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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

大学院時代の研究仲間達

2012年10月15日 05時08分43秒 | Mの研究活動や成果
本日も夜更かしをしてしまいました。
どうも深夜でないと仕事も研究も集中できないので仕方がありません。
本日月曜日は昼に一件用事があり、あとは夜の講義があるだけです。
ですから、これから昼前まで休もうと思っています。

私の研究生活にコーヒーは欠かせません。



さて、先日久々に大学院時代の仲間と連絡をしました。
仲間と言っても私の先輩にあたる方で、研究分野も異なります。
ですが大学院研究室で良くお会いし、酒も何度も飲み語りあった仲です。

私とは同時期、今年9月大学院を修了し、既に某大学の専任となっています。
というより、大学院在籍中から現在の職にあり、私と同じ社会人学生でした。
だからこそ、先輩であっても比較的身近な存在として話せたのでしょう。

スカイプで一時間程話したのですが、話題は先日行われた大学院修了式に及びました。
一番印象的だったのは、僕らと同時期に博士課程を修了した中国人留学生Yさんの話でした。

元々、中国の著名な銀行で銀行員をしていたYさんは一念発起、日本へ留学。
そこから日本語を学び、大学院の修士、博士と6年間を千葉大で学びました。
日本へ来る以前から既に家族もおり、家族とは離ればなれになりつつも、ただ博士号取得を目指しました。
その間、中国へ帰ることはほぼなく、博士課程在籍時は一度も帰っていなかったと聞いたことがあります。
私は研究室でYさんと会うと、よく近所の中国料理店へ誘い、食事や酒を飲み、研究の話をしました。

そして、いよいよ博士論文を書き上げ提出しようとしていた矢先、Yさんのお父様が亡くなりました。
私は当時、中国から日本へ戻り、大学院の研究室でYさんのすぐ近くの席で論文を書いていました。
ですが、Yさんは何も話さずにただ黙々と自身の博士論文を書いていました。
その集中力と執念のようなものに当時は全く気づけませんでしたが、その事実を知りすぐに言葉が出ませんでした。

そういう深い“思い”や“期待”を背負って博論を書いている仲間がいたことを今回初めて知ることが出来ました。

ちなみに修了式にはYさんのご家族がわざわざ日本までいらしたそうで、式の後は皆で食事会を開いたそうです。
一生忘れられない食事会であっただろうと推察します。


なお、大学院の場合、論文提出時期が年に二回設けられており、どちらで出すかで修了時期が異なります。
私と先輩の場合、論文を今年2月に出した関係で修了は今年9月となりましたが、3月修了もあります。
通常は3月修了する学生が多く、9月修了は比較的少数になります。
今回もそうで、特に博士課程の修了生となるとその数は本当にわずかとなります。
9月28日にあった大学院修了式では、式に参加した所属研究科の博士課程院生は4人だけ。
もっとも、私のように参加できなかった院生が何人いるかは把握していませんが…

そしてこれは先輩から送られてきた写真。
大学院の全研究科の修了式後、各研究科の修了院生と教員だけで撮ったもの。

        

皆、長い博論との格闘を終え、一区切りをつけたせいか顔が晴れ晴れとしています。
本来は私もここに入っているはずでしたが、それが叶わなかったのは少々残念です。
ですが、有難いことに?大学院から修了生のコメントを依頼をされ、それが最近大学院のHPに載せられました。
集合写真は撮れませんでしたが、その代わりと考えようと思っているところです。

http://www.shd.chiba-u.jp/message-mimura

自身の大学院修了式によせて(上海からの思い)

2012年09月28日 03時33分11秒 | Mの研究活動や成果
中国では中秋節、国慶節が重なり、大型連休に入ろうとしています。
私は27日(木)で全ての仕事が終わり、10月7日(日)まで休暇となります。
その間、食事会や外出予定があるものの、後は自身の研究をする予定です。

これは私も暮らす大学構内の留学生や外国人教師の為の寮。
各国から来ている留学生を迎えるのぼりがつけられています。





さて本日、9月28日(金)は私が所属する大学院の博士課程修了式が実施されます。
私は上海にいる為、残念ながら修了式は欠席することにしました。
出席は出来ませんが、やはり無事に修了式当日を迎えられたことは嬉しく思います。

そして、この日を無事に迎えられたのは、多くの支えや協力があったからこそです。
さらに、厳しい意見や批判を下さった方々の存在も私にはなくてはならないものでした。
そうした人達全てに改めて感謝する日にしたいと思っています。
本当にありがとうございました。


なお、私は博士課程の時期、7割は中国で、3割は日本で過ごしました。
大半を中国で生活する中で、多くの中国人と出会い、刺激をもらい、自分の世界観も随分影響を受けました。
そうしたことから、自身の研究課題も中国に来る前と比べ、随分と方向性が変わっていく結果となりました。
狭い研究室でほそぼそと研究生活を送っていては、恐らく、自身の研究も現在の形になっていないはずです。

ですから私にとっては、中国へ来られたことは本当に大きな意味を持ちました。
そして、私はこの国に来られたことを本当に有難かったと思っています。
もちろん、何事も全て上手くやってこられたわけではなく失敗もあったのですが…
それでも、やはり中国という国、そして中国人と交わる機会を持てたことは幸せでした。
中国の皆さん、心より感謝致します。

なお、中国生活でまとめた研究成果の一つを、12月の同時代史学会の全国大会にて発表する機会を得ました。

http://www.geocities.jp/doujidaisigakkai/annual_meetings/2012.html#summary

もし関心のある方は、是非会場の千葉大学までお越しください。
皆様の御来場をお待ちしております。

同時代史学会大会にて報告が決定(12月)

2012年08月26日 22時11分19秒 | Mの研究活動や成果
昨日、私が所属している学会(同時代史学会)の一つから連絡が入りました。

同時代史学会HP
http://www.geocities.jp/doujidaisigakkai/

今年の12月、この学会の全国大会が千葉大にて開催予定です。
その大会にて報告者を募集しており、幸い私も報告者の一人に選んで頂けたとのこと。
2009年の博士課程二年の時から中国に来たことも関係し、2008年3月以来の学会報告です。

なお当日は、博士論文でも取り組んだ

1960年代の日中建築交流の実態とその影響 -建築学者西山卯三の果たした役割に着目して-

を話す予定です。
なお、開催日時の詳細は

日時
2012年12月8日(土)午前
会場
千葉大学キャンパス

となっています。
上海での仕事もあってなかなか忙しい時期ではありますが、
とにかく報告をさせて頂ける以上、頑張ってこちらも取り組むだけです。


思えば、上海へ戻る日(今月28日午後)も徐々に近づいています。
長いようであっという間の夏休みもそろそろ終わりです。


博論製本が完成

2012年08月24日 03時16分31秒 | Mの研究活動や成果
今日はこの度無事に学位をとった博論の製本(ハードカバー)が届きました。
なお、博論製本は私の希望ではなく、国会図書館と大学院へ提出にはこれが義務化されています。



やはり、きちんと業者に頼んで製本すると確かに立派です。



国立国会図書館、大学院に各一部提出し、残りは資料調査でお世話になった研究機関に送る予定。

もっともお世話になった多くの研究者、その他の方々が大勢います。
そうした方達へは簡易製本を業者に頼んで送らせて頂く予定でおります。
とにかく無事に早めに博論を大学院学務へ提出し、Mは上海へ戻ります。

大学院の修了式も出来れば参加しようと思っていましたが、
その時期(9月下旬)には大学での仕事が始まっています。


上海へ戻る日が来週28日(火)なので、早いものでもう残り5日です。
そんなわけで(?)、今週の火曜日は大学院のM先生とK先生と会い、それぞれ研究の話。
夕方に会ったK先生とは、そのまま大学近所の中華料理店で一杯。
何か共同研究を行い、成果を発表しようと話はしていたのですが、飲み過ぎました(苦笑)

色々と考えていた案も話せないままお開きとなってしまったので、今後要相談です。
幾つかの案は出し合っているので、そろそろ方針を決めて取りかかる時期が迫っています。



水曜日は東大東洋文化研究所の研究員Mさんと東文研受け入れPDのTさん、そして今度中国の大学へ赴任することになった歴史研究者Sさん達と飲みに。

東大本郷キャンパス近くの居酒屋にて互いの研究状況を伝え会い、私の兄貴分Mさんからは色々と御助言も頂きました。

私は今後の研究方向の軸として、日本近現代史という領域から扱う範囲を如何に東アジアへと拡大させていくかを模索しており、その為にも中国語(或いは英語)を集中的に学んでいることを話しました。
(もちろん、最近の関連研究の成果に目を通し、状況把握もしていますが)

すると、Tさん(専門は民俗学)も考えていることが全く同じ状況だとの話になりました。

東洋文化研究所で取り組まれている主たる研究が地域研究であることを考慮すれば、そうした研究に関心が向くのはある種当然のことでしょう。
(また、昨今の研究状況を考えても)

ですが、歴史学にとどまらず様々な分野でこうした取り組みがホットであり、研究者の方々がその取り組みのために舵取りをしている実態を再認識した瞬間でもありました。

ちなみに、帰宅後、羽田正さんの研究室HPから面白いイベント記事を見つけました。
(既に、終了しているイベントではありますが)
これは、「ユーラシアの近代と新しい世界史叙述」(科研費(基盤研究S))との課題名で実施されている研究の一環として行われたイベントのようです。

http://haneda.ioc.u-tokyo.ac.jp/eurasia/72223.html

複数の若手歴史研究者が自身の「世界史」研究の成果報告、それに対するフロアからの議論を活発に行っています。

いや、可能なことならめちゃくちゃ参加したかったです。。
ただ、その時期は語学習得の為、上海にいたわけで。
悔やんでも仕方ないので次の機会を探し、是非次回は参加していこうと思います!

大学院でのあれこれ

2012年08月10日 04時21分53秒 | Mの研究活動や成果
本日(9日)は明け方までパソコンに向かい、少し仮眠後すぐに大学院へ。
そのまま往復移動の電車内では、何度か睡魔に襲われ記憶がどこかへ…

大学ではまず、用事があり立ち寄ったK先生の研究室で用事を済ませ、暫し談話。
主にお互いの研究状況などを伝えあい、今後の研究課題にも話は及びました。

思えば、K先生の研究室を訪ねた際には、常に論文抜き刷り、著書等を頂きます。
それだけ精力的に研究成果を出されているK先生に対しても驚くのですが、
同時に、いいかげん私の方からも差し上げる成果を出さないと思いました(汗)


K研究室を後にし、自身の用事を済ませた後、博士課程院生の使用する研究室へ。
そこで、友人の中国人留学生Yさんと久々に会い、話しました。
Yさんもこの度博論を大学院へ提出し、審査試験に合格したとのこと。
もう一人の友人で、既に某大学で専任職をしているYさんも博論試験に合格したとか。

とにかく三人で無事に博士学位を取得できたことを喜びました。
なお、Yさん達は明日から中国の内モンゴルへ出かけるそうです。
そこで、我々と同じ研究科博士課程を去年修了したOBの一人が、
内モンゴル財経大学の金融学部で副教授になり、千葉大関係者を招いた為だか。

Yさん(中国人留学生の方)は、そこで自身の研究発表をするそうです。
(研究室では、そこで使用する中国語資料をせっせと作成していました)

そんな訳で中国から彼らが戻ったら、祝賀会として飲み会を開催するという事に。


博士研究室で暫し作業をした後、大学の付属図書館へ。
図書館の入り口はこんな感じ。



私が中国に行っている間にリニューアルされた図書館で、非常に綺麗になっていました。
すでに夏休みを迎えたはずですが、学生達もまだ多く、本を読んだり、パソコンに向かっていました。

図書館では、中国にいる為にずっと読めていなかった、

「2011年の歴史学界 : 回顧と展望」『史学雑誌』(山川出版社、2012年5月)

をチェックしてきました。
既に読んだ本や論文も少なくありませんでしたが、未読のものもチラホラ。
(逆に、「それが入っていないの!?」というケースもあったりしましたが)
やはり中国でも研究環境に恵まれた上海とはいえ、十分に日本側の文献が入手できるわけではないので。

ですので、明日は歴史系の文献を専門に所蔵する県立熊谷図書館へ行く予定。
そこで、まだ読めていない最新の成果も収集してこようと考えています。

そういえば、8月中に投稿予定論文もまだまだ十分に書けていません。
上海へ帰る日も徐々に近づいている為、急ぎ足で取り組むつもり。

というわけで、今日はここまで。

サバティカル休暇

2012年08月02日 02時44分06秒 | Mの研究活動や成果
サバティカル

この言葉をどれくらいの方が御存じでしょうか。
伝統的には大学教員が、自身の研究活動などに専念する為にとる休暇を意味します。
(他の職業でもこの制度が設けられている場合もありますが)

大学での講義や他の会議、または別の雑務に追われていると自身の研究課題に腰を据えて取り組むのが困難になります。
その為、こうした休暇制度を利用して大学教員は研究活動に専念するのです。

そういえば、先日浦和県立図書館で目にした『社会経済史学』に副指導教官としてお世話になったO先生が論文を発表されていました。
O先生も半年のサバティカルをとり、研究活動に専念されていました。

大学の仕事を気にせずに、集中して研究課題のみに取り組めるのはやはり効果が大きいようです。
私もこの点は全く同じで、サバティカルではないものの、夏期と冬期休暇こそが研究課題に集中して取り組める時期となります。


私は大体、長期休暇前に研究計画を立て、それに沿って研究課題を進めるようにしています。
中国での現在の生活は4年目ですので、もう随分慣れてきて、その段取りと計画も効率的なものが設定出来るようになってきました。

今日も県立図書館へ行き、下の写真にある文献(×7)を借りてきました。
(この他、コピーしてきた論文などの資料もあります)



これらにすぐに目を通し、必要なら購入、もしコピーで済む程度ならそれで返却します。
全て購入していきたいのですが、研究費が潤沢にない現在、それは厳しい選択肢です。
自宅から自転車で10分弱の距離に県立図書館があり、苦にならないのが有り難いです。


長期休暇中は研究生活中心になり、どうしても明け方まで起きていることになります。
そんな時に役立ってくれるのが、下のコーヒーメーカーです。
毎日5杯前後のコーヒーが、私の毎日を潤してくれます。



研究以外にも、中国語は毎日取り組んでいます。
読解がそれなりに出来てしまうので、正解率は悪くないようです。
ただ、発音や単語量、また正確な文法理解はまだまだ課題があります。

とにかく単語はどんどんノートに書いて覚えるようにしています。
やはり単語が頭に入っていないと、これはお話になりません。



学習の際、HSKの検定問題集を中心に取り組んでいますが、発音がまだまだです。
更に力を入れていかないと上達しないのが明らかなので、もう少し勉強時間が必要です。

あまりきばっても疲れるので、将来流暢に中国語を操る自分を想像し、楽しく頑張ります!

長澤淑夫著『シベリア抑留と戦後日本』(有志社、2011年11月)の紹介

2012年07月27日 04時01分05秒 | Mの研究活動や成果
私の所属する大学院には、同期はもちろんですが、当然のことながら、先輩や後輩も数多くいます。
そうした大学院の先輩の一人で、同じ日本近現代史を専攻する方が、自身の研究成果を出版されました。
それが、長澤淑夫著『シベリア抑留と戦後日本』(有志社、2011年11月)です。
なお、これは長澤さんの修士論文に加筆修正したものです。

博士論文ならともかく、修士論文を出版されるとは凄いです!
(博士論文でも、即出版となることは多くないですから)

なお、私は中国にいたため、このことを先日長澤さんから直接聞かされて知った次第です。



先日水曜日、近所の埼玉県立図書館に行って検索してみると、こちらにもきちんと入っていました。
斜め読みながらも、そのまま数時間かけて一通り長澤さんの著書に目を通しました。
シベリア抑留者の戦後補償運動を追いかけることで、それを政府が拒否した背景や論理を探ろうとしたものでした。
また、戦後補償の運動に携わった人々の思いや姿勢が、第三者の私にもかなり強く感じられるものでした。

何よりも、この研究課題によせる長澤さんの非常に強く深い問題意識が随所に滲んでいると感じました。
研究を行う上で、もっとも重要なことをこの著書から再認識させられた思いです。


私も博論が無事に審査を通った今、きちんと修正を加えた後、出版という方向へ早く舵を切っていきたいものです。

献本のお礼(千葉功著『桂太郎』 中公公論新社)

2012年07月23日 04時51分17秒 | Mの研究活動や成果
一時帰国し、中国に行っている間に日本へ届いた書類や荷物をチェックしています。
その中に、献本として届いた本が含まれていました。

千葉功『桂太郎 外に帝国主義、内に立憲主義』中公公論新社(中公新書)、2012年5月

             

なお、版元の紹介HPは以下の通り
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/05/102162.html


帰国したばかりで、まだ読んではいないのですが目を通したいと思います。
千葉さん、御著書をどうもありがとうございました。


博士号学位を取得! ようやく研究者としてスタートラインに立つ

2012年07月19日 03時14分26秒 | Mの研究活動や成果
18日の夕刻、指導教官M先生より一通のメールが届きました。
それは、


「M君へ

本日の教授会で、君の博士論文が無事に通りました

おめでとうございます

取り急ぎお知らせまで」


というものでした。
2月に博論提出、5月に口頭試問、そして本日の教授会で正式に博士号授与が承認されたというわけです。

予てから、M先生から「18日の教授会で最終的な学位授与が決まる」と聞かされていました。
よって、審査委員の先生方から「合格」を頂いたことは聞いていたものの、やはり最終結果が気になっていました。
ですから、まずは本当に良かったです。

一報を受けてすぐ、博論に関わる研究でお世話になった方々へお礼のメッセージを出すことにしました。
まだ全ての方へ出しきれていないのですが、主たる方々へは出すことが出来ました。


2009年、博士課程一年終了時に中国に来て以来、中国で職を持ちながら無事に博士号を取得出来たことは、


                   感謝


の一言に尽きます。

今回の結果は、中国行きを勧めて下さった千葉大関係の先生方、中国生活を支えてくれた安徽省、上海市の大学の先生方や生徒達、
それから中国と日本でそれぞれ私の研究や調査に協力して下さった多くの研究者などの存在があってこそです。
また、精神的に私のことを励まし続けてくれた方々の存在があったことも大きな励みとなりました。

ですから、そうした多くの方への感謝をこの記事にてもう一度表せればと思っています。



さてさて、博士号を取得が無事に決まった以上、次の一歩を歩みだそうと思います。
博士号取得とは、要するに研究者として独り立ちを意味するだけで、実際はこれからが勝負です。
歴史研究者としての道は、まさにこれから本格的に始まると言っても良いでしょう。

ですので、これからもっと大きな“山”を見つけ、それを楽しく、しかし真剣に登っていくつもりです。

皆様、今後ともMをよろしくお願い致します。



大学院の指導教官からの影響のこと

2012年06月05日 00時39分03秒 | Mの研究活動や成果
<今夜、私の博論修正が全て終わったことを祝ってわざわざプレゼントをくれた学生がいました。心遣いが嬉しかったです。謝謝!>

先日、こちらの大学の四年生の卒論提出締切日でした。
なお、現在の大学では私の指導学生は三人いますが、他のどの先生方も3・4人の学生を担当しています。

卒論の締め切りを過ぎた後、我々の大学では提出された論文を指導教官以外の3人の教師が読み、
それに対する修正意見を出すというのが通例になっています。
もちろん、「修正の必要がない」と判断される論文もありますが少数です。

そうした中、私の指導学生はいずれも忙しい中で指導を受け頑張ってくれました。
その為、一人の学生は「修正意見なし」で、他の二人も簡単な指摘が其々一つあったのみでした。
(なお、指摘を受けた学生の一人は論文要旨を付け忘れるというミス、苦笑)
全体の学生に対する修正意見も見ましたが、相当意見をもらった卒論も多いのが分かりました。

ですから、今回は彼らの頑張りを何よりも褒めるべきだと思っています。


そして、今週木曜日には卒論口頭試問が予定されています。
早速、昨日、指導学生達にその際のアドバイスをメールで伝えました。
口頭試問といっても、その時間は修論や博論とは当然違い、短く限られたものです。
ですから、

その短い時間で如何に自分の卒論をPRできるか

これが何より重視すべき点であるのは明白でした。
もちろん、日本語科の学生としてはその際に話す日本語レベルも重要です。
(ただ、これは今からの指導ではどうしようも出来ないものです…)

具体的には、

・自らの卒論が、以前の研究課題のどこに対して取り組み、どのような研究成果をあげたのか?
・そして、どのような史資料を駆使し、課題にどのように迫ろうとしたのか?(今後の課題も)

これを誰にでも誤解なく理解できる表現で、簡潔に説明することが大切だと伝えました。
口頭試問ではどんな質問が出されかは不明ですが、この軸がきちんとしていれば論文の価値はきちんと相手に伝わるのです。
よって、細かい質問内容をあれこれ考える前に、この作業をきちんと行っておけばまず間違いない、そう学生には言いました。

実際、細かな質問が仮にあっても、それに対してはきちんと真面目に卒論に取り組んだ学生なら何も問題なく答えられるはずです。
よって、そんなことを心配することは、これまで真面目に卒論に取り組んだ私の指導学生達にとって不要であるとも考えました。


曲がりなりにも大学で教えるようになって、このような卒論指導をする中で気づいたことがありました。
それは、

大学院の指導教官からの影響

でした。
私は大学の学部、大学院とずっと千葉大だった為、指導教官もずっと同じでした。
指導教官とは中国に来て以来、半年に一回会うだけですが、実はそれ以前もそれほど研究指導を頻繁には受けませんでした。
誤解がないように言えば、受けられなかったのではなく、自らがそれを選んだのです。

研究者として成長していく為、大学院時代に手取り足取り指導を受けていくことに何か抵抗を感じたのです。
また、指導教官もそうしたことを重視されているように私には感じられ、同じことを考えているようにずっと思っていました。
よって、何か「重要」な際だけ質問して意見を求め、他は自らが悩み苦しむ時間を経て、一つの方向性を得るように心がけました。

逆に、時々私がした研究に関する質問への回答、ゼミでの指導教官の発言は逐一メモしていました。
そうした作業を経て、私は指導教官が短い回答の中に重要なエッセンスを込めて返してくれていることに気づけたことがありました。
それは、非常に簡単な言葉であることが多いのですが、良く考えてみればそれが最良の答えであるという具合にです。


そういう本質的な回答をさっと返せることに感動し、いつしか私自身もそうしたことが出来るようにと考え、行動するようになっていきました。

・このケースでは何が一番重要なのか。逆に、何を切っても良いのか
・このケースではどのように相手に訴えれば、自分の考えや主張がきちんと届くのか

という基本的なことのようですが、評価されるポイントをきちんと理解し、行動しようとする思考が徐々に身についていきました。
実際、私はこうした思考スタイルを身につけられたお蔭で、研究計画書の書き方やPRの仕方が大学院時代と通してかなり上達しました。
具体的には、博士後期課程1年の終わりから今までずっと中国にいて仕事をしているのにも関わらず、公募の校内研究費を四回獲得しました。
(もちろん、計画書には仕事をして給与を得ている旨もきちんと記載しています)

ただ、これは私の研究者としての能力が評価されたのではなく、相手に訴えかける研究計画書のロジックが功を奏したと理解しています。

よって、大学院の指導教官から受けた恩恵は非常に大きいと思います。
今回、上海の大学で卒論の指導をする自分自身のやり方を客観的にみて、その影響をここでも再確認した次第です。



最近はやや長めの文章になっている私のブログですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。