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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

12月11-15日のこと(上海での日誌として)

2013年12月15日 21時37分55秒 | とりあえず日記
ここ数日は自宅療養の日々でした。
ですので、書くこともあまりないのですが一応更新。

12月11日(水)
基本的にベットの上で、食事は全て出前(外卖)。
さすがにずっと寝ていてもきついので起きて論文執筆の続き。
ただ腰の痛みがきになり、どうも集中力が続かないため休む。
外の空気汚染が気になるのでエアコンはつけず。


12月12日(木)
11日と同じく大部分をベットの上などで過ごす。
寝ているだけでも飽きるので、中国のテレビ番組を見て気分転換。
昼から元学生が来てくれ、一緒に食事をとる。
午後は1月上旬に行く予定の河北省档案館への入館書類準備、ならびに、ホテルの予約など。
河北省档案館で調査する場合、一か月前に閲覧档案の目録・紹介書・申請書の提出が必要。
期限がギリギリだったが何とか無事に終える。

12月13日(金)
前日、前々日と同じような生活だが、腰は少し楽になってくる。
ただ、痛み止めの効果があるのは明らかなので油断は禁物。
昼携帯にメールがあり、見ると三年生の学生X、Sさん。

「先生、お見舞いに先生の寮へ行ってもいいですか」

というもの。
彼女達はわざわざお土産を持ってきてくれ、体を心配してくれていた。
素直に嬉しい。
ちなみに、Xさんの方は12月15日のスピーチコンテストで出場する選手。
私が腰を怪我したばかりに、その後は指導は全くできず、主任H先生にお任せしていた。
聞くと午後14時から指導の予定があるとのことなので、私も少し顔を出す。
結果、熱が入り腰の痛みを忘れ16時半頃まで指導。


12月14日(土)
前日指導に無理に参加したが、そのせいで休むに休めない自分がいた。
もちろんH先生、学生は「今は休んだ方がいい!」と何度も言ってくれたのだが。
結果、午前9時過ぎから昼食を挟み、14時頃まで指導に付き合ってしまう。
後悔はないが、きちんと指導するためにも体を元気にしないといけないと強く思う。
部屋に帰ってすぐに横になり、腰に負担をかけないようにする。


12月15日(日)
この日はスピーチコンテストの当日(第二届“滋庆杯”日语演讲比赛)。
テーマは「私の夢」だった。
前日に「私は腰の問題があって参加できないので、H先生引率をお願いします」と伝えていた。
しかし、起きてみるとどうも胸に引っかかる感じが抜けずにH先生に電話。
結果、「H先生、やはり私も参加します、腰は大丈夫ですから。」と言っている自分がいた。
実際、痛み止めを飲み、安静に数日していたこともあり、痛みは随分引いた。

H先生の運転で大学から会場の同済大学まで約1時間(帰りはすいていて約30分)
会場について応援に来てくれた学生達と一緒に見学。
学生は練習の成果が出ていたが、やはり心配していた応答でこけた印象。
結果、入賞はならなかったが、出場するまでの過程で随分日本語発音、表現が上達した。
この指導の間、学生がプレッシャーでおしつぶされそうになったこともあった。
私から学生とその友人を誘い、一緒に衡山路のきれいな並木道を歩き、カフェで楽しい時間を過ごした。
学生の笑顔が戻っただけでなく、これまで以上に学生と私の距離が近くなり、練習も頑張り始めた気がした。
また、試合直前の大事な時にほぼ役立たずとなった私の代わりに、超多忙の主任H先生が指導をして下さった。
さらに、会場に応援に来た学生の一人は出場する学生・教師のために自家製のテラミスを持ってきてくれた。

こういう多くの人の応援、支援があって各大学から選手が出場しているのだと思った。
また、今回の大会を準備してきてくれた主催者を始め、多くの支援者がいたからこそ22人の選手が参加できたのだと思う。
一部では会場校の学生が一等、審査委員を務めた教員の学生が二等だったことを指摘する声も聞かれた。
時に、中国のスピーチコンテストではそういう残念な評価システムがあることは事実であり、私も認める。
しかし、それを仮に批判するより、自分がもっと努力して確実な実力をつけて入賞した方が格好いい。

だから、次に自分達が入賞するために何をすべきか考え、それを実践することだけ考えたい。
そして、まずは今回頑張った学生のXさん、指導をしてくださったH先生、応援してくれた学生達にお疲れ様、ありがとうと言いたい。


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