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車いすで楽しく快適に過ごしたいという子をもつ母日記

思い出①(小学生5年生の大騒動)

2022-03-16 10:40:14 | 小学校
すこし思い出しながら、今までのことザクっとまとめてみようと思いました。
このブログがストップしたのは、小学生5年生の運動会でした。。。
その前の大騒動に少し戻ってみました。

本当にいろいろなことありましたが、
この5年生の支援の先生の大騒動は忘れることができない出来事の1つ。
今考えてもひどい話。。。
小学校5年生の春に新しい支援の先生が1か月で交代することになったことです。

しょうちんが、支援の先生の悪口や悪態を親に言ってもいいものなのか・・・
と悩んだ挙句に話してくれたことにより発覚しました。
それがゴールデンウイークだったと思います。
覚えているのは、しょうちん父と母では、
話し合いのによる改善の余地なし
二度とこの支援の先生を大事な子供に会わせない
として、学校の校長先生に話に行きました。
教育委員会が支援の必要とする児童にサポートとして準備してくれる支援の先生・・。
もう必要ないとは言わないけれど、こういう思いするならいない方が絶対いいという固い意志だったのを覚えています。

学校側は先生に指導して、改善し取り組んでいく提案をされましたが断固拒否しました。
また、私たち親も、その支援の先生に会うことさえも断固拒否しました。
許せなかったからです。
でも、指導で改善できる範囲だと学校側が思ったことも残念だった記憶があります。

その先生が学校に来ている間は登校しないという しょうちんの意志を尊重しました。
学校は行きたい
支援の先生の暴言や悪態で行けない

ただ、この状態は3日くらいで、支援の先生に休んでもらい支援の先生なしで学校に戻れたことも覚えています。
それは学校側も小学生の教育現場では不相応という想いは一緒だったのかなと思いたいと思っています。

その時の拒否は10年ほどたった今でも間違ってなかったと思います。

そして、その後2週間ほどで教育委員会が契約してくれた新しい支援の先生は、
彼が小学5年生の6月から中学3年生の終わりまで、心のこもった暖かい支援をしてくれることになります。
こんな始まりの小学5年生でしたが、ここからしょうちんが少しずつ変わっていきます。
この後の小学5,6年生は素敵な時間を過ごせるのです。
この時期があったら、その後にくる厳しい高校時代も耐えれた気もします。
次は、その素敵な時を思い出します。
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