負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

精いっぱいの人生

2012-09-29 21:00:05 | 原発震災避難者


遠足




穴を掘っている男がいた。
ところが 大きな岩に突き当たったので それ以上掘り下げることができなくなった。
やむなく 男は 岩にそって横に掘っていった。

それを見ていた者が
「 なんだ 穴を掘るといいながら 溝を掘っているじゃないか 」 と冷やかした。
しかし 穴掘り男は そんなひやかしには耳もかさず掘りつづけた。



この男にとっては 第三者が「 穴だ 溝だ 」と騒いでいるのは

・・・ なんの意味も持たなかったのです。

ただ 土があり シャベルがあり 岩があり ・・・

 
それすらもなくなって

・・・ 一心不乱に掘っている自分があっただけなのです。


この精いっぱいの境地

 
吸う息吐く息以外のなにものもない世界 ・・・

そんな人生こそ ・・・ もっとも確かなものだ

とは言えないでしょうか。







人間に定年なし

2012-09-29 18:00:07 | 原発震災避難者


遠足



老人クラブの会長が自殺した という話を聞き がく然としました。

人々は 世間との断絶が老人を死に追いやった ・・・ 評しています。


私は そうは思いません。


若者と老人の考え方の違い

社会の仕組みの変化による行動形態の違い

・・・ そんなものは 断絶であろうはずがありません。

ヒマ人の考えた 「 方程式 」 です。

「 妄想です 」 です。



ヒネって痛いこの体は 昔も今も変わりはしません。

老いも若きも みな痛いのです。


ところが この肝心要をみな忘れ 方程式だけで考えようとします。


「 もうトシなのだから 静かに暮らしてください 」 と言って

若者側は いたわるふりをして 無関心を示します。


それにこたえるかのように老人側は

「 やっぱり わしは用のない人間だ。

  なにもやれんのなら 生きていても仕方がない 」 と考えます。


要するに 生身の体でぶつかっていない ・・・ のです。



会社に定年はあっても 人間に定年はありません。


「 五十六十 花なら蕾(つぼみ)。 七十八十 働き盛り。

  九十になって迎えがきたら 百まで待てと追い返せ 」


・・・ どちらも遠慮はいりません。



老人だって 仕事はできます。


どんどん頼んで ・・・ 頼み倒せ ですよ。







いま 幸せ

2012-09-29 15:00:15 | 原発震災避難者


遠足



「 さっきまで 幸せでした 」

「 これから 幸せになります 」

こんなことを言う人は ・・・ クズもクズ ほんとうのクズです。


くやしかったら ・・・

「 いま 幸せだなあ 」 と思ってみることです。







「 がんばってます 」 は ただのオシャベリ

2012-09-29 12:00:50 | 原発震災避難者


遠足



私は 「 意見 」というものを信じません。

とくに

言葉で表現される意見は その内容について

ほとんど ひとかけらの価値もない ・・・ と思っています。


「 こうしたらいいと思う 」

「 ああすべきではないでしょうか 」

・・・ そう思ったら 自分でやる。



「 思っています 」 というのは

政治家の「 善処します 」 「 慎重に検討します 」 と同じで

・・・ じつは なにもしないに等しいのです。


あるいは また

「 あなたの考え方はまちがっている 」

「 いや そっちこそ正しくない 」

などという議論も それ自体なんの意味も持ちません。


考え方が正しいか まちがっているかなどではなく

生き方として ・・・

精いっぱいやっているか それとも

だらっと暮らしているか ・・・ どっちかです。


それは

言葉の上でどんなに 「 がんばっています 」 と言ったところで

じっさいの生活がそうでなければ

・・・ ただのオシャベリにすぎないのです。







片づく方向 ・・・ 安心

2012-09-29 09:00:46 | 原発震災避難者


遠足



積もり積もった仕事をみると ・・・ だれもがイライラします。


しかし そのうちひとつだけでも

最善の力を向けて片づけると ・・・ 心が落ち着きます。



仕事は 「 片づいた 」 から安心するのではありません。

「 片づく方向に進んでいる 」から ・・・ 安心するのです。







「 夜 眠れない 」という人へ

2012-09-29 05:00:25 | 原発震災避難者


遠足



「 夜 眠れない 」 という人があります。


眠れなかったら 起きて ・・・ 仕事をすればいいじゃないですか。


すると

「 そんなことをしたら 明日の仕事にさしつかえる 」 と言います。



今日の仕事を いっぱいいっぱいでやった人なら

明日の仕事も忘れて 満足しているし

明日は明日で またがんばれる という自信をもっています。



いまこの時間寝ておかないと 明日の仕事にさしつかえるという

いまこの瞬間のアセリが ・・・ あなたを満足させないのです。


そのために ・・・ 眠る時間に眠れないんだ ということを

・・・ 忘れてはなりません。







この世は ・・・ 手のひらの上

2012-09-29 00:01:27 | 原発震災避難者


遠足



孫悟空が お釈迦さまと初めて出会ったときのことを

知っている人は多いと思います。



 有名な中国の小説『西遊記』の中の話である。七十般変化の術と觔斗雲(きんとうん)の法とを習得して 天空を騒がせていた孫悟空がお釈迦さまと出会い
「 わしは 七里を一瞬にして飛ぶことができる 」
 と自慢気に言ってのけた。
「 では 世界の果てまで行って帰ってくることができるか 」
 とお釈迦さまが言うやいなや たちどころに孫悟空は觔斗雲に乗って はるかかなたに飛びたった。世界の果てに 五本の柱がある。五本の柱にたどりついた孫悟空は鼻高々に 「孫悟空 ここに至る 」 と書きしたためる。
そして 帰ってきて 世界の果てまで行ったと報告する。
 しかし 悟空が駆けめぐっていたのは お釈迦さまの手のひらの上にすぎない。そして 五本の柱とは お釈迦さまの指にすぎなかった というのである。



お釈迦さまの手のひら ・・・ これが人生そのものです。

大言壮語して 世界の果てまで行っても

・・・ たかだか 手のひらの上のマラソン じゃないですか。


・・・ どこに行っても おなじです。



「 千里同風 」 ・・・

 
文字どおり ・・・ 千里四方どこに行っても 同じ風が吹いている

・・・ ということです。