〈先日、資料集めで訪れた県立熊谷図書館。静かで、落ち着いた場所にありました。〉
私は日本にいる時の移動手段は、主に電車です。
しかし、急いでいる時などは時たまタクシーを使います。
日本のタクシーは値段が高いですから。
逆に中国に戻ると、移動手段は主にタクシーです。
それは、何と言っても値段が大きく関係しています。
日本では初乗りが大体660から710円の間だと思います。
対する、中国(上海)では大体170円ですから。
(内陸部はもっと安い値段)
さて、そのタクシーの色のついて最近気づいたことがありました。
それは、色の豊富さという点で中国の方が圧倒的に勝っていることです。
日本では、黒色のタクシーが一般的ではないかと思います。
多少異なる部分もあるものの、黒がタクシーの色とでもいう位に浸透しています。
そこからは、まるで黒=タクシーの色というような、ある種固定化された、もっと言えば強制的な統一感を感じることさえあります。
が、中国の上海(北京などでも)ではタクシーの色は実に豊で統一感は感じられません。
恐らく、タクシー会社によってカラーが違うのでしょう。
そこからは、自社のタクシー達を強く世間に主張しているかのような印象を持ちます。
ちなみに、最近では日本でも多様なカラーのタクシーを見かけます。
しかし、それは最近のことであり、あくまでも一部の例に過ぎない気がします。
自分自身をどんどん前に出し、自己主張しようろする中国の文化と、世間を常に意識し、その中で、ともすれば自分も同化していくような日本の雰囲気との差異でしょうか。
現時点ではっきりとしたことは分かりませんが、両国において随分違う部分であると思います。
しかし、二年半中国で暮らす中で感じたことは、今回気づいたことと関連しています。
それはずばり、日本(または日本人)は世間で意識的に、というより、むしろ暗黙のうちに決まったルール(または、方向性)のようなものに強く縛られているということです。
この点は中国という外国に身を置くことで、より強く実感するようになったことです。
そういえば、丸山真男が昭和天皇の逝去の際、世間の自粛ムードを、「自粛の全体主義」と表現していました。
これはつまり、どこで何が決定されて、それでどうすべきかという方向性が明瞭でなく、何となくその方向へ物事が進行していくという様を表現したわけです。
今回偶々気づいた日本におけるタクシーの色が、何故か黒にほぼ集中していることは、そうした日本社会の特質と何か関係があるのかもしれません。
少なくとも、日本においてタクシーの色を黒に限定するという法律はないはずですから。
であるとすれば、何かが原因で黒の色のタクシーが誕生したにせよ、それにずっと縛られているのはおかしな話だと私は思うのです。
ま、ピカピカの金色タクシーなどが登場したら、私は乗りたくありませんが(苦笑)
私は日本にいる時の移動手段は、主に電車です。
しかし、急いでいる時などは時たまタクシーを使います。
日本のタクシーは値段が高いですから。
逆に中国に戻ると、移動手段は主にタクシーです。
それは、何と言っても値段が大きく関係しています。
日本では初乗りが大体660から710円の間だと思います。
対する、中国(上海)では大体170円ですから。
(内陸部はもっと安い値段)
さて、そのタクシーの色のついて最近気づいたことがありました。
それは、色の豊富さという点で中国の方が圧倒的に勝っていることです。
日本では、黒色のタクシーが一般的ではないかと思います。
多少異なる部分もあるものの、黒がタクシーの色とでもいう位に浸透しています。
そこからは、まるで黒=タクシーの色というような、ある種固定化された、もっと言えば強制的な統一感を感じることさえあります。
が、中国の上海(北京などでも)ではタクシーの色は実に豊で統一感は感じられません。
恐らく、タクシー会社によってカラーが違うのでしょう。
そこからは、自社のタクシー達を強く世間に主張しているかのような印象を持ちます。
ちなみに、最近では日本でも多様なカラーのタクシーを見かけます。
しかし、それは最近のことであり、あくまでも一部の例に過ぎない気がします。
自分自身をどんどん前に出し、自己主張しようろする中国の文化と、世間を常に意識し、その中で、ともすれば自分も同化していくような日本の雰囲気との差異でしょうか。
現時点ではっきりとしたことは分かりませんが、両国において随分違う部分であると思います。
しかし、二年半中国で暮らす中で感じたことは、今回気づいたことと関連しています。
それはずばり、日本(または日本人)は世間で意識的に、というより、むしろ暗黙のうちに決まったルール(または、方向性)のようなものに強く縛られているということです。
この点は中国という外国に身を置くことで、より強く実感するようになったことです。
そういえば、丸山真男が昭和天皇の逝去の際、世間の自粛ムードを、「自粛の全体主義」と表現していました。
これはつまり、どこで何が決定されて、それでどうすべきかという方向性が明瞭でなく、何となくその方向へ物事が進行していくという様を表現したわけです。
今回偶々気づいた日本におけるタクシーの色が、何故か黒にほぼ集中していることは、そうした日本社会の特質と何か関係があるのかもしれません。
少なくとも、日本においてタクシーの色を黒に限定するという法律はないはずですから。
であるとすれば、何かが原因で黒の色のタクシーが誕生したにせよ、それにずっと縛られているのはおかしな話だと私は思うのです。
ま、ピカピカの金色タクシーなどが登場したら、私は乗りたくありませんが(苦笑)
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