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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

京都府と滋賀県が合併?府会で初表明・京都府知事

2013年02月26日 | 京都

 京都新聞web版、2月25日深夜配信記事からです。京都府の山田知事が25日の府議会代表質問において、今後の府のあり方について「滋賀県との合併も一つの現実的な対応だ」と述べ、京都滋賀の府県合併を検討する考えを明らかにしたとのことです。
記事http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20130225000147

 国会の勢力で道州制を支持する率が高まり、関西州が実現する可能性が出、これに対抗する京都や滋賀の独自性を維持する狙いの発言だそうです。そして合併後の本庁を大津市に置く可能性まで言及。この府県合併は降って湧いたものではなく、山田知事のかねてからの持論だそうで、府議会で言及したのは初めてとのこと。

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 京都府山田知事がこのようなお考えだとは知りませんでしたが、京都府と滋賀県の合併ねぇ。京滋合併というそうで、元々が滋賀県の県庁所在地である大津市が県西南部にあり、地理的に京都と極めて近く、以前から京滋地区という呼ばれ方をしています。

 国会で道州制への枠組みが進めば、それに埋没されまいとする動きでもあるそうで、合併実現のためには、新しい府県庁所在地を大津市に持ってきても良いとする考え。

 しかしどんなものだろうか。京都市長は「理解できない」と否定的な考えを述べていますし、滋賀県知事は「京都府と一緒になるメリットは見出せず、しかし県民が望むなら議論の余地あり(要約)」と述べておられます。

 私、個人的に思うのならば、京都市(とその周辺)が特別自治市として独立し、その上で残った京都府と滋賀県であれば、「京滋県」とかで合併するのもありかなと思います。京都府の人口は約263万人。このうちの約6割を越す147万人が京都市の人口で、それだけ大都市京都に集中しています。滋賀県の人口は約142万人。京都市(と周辺)を除いた京都府と滋賀県の合併は、人口規模で適切かもしれません。

 ただその京都府も日本海側の府北部、旧丹後国は、明治初期の県の変遷で無理やり京都府に組み入れられただけで、決して京都に向いているわけではありません。広域ではむしろ大阪の方を向いています。その辺りの県の再編も今後は視野に入れてもいいと思います。その一過程の中で、京都滋賀合併なら可能性ありかなと思いますね。


京都市営バスの停留所名・七条の読み方

2013年02月24日 | 京都

 一週間開いてしまいました。体調を大きく崩し、ブログ更新の気力も出ませんでした。かなり戻りまして、再開します。

 更新を休んでいた間の、京都新聞web版2月20日配信記事からです。京都市交通局のバス(つまり市バス)で「七条」が付く停留所の読みは、本来とは違う「ななじょう」と案内しています。これは一条、四条と区別するためですが、風情がないとか、本来の読みと違うなど異論があり、交通局webページにその旨の断りを昨年8月から入れているとの事です。
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20130220000074

 市バス停留所に「七条」がつくのは、東山七条、七条京阪前、七条河原町など10ヶ所。交通局のwebページ停留所検索でも「ななじょう」で検索するようなっています。なので観光客の間で交わされる会話でも、「ひがしやまななじょうで降りて・・・」など「ななじょう」が半ば定着しかかっています。

 一方で、文化人からは風情がないの異論があったり、スマホなど多機能端末の普及で「しちじょう」で調べたらみつからなかった、という苦情もあり、今後もこの種の混乱や苦情が増えそうです。

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 京都市交通局の停留所名で「七条」とあるのは、いずれも全て正式名称では「しちじょう」となっています。あくまで一条(いちじょう)、四条(しじょう)と区別するために「ななじょう」となっているものです。

 なのでこんなナンセンスな停留所名も。七条京阪前停留所。京阪電車の七条駅乗り換えです。京阪の駅名は「しちじょう」。しかしバス停留所名称は、「ななじょうけいはんまえ」と案内。しています。

 記事では、「地名の読み方に公的な定めはなく」とありますけど、これは通り名称としての七条のこと。読み方を定める規定類はなかったと思います。しかし町名など町字では読み方の定めがあります。七条のつく町名は直接はありませんが、冠称として七条御所ノ内と西七条があり、いずれも「しちじょう」となっています。

 「しちじょう」なのか「ななじょう」なのか。地元の方が一笑に付されるでしょう。どちらでもないって。洛中の人は「ひっちょう」と言うようですね。「し」が発音しづらいので「ひ」に変化、そして条が「ちょう」に音韻変化して「ひっちょう」。

 なので元の読み方は「しちじょう」であることが分かります。通称名が明治以降、正式な名前になるのはよくありますが、「ひっちょう」はあくまで通称地名として認識されていたようですね。さすが1000年の歴史がある京都。正式名と通称名とを区別して使い分けています。

 

 ちなみに、他のバス会社の停留所名称はどうなのだろう。京都バスには「烏丸七条」停留所など三箇所あり、こちらは「しちじょう」でwebページでも案内。京阪京都交通と西日本JRバスはweb上では「ななじょう」と案内、正式名称は不明。プリンセスラインバスは漢字だけの表記。以前乗った際はどんな読み方しただろうか、思い出せません。


神宮道・冷泉通~二条通間歩行者道へ・15年にも京都市

2013年02月14日 | 京都

 京都新聞web版記事からです。京都市左京区岡崎の、平安神宮に面する神宮道を、冷泉通と二条通の間約120mを、歩行者専用道路とする方針を固め、京都会館建て替えが終わる2015年度にも完成させたいとのことです。
記事→http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130213000126

 現在でもこの区間は、平安神宮や動物園などの観光バスやタクシーの待機場所となっている面が強く生活道路としてもさほど機能しておらず、両側の岡崎公園を分断する形であり、平安神宮の門前としての広場を活用したいとのことで、車道を廃止し、歩行者用道路として整備するとのことです。

 場所はここ。京都市美術館とある右の道路が歩行者用道路に計画している部分。

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 グーグルストリートビューで。この道路が歩行者用に検討している部分。

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 この場所、真後ろの方向に、大きな赤鳥居があります。よろしければ見てみてください。

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 私、この道は通ったことがありません。平安神宮自体へ行った事がないですし。路線バスもこの道は通っていません。自動車が通れなくなってもさほど影響はない区間です。通り名称が「神宮道」。まさにこの平安神宮へ至る道ですね。始まりはどの辺りだろう。知恩院さんの前でも神宮道と称していたのかな。

 今でこそ「道」といえばそれは自動車が通ることを前提としている風潮がありますが、昔はそうではなく、そこへ至る連続した空間が「道」でした。なので平安神宮への参拝道としての神宮道。自動車は後から通るようになっています。

 しかしこの車道空間が結果的に岡崎公園の分断になっています。バスでこの角を曲がる時に、「両側が繋がっていれば・・・」と思ったこともあります。それが今度実現するわけで、京都市の英断ですね。


祇園祭後祭復活へ調査費・逆ルートとなるのか?

2013年02月06日 | 京都

 京都新聞web版2月5日配信記事からです。7月の祇園祭で出される山鉾巡行。元来は7月17日の前祭(さきのまつり)と7月24日の後祭(あとのまつり)の二日に巡行が行われていましたが、交通事情もあって、7月17日に一本化されました。

 それを2014年の150年ぶりの大船鉾復活を機に、7月24日の後祭を復活させたいとの山鉾連合会の意向もあり、京都市は次年度の予算案に、後祭復活させた場合への市民生活や交通規制、観光への影響を調査する費用に、連合会への補助金を計上する方針であるとのことです。
→記事:http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20130205000144

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 近代に入って祇園祭の環境も変わりました。巨大な鉾は7月に入ったらわりと早くから鉾の組み立てをしていたそうです(鉾建て)。しかし現在は交通事情もあり7月10日からとなっています。また巡行も一週間を置いた二日間にわたるのも1965年当時では具合が悪いと判断したのでしょうね。観光担当でも一日で済ませた方がよいと判断したらしく、1966年から前祭の後を、後祭のグループが追って行く合同の巡行となりました。

 この時に問題とされた言葉が「信仰か観光か」。あくまで山鉾巡行は、祇園さん(八坂神社)の御神輿が町へお出ましになる、その逆にお還りなるのを祝って出したもので、それを7月24日の巡行が無いのは、祇園さん(牛頭天王)をどう思っている!というところでしょう。

 それから50年近く。時代は変わりました。結局、巡行先頭の長刀鉾が出発し、最後の南観音山(2011年まで)が帰還するまで4時間半から5時間もかかっています。そして巡行の日は沿道に100万人が繰り出し、その混雑対策もあり、伝統を重んじる祇園祭としては、大船鉾復活を機に、後祭を復活したいとの想いが予てから出されていました。

 巡行ルート自体も1955年以降、数度の変遷を経ています。後祭が最後に通ったルートである寺町通は現在、商店街のアーケードがあって、とても通れません。三条通も道路を跨ぐ電線があり、これも通れません。

 そこで山鉾連合会が推しているルートは、現在の7月17日に巡行しているルートを逆に巡行するというもの。すなわち、御池新町を出発→御池通→河原町御池右折→河原町通→四条河原町右折→四条通→四条室町~新町で終了、というものだそうです。
巡行ルートの変遷は、弊ブログ記事をどうぞ→http://blog.goo.ne.jp/mitake3067/d/20110716

 これで後祭復活へさらに前進ですね。市民生活、経済活動の影響具合ではどうなるかは分かりませんが、現在の逆ルートはアイデアです。しかしまだ問題があり、後祭の代わりに興した花傘巡行はどうなるのか。いろいろな会社や組合組織など毎年趣向を凝らし巡行を行っています。折角40年以上続けてきたのに、ここで中止となっては気の毒です。後祭を花傘巡行が共存できる方向で行ってほしいと願います。


梅小路公園のチンチン電車・拡張整備計画・京都市

2013年01月08日 | 京都

 京都新聞web版1月4日配信記事からです。京都市はこの日、下京区の梅小路公園の保存チンチン電車を、2016年に開館が予定されているJR西日本の鉄道博物館建設に伴い、移転し拡張させる、梅小路公園整備計画を明らかにしたとのことです。
記事→http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20130104000139

 計画では、京都水族館西のJR西日本社宅跡地約6400平米に、芝生広場や休憩施設(カフェ)がある「すざくゆめ広場」と、市電を展示する「市電ひろば」を整備するとのこと。そして現在、梅小路蒸気機関車館西を走る約250m線路のチンチン電車線路を、この新たに整備するエリアに移設し、二つの広場を結ぶ形となる。

 そして現在の架線給電方式を止め、最新鋭の蓄電池を使う車両に改良し、環境や景観に配慮する。線路延長は現在より10m短い約240mとなる。(太字原文どおり)

 この整備事業には総事業費5億7000万円を計上し、市議会2月定例会の2013年度予算案に盛り込むとのこと。市電広場には市が保管している1912年から1966年までの7両の車両を展示する。全面開園予定は2014年1月。

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 梅小路蒸気機関車館(梅小路機関区)の西にJR西日本の鉄道博物館が建設されることから、必然的に引越しせざるを得なくなったことですね。

 以前に鉄道博物館建設への記事を書いた際、stakenakaさんから、現在、梅小路公園に割って入る形になっているJR西日本社宅(つまりJR西日本用地)と、機関区西の市有地とを交換する形で、JR社宅跡地は梅小路公園に整備するとのコメントを頂きました。

 実は梅小路公園のチンチン電車は話には聞いていましたが、実際に走っている場所は、今回の出来事で始めて知った次第です。梅小路機関区の扇形庫のモロ西なのですね。GoogleMapの空中写真で、そんな軌道が写っています。

 そしてこの記事でとても気になること。気になるよりかなり憤慨しています。上の文章で太字にした部分。移設後のチンチン電車は、架線集電を止め、蓄電池給電式にするのですか。冗談じゃありません。姿形はチンチン電車でも、蓄電池、すなわちバッテリーで動くんでは、本物とは言えません。

 それに景観に配慮と言うけれど、チンチン電車、すなわち過去の路面電車を保存するなら、景観も過去に準じたものでもいいと思うのですけど、これは本物志向への強く偏った思考なのでしょうか。

 「こんな形で電車が動いていたんだよ」と説明が出来るような、架線(トロリー線)とそれを支える柱、碍子、金具・・・、それらも併せて展示すべきものと思うのですが。やっぱり空中に電線が張られるのは、良くないとの考えなのでしょうか。