  • 木津屋橋通新町東入 東塩小路町
  • 木津屋橋通西洞院東入 東塩小路町
  • 木津屋橋通東洞院西入 東塩小路町
  • 木津屋橋通室町西入 東塩小路町
  • 木津屋橋通室町東入 東塩小路町
  • 塩小路通間之町西入 東塩小路町
  • 塩小路通間之町東入 東塩小路町
  • 塩小路通不明門西入 東塩小路町
  • 塩小路通不明門東入 東塩小路町
  • 塩小路通烏丸西入 東塩小路町
  • 塩小路通烏丸東入 東塩小路町
  • 塩小路通新町西入 東塩小路町
  • 塩小路通新町東入 東塩小路町
  • 塩小路通高倉西入 東塩小路町
  • 塩小路通西洞院東入 東塩小路町
  • 塩小路通東洞院西入 東塩小路町
  • 塩小路通東洞院東入 東塩小路町
  • 塩小路通室町西入 東塩小路町
  • 塩小路通室町東入 東塩小路町
  • 七条通新町東入 東塩小路町
  • 七条通東洞院東入 東塩小路町
  • 新町通木津屋橋上る 東塩小路町
  • 新町通木津屋橋下る 東塩小路町
  • 新町通塩小路上る 東塩小路町
  • 新町通七条下る3筋目東入 東塩小路町
  • 新町通七条下る東入 東塩小路町
  • 新町通七条下る 東塩小路町
  • 高倉通塩小路下る 東塩小路町
  • 西洞院通木津屋橋上る 東塩小路町
  • 西洞院通木津屋橋下る 東塩小路町
  • 西洞院通塩小路上る 東塩小路町
  • 西洞院通塩小路下る 東塩小路町
  • 西洞院通七条下る 東塩小路町
  • 東洞院通塩小路上る東入 東塩小路町
  • 東洞院通塩小路上る 東塩小路町
  • 東洞院通塩小路下る東入 東塩小路町
  • 東洞院通塩小路下る 東塩小路町
  • 東洞院通七条下る2丁目 東塩小路町
  • 東洞院通七条下る3丁目 東塩小路町
  • 東洞院通七条下る 東塩小路町

 携帯で閲覧の方、すいません。64通りかな。手持ちの地名資料から列記(コピペ)しました。東塩小路町は京都タワーのある一角。範囲が広くこのようになってしまいますが、このような幾パターンに対応させねばなりませんでした。

 しかも、ジオどすいじめではありませんが、誤まった表記で出来るかやってみました。何度も例にしてる京都市役所。見かけは御池通に面して、石造りの重厚な庁舎がそびえています。なのでここを

  • 御池通 河原町西入 上本能寺前町(誤り)
  • 御池通 寺町東入 上本能寺前町(誤り)

と誤認識しそうですし、実際にいらっしゃいました。これをジオどすで検索可能かとやってみたら、ちゃんと認識しましたね。おそらくは通り名の文字列認識ではないかと思います。市が公式に用いている通り名による表記というものがありますが、実際にはそれにとらわれずに、使われている方もいて、それらも検索可能になっています。

 この「上ル・下ル」は公式には上京区、中京区と下京区の一部ですが、周辺部でもこの「上ル・下ル」を部分的に使っているようで、ジオどすの使用例として「左京区 百万遍」とあり、そうしたものにも対応させているようです。

 ジオどすのwebサイトはこちら:http://geodosu.com/