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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

今日から労働節休暇へ(中国)

2013年04月29日 16時19分41秒 | Mの研究活動や成果
4月29日から5月1日の三日間、中国は労働節休暇。
所謂、GWに突入です(日本よりも短めですが)。

中国では29日(月)、30日(火)が平日にあたるので、その分の仕事を振替えることが決められています。
具体的には、29日の分は27日(土)、30日の分は28日(日)という具合に、前の週末で行わないといけないのです。
これは大学も同様に、上記の具合で授業を振替で実施しないといけないことになっています。

日本では連休に土日を挟めばその分、ただ連休が長くなるのですが、中国は違います(涙)
ちなみに、現在のインフルエンザの影響でこの休暇の旅行客数は減少が予想されていると報道が出ていました。
ですが、こちらで生活している感じではあまり敏感になっていない印象を持ちます。

実際、旅行に出かけたりした学生や留学生たちの情報を幾つか耳にしました。
マスクをしている人々も一時増えた印象があったのですが、最近はあまり見なくなった感じがします。
中国でも当然、インフルエンザの心配はしているのですが、日本よりも敏感にとらえていないようです。


なお、労働節ということで、大学構内にはそれを祝うのぼりなどが出ています。


休暇にはいったせいか大学構内はやはりゆっくりとした雰囲気で、落ち着いて研究が出来ます。

私はこの三日間、ずっと某計画書(字数は約二万五千字)と格闘して、仮完成をさせる予定です。
この計画書は、今後、私が新しく進めようとしている研究課題をまとめているので、非常に重要です。
もし、時間が余れば5月の日本での学会発表準備をする予定ですが、どこまで出来るかは正直…
なお、5月下旬には上海の国際シンポジウムでも発表させていただくことになりそうで、その概要も事務局に届ける予定。

ですから、仕事のことは暫く忘れて、研究活動だけに没頭する三日間にしたいと思っています。
私の場合、研究活動をする時は誰とも会わずに、とにかく研究だけに向かいあわないとなかなか進みません。
そのため、明日、学科主任H先生宅で皆で食事をしようとのお誘いもお断りしました。


とにかく、この三日間は勝負の三日です!
我会努力!!

お知らせ!(5月の学会報告詳細)

2013年04月19日 21時21分56秒 | Mの研究活動や成果
以下の日程で学会報告を行います。
日程、場所、報告者等の詳細が決まり、その連絡が学会からありました。
一応、報告者の一人として、このブログでもお知らせをさせて頂きます!



千葉歴史学会第32回総会・大会のお知らせ

日時  2013年5月19日(日)午前9時30分より
場所  千葉大学大学院人文社会科学研究科棟1階
マルチメディア講義室
(千葉市稲毛区弥生町1-33千葉大学内)
交通:JR総武線西千葉駅下車徒歩約10分
京成千葉線みどり台駅下車徒歩約5分

日程
 総  会  9:40~
 研究報告 10:30~
①神郡とは何か ―香取・鹿島郡を事例に―
有富 由紀子氏(東京女子大学)
②鎌倉府軍事制度小論―戦功認定システムを中心に―
呉座 勇一氏(東京大学)
③近世後期関東在方町における「町」組織の運営と機能
―下総国香取郡佐原村・新橋本町を事例に―
酒井 一輔氏(伊能忠敬記念館)

≪昼食・休憩≫(12:30~13:30)

研究報告 13:30~
④1949-1966年における日中間の民間交流の動向
―その役割と意義を中心に―
三村 達也氏(〈中国〉華東理工大学)
⑤学校現場におけるオーラルヒストリーの教育的効果と
今後の展望について
~過去12年にわたる祖父母からの
聞き取り調査の実践から得られたもの~
神山 知徳氏(昭和学院中学校高等学校)
⑥「水害の分配」を可能にする地域社会の納得の論理
  ―利根川・布鎌地域の水防慣行の検討から―
金子 祥之氏(早稲田大学大学院)

記念講演  15:30~
  講演者  安在 邦夫氏(早稲田大学名誉教授)
演題「自由民権運動から福島第一原発問題を考える」

懇親会    17:30~
(場所:千葉大学 社会文化科学系総合研究棟1階
グラデュエイト・ラウンジ)

千葉歴史学会大会での報告要旨(2013年5月19日)

2013年04月10日 00時19分47秒 | Mの研究活動や成果
来月、日本で行われる千葉歴史学会大会の報告要旨を先日学会に提出しました。

それ(中国語版も)をここにもアップしておきます。
学会当日は5月19日なので残り約一か月、でもまだまだ準備が不足しているなぁ(汗)
今後はこの報告準備も急ピッチで進めていかないといけません。

なお、5月17日には一時帰国、学会報告の翌日20日には上海へ戻る予定。


題目:1949-1966年における日中間の民間交流の動向 -その役割と意義を中心に-

要旨:
 昨今、日中関係が悪化している。日中政府間の話し合いは未だ妥結点が見えず、先行きは不透明な状態のままである。そんな昨今の状況において、政府間以外の日中間交流の歴史に目を向け、それらが果たしてきた役割・意義を考えてみることは無駄ではなかろう。
 上記の観点に立ち、本報告では中華人民共和国成立以降から文化大革命前、特に日中間で相手国側への大型学術代表団派遣が始まる1955年前後の時期、また、日中間の民間貿易や文化交流などが多様にみられる1960年前後の時期に光を当てながら、当時の日中間における民間交流史の考察を行いたい。そもそも従来、この期間における日中間の民間交流史は研究蓄積が十分ではなかった。しかし、この時期には日中間で知識人や民間団体などが軸となって相互に交わりながら、多方面にわたる民間交流が展開されている。よって、そうした交流の実態、そこで果たした役割は決して無視できないものと思われる。
 報告では、この時期における日中の民間交流が、双方の国がおかれた国際関係、または政治経済などの国内状況、国内世論などとの関係からどのように進められ、発展していったのか、その実態に迫っていきたい。なお、主な史料としては上海市档案館所蔵の档案を用いる。
 最後に本報告で見込まれる成果は以下の通り。一点目は、新中国建国から文革前までの日中間の民間交流の実態、また、交流が果たした役割が具体的に明らかになること。二点目は、この時期の日中民間交流という日中両国の経験がその後、日中国交回復(1972年)へと日中両政府が動き出す際にどのように影響していったのか、これを考える糸口を見出すこと。以上である。


※中国語版も中国人の知人の助けも借りつつ、何とか作成してみましたので御覧下さい。

题目:1949年-1966年间中日两国之间民间交流的动向 -以其作用与意义为中心-

摘要:
  最近,中日关系进一步恶化,中日两国政府之间的对话至今仍未达成妥协点,前景不可预测。在这种情况下,我们将实现投向中日两国之间政府间外的历史上,来考虑它的作用与意义将是有价值的。
  从上述观点出发,本报告中将目光投向从中华人民共和国成立后到文化大革命之前,尤其是中日两国开始向对方派遣大型学术代表团的1955年和出现多样的中日间民间贸易和文化交流的1960年左右的时期,来进行对当时中日两国的民间交流史的考察。关于这一时期中日两国间的民间交流史的研究本就不是很充分。然而,在这一时期,中日两国的知识分子和民间团体等作为主导相互辉映,展开了多方面的民间交流。因此,这样一个交流的实态与它所发挥的作用是不容忽视的。
  此报告将就这一时期的民间交流在当时双方所处的国际关系、政治与经济等国内状况、国内舆论当中是怎样推进并且发展的实态展开论述。另外,作为主要历史资料,将利用上海市档案馆的资料。
  最后,从本报告中预想的成果如下。第一,从新中国成立至文革前的中日两国间的民间交流的实态与交流发挥的作用将具体地被展开。第二,这一时期的中日民间交流这一经验是如何影响中日两国政府一起走向未来的中日恢复邦交(1972年)的,将为这一问题的解答找出线索。

上海市档案館へ行ってきました。

2013年03月09日 03時45分00秒 | Mの研究活動や成果
今日は非常に暖かな、というか暑いくらいの一日でした。
春を飛ばして、急に初夏が訪れたかのような日和でしたね。

前回のブログでも書きましたが、最近、私の研究で必要となっている档案を見るため、
上海外滩にある上海市档案館(新館)へ行ってきました。
ちなみに、今回が初の訪問でした。

地下鉄二号線南京東路駅から徒歩で向かいましたが、20-30分はかかったかと思います。
随分と歩いて見えてきたのが、この建物でした。





入り口付近でも一枚お願いして撮ってもらいました。
変なタイミングで撮られたので、完全に白目むいてます(笑)


到着後、一階のところで荷物検査がありました。
その後、五階に案内され、そこで档案館の利用カードを発行します。
(外国人はパスポート、中国人は身分証明書が必要。)
なお、ここでの受付の方の対応はかなり丁寧でした。

後はお目当ての档案を検索して、必要なものを閲覧します。
なお、档案は種別によって閲覧方法が異なります。

まずはPDFでの閲覧。
これは24台用意されている閲覧用のPCを利用して閲覧します。
PDF閲覧は、目録検索後、「題名」のところに(全文)と表記してある場合、そのままそのPCで档案そのものが全文閲覧できます。
複写の申請もPC上でそのままでき、プリントアウトされたものを受け取ることができます。

次は、マイクロフィルムでの閲覧。
PCで目録検索した際に(全文)の表記がないものは閲覧室備え付けのマイクロ庫から閲覧者が直接取り出します。
6台設置してあるマイクロ・リーダーで閲覧することができます。
マイクロ・リーダーがある場所に档案番号とマイクロ保存ロッカー番号の対応表の冊子が置いてあって便利です。
…が、一つ付け加えておきたい点があります。
マイクロ・リーダー自体は、6台設置されているのですが、その約半数が故障状態だったのです。
(なお、いつ修理されるかは未定とのこと)
この档案を見る利用者は仮に台が空いていないと、無駄に待たないといけません。

ですから、朝一で行くこと必要であるようにも感じました。

そして最後は档案原本の閲覧です。
これはいわゆる旧館(仙霞路)にある「後庫」からいちいち搬出する形で閲覧しなければならない档案がこれです。
指定された時間、9時30分、10時50分、13時、15時にそれぞれ「搬出」されることになっているようです。
よって、この档案を見る場合には待ち時間がかなり必要だろうと思います。


今日は初めての訪問だったので、あまり多くの档案にはあたれていませんが、一つだけ档案をコピーしました。
コピーの申請用紙に記入後、受付で渡すとコピーされた档案は10分ほどですぐに受け取れました。
(1枚は1.5元でした)
ちなみに、利用者の多くはノートパソコンを持参していて、コピーせずに自分でパソコンに入力していました。
ただ、これだと必要以上に時間がかかってしまいますので、私はコピー優先で収集していく予定です。

次は来週の月曜日、今度は学生と一緒に行く予定です。


最後は、帰りに食べた炒土豆粉。
ピリッと青唐辛子が効いていて、パンチのある味でした。

中国の档案、档案館について(走り書きメモ)

2013年03月06日 03時24分31秒 | Mの研究活動や成果
最近、自身の研究課題の調査で中国の档案館へ行く必要が出ているMです。

ちなみに档案とは、
1、中国における歴代政権の公文書。
2、各種組織、機関或いは個人が業務処理を行う際に発生し保管される記録、文書、資料。
を意味し、要するに中国の行政関係文書と理解すればいいでしょうか。
 
これまで日本近現代史を看板に研究してきた私は、中国にいながらほぼ档案館へ行く機会を持っていませんでした。
博論が片付き、新しい大きな課題に取り組む中で、こうした必要性が出てきたというわけです。

なお、中国の代表的なアーカイブとしては、
1、中国第一歴史档案館
2、中国第二歴史档案館
3、中国国家図書館

などがありますが、各地方にも档案館があり、私の暮らす上海にも档案館がいくつもあります。
その中でも現時点では、上海市档案館と同済大学档案館に行きたいと計画しています。

上海市档案館
http://www.archives.sh.cn/
同済大学档案館
http://www.tongji.edu.cn/~archives/

理由は単純ですが、上海市档案館は上海で最も大きく、所蔵档案数も最も多いことから、そこへまず行く必要性が高いこと。
同済大学は上海で最も建築学分野で著名な大学で、調査している第二次大戦以降の日中の建築界交流記録がある可能性が高いからです。
ただ、正直まだ調査不足で、他にも研究に活かせる档案を所蔵している档案館がないかと現在調査を続けています。


なお、調べていくと中国の档案館を利用するにあたり、知っておくべき情報が幾つか分かってきました。

1、まず、档案は図書館などに「文物」として所蔵されているケースもあるということです。
(これらは国家档案法の枠組みからは外れる)
※よって、档案館だけでなく、図書館の所蔵档案にも目配りが必要

2、档案館は基本的に行政機関で、改革解放後の档案を扱うのが原則であること。

3、中国において「歴史」は過去ではなく一面で現在であるので、档案館にとって歴史档案は、時に解放後の档案以上に敏感な存在となること。

4、档案館は経営面では独立行政法人的で自己収入を一定程度確保する必要があること。
このために、史料集の刊行、また利用者からの手数料徴収がおこなわれるのが通常であること。

ただ、「4」に関しては少々補足が必要です。
最近、公民に対する情報公開が主張され、上海市档案館などではいち早く市民対応型のサービスを採用しています。
ですが、こうした動きはまだ一般的ではないようです。


档案館における档案公開が徐々に進む中国にあって、これら档案を中国史研究者が利用することは既に通常化しています。
ただ、まだ中国の档案館の全体像は不明な個所が多く、全体の档案が研究に有効に活用されているという状況にはありません。
そして、1949年以後の档案を使用した「現代」中国研究は依然決して多くないというも事実で、中国の行政をめぐる研究でも同様といいます。

今後私が進めようとしている課題は、まさに1949年以後の档案を使用した「現代」中国研究であり、同時期の日中関係史です。
ですから、こうした研究を進めるうえで、档案を有効に活用していくことは不可欠であると同時に、意義があると言えます。

思いつくまま走り書きした今回の記事ですが、次回以降は少し整理し、実際に档案館を利用した後でその経験なども紹介したいと思います。

学会報告のお知らせ

2013年02月11日 03時42分54秒 | Mの研究活動や成果
先日、私が所属する学会の一つである千葉歴史学会の委員の方より連絡が入りました。
何でも諸事情が重なり、今年の大会報告の一人を私に依頼する流れとなったそうです。

せっかくの機会なのでお受けしました。
なお、学会大会日は5月19日(日)とのこと。
その時は学期中なので、また一時帰国です。

報告テーマは、博論の一部を延長させたものになると思います。
こちらは3月末までに報告概要を学会へ提出する予定です。
ですから、その際、このブログでもお知らせしたいと思います。


千葉歴史学会HP
http://chibareki.blog.fc2.com/

久々の大学院研究室での徹夜

2013年01月30日 06時09分04秒 | Mの研究活動や成果
もう6時、そろそろ朝日が出てくる時間ですね。
帰国して以来、ずっと夜型の私は昼前に起きるような生活が続いております。
昨日(29)もそうで、昼前に起きたあと大学院へ向かいました。

大学院研究室へ着くと、そこで夕方まで暫し作業。
研究書購読、自分の研究論文、依頼を受けている計画書の修正、などせっせと3時間強。

18時からは幕張へ移動。
そこで大学院時代の仲間で、某私大の専任教員Yさんと飲みました。
将来のことや研究関係など積もる話もあり、気づくと21時過ぎ。
そこでお開きとし、再び大学院研究室へと戻ってきました。


そして、お茶を飲みつつ少し休憩して酒の酔を覚ました後、
今度は本日(30)打ち合わせで用いる論文の序章を作成していました。
その間、重要なメールが複数あり、そのやりとりも。
(研究費関係、学生の計画書、研究者の紹介の依頼など)

明け方3時半頃、猛烈な眠気が。。。

「これは無理だぁ・・・」

とそのままデスクで軽く仮眠をとり、うつらうつらして5時すぎになっていました。
やはり体力が落ちているようで、最近は完全な徹夜は厳しいようです。
もっと運動をして、猛烈な体力を持たないといけません。


これから軽く松屋で朝飯を腹にいれ、続きの研究作業をしようと思います。
生活リズムはめちゃくちゃですが、こうして研究だけに没頭できるのはやはり最高です。
ある院生時代の友人が、

「もしMが大学院だけにずっといたら、中国の仕事をしている時よりも博論提出に時間がかかったかもね。」

と言った言葉が分かるような気がします。

‘限られた時間(研究時間)’

という意識が、今の研究の楽しさを支えている一つの、そして大きな要因なのでしょう。

久々の大学研究室、図書館での生活

2013年01月21日 22時00分40秒 | Mの研究活動や成果
月曜日の今日、さいたま市の自宅を出て千葉市にある千葉大学へやってきました。
私は去年9月修了したため、大学に行く道、また大学構内にて色々と‘部外者’となったことを実感しました。

当然、定期券は学生の立場(それに相当する料金)で発行することはできません。
自宅から大学までは一ヶ月7往復以上する場合、定期券を購入したほうが安くなります。
ですから、そのことも考えたのですが学生証がもはやないために断念・・・

とりあえず、必要以上は大学へは足を向けずに自宅や近所の図書館で研究をすることに。


電車で一時間程で大学に着くと、今度は大学図書館を利用する際にも学生証が必要なことに気づきました。
そこで後輩のL君にお願いし、彼が普段使わないということなので代わりに学生証を借りて入館。
あとで聞くと、別に部外者であろうと千葉大図書館は誰でも利用が可能とのこと、苦笑。

そんなことも知らずにこれまで使っていた僕は恥ずかしい限りです。

図書館内をうろうろしていると、H先輩と遭遇。
聞くと有志の学生達と毎週勉強会を開いているそうで、その開催情報も教えてもらいました。
H先輩や私の直接の指導教官M先生がインドへ仕事で行っているため、弟子達は自分で学習機会をつくるしかないのです。

なお、夜、図書館を外から見るとこんな感じ。




図書館の入口にあたる一階のエントランスには、よく様々な講座が開催されているようです。


図書館内を一通りめぐり、必要な本や論文を集めた後、今度は博士課程の研究室へ戻ってきました。
これから終電の時間くらいまでは論文を書こうと思っています。


なお、大学院研究室が入っているビルの入口は夜はカードキーがないとはいれません。
そのカードもない僕は、これまた同じ博士課程の学生であるAさんにお借りしました。

本当に現在、僕はこの大学の‘部外者’のようです。。。
ま、無事に大学院を修了できたことに感謝すべきなのでしょうが。


留学生史研究会へ

2013年01月19日 01時50分23秒 | Mの研究活動や成果
まず、無事に日本へ帰国しています。
茨城空港から浦和までは遠かった・・・3時間ほど。
ま、格安航空なので値段で全て許しましょう(笑)


帰国して翌日の今日。
午後から神奈川大の大里浩秋先生、孫安石先生などが主催されている、
留学生史研究会へ顔を出しました。

これは主に、日本への中国人留学生の歴史を様々な視点から研究、
議論している研究会です。

中国生活が長くなっている今(すでに4年目)、その環境を活用しない手はありません。
また、博士課程も無事に終わった今、新しいテーマへと歩み始めたいと思っています。
そんななか、千葉大のK先生より勧めていただいたのがこの研究会でした。


留学生史研究会の詳細(孫安石研究室HP http://sonansuk.jugem.jp/?eid=331)

◎日時:2013年1月18日(金)、2時~5時
◎場所:東京大学駒場キャンパス18号館4Fーコラボルーム (予定)
◎内容:書評・駒場会議
(1)書評報告
1.卞鳳奎『日治時期台湾留学日本医師之探討』 (台湾:博揚文化事業有限公司)
ー見城悌治(千葉大学)
2.鮮明『清末中国人使用的日語教材』(中央編訳出版社)ー孫安石(神奈川大学)
3.◆ー大里浩秋(神奈川大学)
4.小谷一郎『1930年代後期中国人日本留学生文学・芸術活動史』(汲古書院)-周一川(日本大学)
5.白土悟『現代中国の留学政策―国家発展戦略モデルの分析』九州大学出版社ー王雪萍(東京大学)

(2)参加者の自己紹介と研究動向
(3)神奈川大学共同研究採択の報告と今後の予定について


12時 京王井の頭線、駒場東大前でK先生と集合  
   その後、今取り組んでいる共同研究の打合せ(東大内のカフェスペース) 

14時 研究会開始
   上記案内にあるように5人報告者がそれぞれの本を書評
   休憩を含め、17時すぎに終了

17時半 懇親会へ(Mは用事があり、18時半頃早退き)


今回は書評会ということだったので、各研究者の持っている具体的な問題関心、
また、各々が留学生史研究を通じて何を明らかにしようとしているのかなどは、正直よく分かりませんでした。

ですが、留学生という人の国家を超えた移動を通じて見えてくる、
一つの歴史像はやはりあるはずです。
私はそうしたトランスナショナルな歴史像の構築に関心を持っている立場なので、
今後も参加可能な機会があれば是非参加していきたいと思いました。

それにしても、研究会の皆さんがきさくで大変雰囲気のよい会でした。

無事に学会発表終了

2012年12月09日 01時33分12秒 | Mの研究活動や成果
昨夜は深夜2時頃眠りにつき、7時半には自宅を出て千葉大へ。
土曜で人が少ない大学構内では銀杏の葉が黄色くなっていて、寂しくもどこか綺麗でした。



本日、千葉大人文社会科学研究科の各教室で同時代史学会大会が実施されました。
午前は若手研究者中心の自由論題報告、そして午後は各分野で先端を走る歴史研究者の方々による報告がありました。



私も今回、午前の自由論題において報告をさせていただきました。
報告では主に、

主に1960年前後の国交回復以前の時期に日中建築界が学術交流を持っていた史実とその社会的背景。そして、そうした日中間の建築界の接近により、その影響が1960年当時建設されていった中国の上海や北京という都市部の集合住宅設計に反映されていった点をお話しました。そして、その中でも特に双方の学術交流に建築学者西山卯三が中心に関与していたことを紹介しました。

写真は報告をする私、M。写真は後輩の院生L君が撮影。



私の報告には、日頃お世話になっている千葉大K先生、先輩院生NさんやKさん、後輩院生L君やZさんが来てくれました。
また、中国現代史研究で著名な久保亨氏(信州大)も参加してくれ、今後の課題として有益なコメントを下さいました。
さらに、日本近代政治史の中北浩爾氏(一橋大)や、日本経済史や金融史の伊藤正直氏(東京大)などからもコメントをいただくことが出来ました。

お蔭で今後の課題も明確になる報告の機会になりました。
もう少しこの研究課題を突き詰めて考え、今後はもう少し問題関心を広げていきたいと思います。

「単なる冷戦史にとどまらない、もう少し広い社会史的な研究に広げられるのでは?」

という中北氏のコメントや、

「第二次大戦後に限定せず、それ以前との関係からも広く考え、それ以前からの影響にも着目すべきでは?さらに、1930-40年代の中国建築界の実態をもう少し考慮すべきでは?」

といった久保氏のコメントは特に今後に役立てられそうです。
また御多忙にもかかわらず、わざわざ参加してくださったK先生、先輩のNさんにも感謝したいです。

午後の報告については、また濃い内容であったのでここでは省略します。
ともかく今回こうした機会に恵まれ、一報告者として発表機会を得られたのは何よりでした。
次回は今回の課題を活かして、新たな成果を発表していこうと思います。


最後に学会運営をして下さった千葉大の関係者の皆様、大変お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。