goo blog サービス終了のお知らせ 

中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

同済大学(上海)の档案館へ行ってきました。

2013年07月12日 10時51分41秒 | Mの研究活動や成果
7月11日(木) 蒸し蒸しし、太陽が照りつける一日

この日はかねてより計画していた、上海の同済大学档案館へ出かけてきました。
同済大学は中国で、いやアジアの中でも建築学分野で有力な大学として有名です。
午前中に雑用を済ませ、同済大についたのは11時半すぎだったと思います。

同济大学档案馆
http://www.tongji.edu.cn/~archives/


なお、ここの档案館は午前・午後の間に休憩が入り、午後は13時半からの開門。
ですから、まずは同済大学の図書館に行って、目ぼしい本や資料を探してみました。
その後、大学構内で食事を済ませて、開門時間前に档案館へ。

大学の南校舎の門をくぐって、200メートル弱のところにありました。

入口の標識



建物はこんな感じで、この一階部分が档案を閲覧するスペースになっています。



一階の入り口スペースでパシャ。


ここをさらに入ると、閲覧スペース(と言っても、長机を取り囲むように椅子が十脚程備えられただけ)になっています。
閲覧の際は、外国人の場合、パスポートを持参すれば問題ありません。


ちなみに今回の調査では、1960年代に存在した日中間の学術外交に関する档案を収集するのが目的でした。
…しかし、残念ながら1960年代以前の档案はほとんど保存していないとか。
また、大学档案館以外の大学各部署が保存しているケースもあるようです。
(別の部署で档案がどの程度保存されているかの確認作業は後日の課題)
よって、档案館の職員ですらどこに档案が保存されているか把握していない状況でした。

国家・各省(或いは、市)の档案館であれば、この時期の档案は大部分がきちんと保存されています。
そして、その整理も進み、開放も進んできているのですが。
その一方で、各大学の档案館はまだまだ一般開放するレベルには至っていないと感じました。

本日はこれから上海市档案館へ向かいます。
それでは!

北京市档案館のこと

2013年07月09日 03時39分37秒 | Mの研究活動や成果
今回は先日まで調査で行ってきた档案館の一つ、北京市档案館に関する情報を書きたいと思います。
ここでは北京市に関わる民国時期档案、中華人民共和国時期档案、档案資料、北京市労働模範档案、訴訟档案、工商税務档案が検索可能です(総数は810635)。

北京市档案館HP:http://www.bjma.gov.cn/Default.ycs
住所:北京市丰台区蒲黄榆路42号
なお、現在の档案館は今後新館へ移動する予定があるとのこと。




では、そもそも档案とは何なのでしょうか?

これは、中国の各機関が保存する文献・書類・調書などを指しています。
档案法の関連規定では「国家の安全、重大利益などにおよぶ档案以外、作成後に満30年を経たものについては一般公開しなければならない」となっています。

よって、30年の時を経て公開されている膨大な档案は、重要な歴史史料であり、中国関係の歴史研究者にとっては重要なものです。
なお、数年前から北京市档案館では文革期 (1966~76年)の档案も公開が始まっています。

関連HPの記事:北京市档案館、文革期の史料を初公開へ
HPアドレス:http://pekin-media.jugem.jp/?eid=471


さて、次に北京市档案館の利用について簡単に説明しておきましょう。

私のような外国人が利用するケースでは、今まで(少なくとも2011年時点)はパスポートのみを持って行けば入館できました。
しかし、2013年7月現在ではパスポートに加え、紹介状が必要となります。

北京市档案館の該当ページ(查档手续):http://www.bjma.gov.cn/dafw/lgly/lglyxsy.ycs?GUID=1058

なお、こうした紹介状が必要とされるのは、中国国内のどの档案館でも一般的になっているようです。
パスポートだけで入館出来た頃が懐かしい…

入館手続きを済ませた後、荷物をロッカーにしまい、備え付けのパソコンで見たい档案を検索します。
なお、事前に北京市档案館HPから档案検索をし、目当ての档案を絞って出かけると便利なので勧めます。

そして、検索して見たい档案があればパソコンから窓口に申請します。

档案の種類は、
(1)紙のもの
(2)電子化されたもの
(3)マイクロフィルムのもの
の三種類でした。

お目当ての档案をコピーもできますが、制限にかかるとコピーできないため、パソコンを持参し入力するのが一般的です。
なお、私が訪問した日も10人弱の方が来館していましたが、皆パソコンを持参し入力していました。
ちなみに「制限」の具体的な内容ですが、

「特定の人物の発言内容・個人情報などが档案に記載されている場合」

にはコピーが出来なくなるとのこと。
よって、コピー申請を窓口に出した後、档案館の係りがその档案内容を調べ、どこまでコピー可能かを判断します。
その後、ここまではコピーが可能などと通知が出て、実際のコピーとなるため時間が相当かかります。

そのためだと思いますが、留学生達が一つの「档案入力チーム」を結成し、档案館に来館し、せっせとパソコンに入力していました。
日本へ帰るとなかなか中国には来られなくなるので、中国にいる間、こうした総動員体制で入力作業を進める必要性を再認識しました。
そう考えると、今の研究環境は大変貴重といえるでしょう。


今回、北京市档案館へ通った時間は2日と半日でしたが、その間、約2万字分の各種の档案を入力してきました。
コピーは上記のとおりなかなかスムーズにはできないので、約40枚と大した量ではありません。


最後になりますが、档案館の係の方々はそれなりに丁寧に対応してくれました。
ただ、恐らく「面倒」や「帰宅したい」という理由で、

「コピーは一度に申請して下さい」

と言ってみたり、閉館時間5分前になると、

「明日来るなら、明日続きの作業をして下さい」

と言ってみたりと、完璧な対応というわけではなかったのも事実です(苦笑)
ま、それ以外は特に大きな問題はなく、順調に調査が出来ました。


もし再度行く機会があれば、次回は総力戦体制で調査に挑みたいと思っています!

北京の档案館調査から上海に戻りました。

2013年07月06日 22時10分10秒 | Mの研究活動や成果
本日午前、約一週間の調査を終えて上海へ戻ってきました。
これから収集した資料整理などを可能な限りやろうと思っています。


今日は、調査日程を簡単に記しておくことにします。

6月30日(日) 曇、時々雨 
18時14分 上海火車(汽車)駅を出発

7月1日(月) 曇、時々雨
9時半過ぎ 北京駅着
10時半 上海へ戻る際のチケットを駅構内で購入後、そのまま宿泊先のホテルへ移動。


13時 ホテルからタクシーで移動し、北京市档案館へ
17時 档案館を出て、ホテルへ戻る途中に夕食。

「担担麺」と頼んだら、こんなものが出てきた。
日本のそれとはずいぶん違う…。


20時 ホテルへ戻る。シャワーなど休憩。
21時‐ 翌日の調査準備、読書。
1時 就寝


7月2日(火) 快晴
9時15分 開館と同時に、北京市档案館で調査開始
16時 档案館を出て、地下鉄で国家図書館へ


17時 国家図書館で研究書・学術誌などをコピー、読む
20時 図書館を出て、ホテルへ戻る途中、串焼きの店が連なる一帯で夕食。
22時 ホテルへ戻る。シャワーなど。
23時‐ 読書など。
2時 就寝 


7月3日(水) 快晴
10時 歩き回ったせいか体が痛く、朝早く起床できず(4、5日と同じ調子…)。
12時 外交部档案館へ。相当数の档案が公開制限がかかっていた。
15時 急遽、予定を切り替えて北京日本文化中心の図書室へ。
18時 北京日本文化中心を出て、SK大厦内一階のカフェで一息。
20時 西単にある北京図書大厦で研究書を物色。
   結局、川島真≪中国近代外交的形成≫北京大学出版社、2012年、他4冊の図書を購入。


22時 ホテル近くで遅めの夕食。
23時 ホテルの戻る。シャワーなど。
24時 読書など。
1時 就寝


7月4日(木) 快晴
10時 北京市档案館へ。
17時 档案館を出て、北京の王府井へ。
18時 北京ダックで著名なレストランで、ダックを堪能。

21時 王府井をブラブラして、夜の天安門を眺めてホテルへ戻る。
夕方の王府井


夜の王府井


もう一枚


夜の天安門


22時 読書など。
1時 就寝。


7月5日(金) 快晴
11時 国家図書館へ。4階の資料収集。
18時 国家図書館を出て、ホテルへ戻る。
19時半 ホテルで荷物を受け取り、タクシーで北京南駅へ。
21時16分 北京南駅発の动车(動車=所謂、新幹線)に乗り込み、上海へ。 


7月6日(土) 曇
9時 上海駅に到着。


今後は、研究者の方のために北京の档案館調査に関することなども紹介していきたいと思います。 
それでは!


北京の資料調査(北京市档案館、外交部档案館など)

2013年07月03日 22時21分59秒 | Mの研究活動や成果
6月30日(日) 18時過ぎの汽車で上海を経ち、翌7月1日の午前9時過ぎに北京へ着きました。

7月1日(月)から5日(金)までの一週間、北京で資料(档案)調査を行うためです。
北京は上海よりも気温は高いものの、蒸し暑さがなく、快晴が続いています。
ただ、例の大気汚染の問題があるのは事実のようで、喉が痛くなりました。
(マスクを着用している人々が上海より北京の方が多い)




さて、今回の調査目的は1950~60年にかけての日中民間交流に関する文書・記録(档案)を収集することです。
そのために選んだ資料収集場所は、

(1)北京市档案館
(2)中国外交部档案館
(3)中国国家図書館

です。
7月1日、2日と北京市档案館を訪れ、本日3日は外交部档案館へ来ています。
詳しくはまた追って記事を書きますが、現在、外交部档案館では「日中」、または「日本」に関するものがほぼ見られなくなっていました。
ちなみに、「日本」で検索をかけた場合、見られる档案はたった40。
さらに、「中日(或いは、日中)」で検索をかけた場合、なんとゼロ…。

なお、2010年時点で外交部档案館を訪れた日中外交史の研究者の記録では、

「1960年から65年までの外交档案が公開されたのは昨年11月だが、8月24日現在、「日本」というカテゴリーでヒットする档案数は1742」

あると書かれており、2013年7月現在、大部分の档案が公開制限対象となっていることが分かります。
大澤武司氏HP http://www2.kumagaku.ac.jp/teacher/osawa/danganguan_2009.html

いつ公開されるのかも明らかになっていないようなので、しばらくは別のルートから資料を探すしかなさそうです。
調査に来る前より「公開制限がある」とは聞いていましたが、これほどだったとは・・・


よって、明日・明後日と北京市档案館・国家図書館などへ出かけ作業を続けるつもり。
残り二日で可能な限り資料収集を行い、上海へ戻ろうと思います!

それでは今日はこのへんで。

久々に研究中心の生活へ

2013年06月23日 22時51分14秒 | Mの研究活動や成果
今日の午前中で学期末試験の全ての採点作業が終了しました。
そして明日、成績を大学に出して今学期の仕事は終わりです。

ということで、昼間からは久々に研究関係の文献などを読むために上海図書館へ出かけました。
既に夏季休暇に読もうとしていた研究書リストを作っていたので、それを中心に調べてみると数冊が所蔵されていました。
早速それらを抱えて空いた席に座り、流し読み程度でしたが全てに目を通しました。

そこから必要な個所だけをコピー申請し、自宅に持ち帰って熟読することにしました。

また、今週末から北京(北京市档案館、外交部档案館)へ史料調査へ出かける予定でいます。
その往復は久々の汽車(火车)の長旅を、そして宿泊先はけっこうな安宿を選択しました(苦笑)
飛行機での往復も考えたのですが、今回は時間もあるので体力に負荷をかけ、金銭面は浮かせる作戦です。

なお、A寝台で片道450元強(約6800円)でした。
(安いB寝台は既に売り切れ…)

北京の档案館で外国人が調査する場合、一般的に「紹介状」が必要なため、明日大学に申請する予定です。
明日以降は成績を出す仕事が終わり次第、私のお目当ての档案をネットで絞り込む作業を行う予定でいます。
膨大な档案の中から、私の求めている史料が出てきてくれることを祈るばかりです!

なお今夜は、今日コピーしてきた研究書を読むつもり。
現在、仕事のことはほぼ頭からなくなり、大半は研究のことばかり。
久々の研究中心の生活が始まろうとしています!



最後に、先日一年の学生達(前回とは別の班)と一緒に行った食事会での写真を紹介します!


そして、店を出て撮った一枚。


一年生達は他の学年と比べて、特にパワーがあります(汗)
彼ら彼女らと一緒にいると、私も妙にテンションが上がります。
来学期もよろしくね!!

若手研究者の時はとにかく“走る”!

2013年05月29日 22時55分53秒 | Mの研究活動や成果
学会報告を日本で終えて戻ったのが先週月曜日。
それから上海に戻り、担当授業を淡々とこなし、四年の指導学生の卒論も無事に提出させました。
一山超えて、ここ数日は普段の仕事をする以外は“無為”に過ごしました。

ですが仕事をしているだけではどうも充実感がなく、ひどく退屈です。
やはり、私には研究に関わる“何か”をやり続けるしかないようです。
そこで、以前から考えていた新たな研究課題をぼちぼち始めることにしました。

(1)以前、某学会誌に投稿し「戻ってきた」研究論文の修正作業、再投稿
(2)中国の档案館にて档案(史料)調査 →上海・北京にて予定
(3)私の研究に関わる某書籍の書評論文の執筆、投稿
(4)現在、新たに取り掛かっている研究課題を論文にまとめる

以上を夏休みが終わるまで、つまり8月下旬までに全て完成させようと考えています。
他に、日中関係史の主要文献・論文を読んで、整理する作業を可能な限り進めたいです。

また夏以降、いくつかの財団が研究助成の公募を行うので、それにも出来るだけ応募予定です。
日中を行き来する私の研究課題には色々と資金が必要ですから。

こう考えると、やはり休んでいる時間は全くありませんね。
学会発表明けで少し体を休ませたので、また次の目標に向かって進んでいこうと思います。
ある年配の研究者とお話しした時、

「若手研究者の時はとにかく徹夜で研究するのは日常のことでした。逆に、そうでないと研究者として芽が出るかどうか。」

という話をお聞きしたことがありました。
この言葉をそのまま受け取れば、若手の頃に「徹夜が日常」という研究者はやはり少なくないのでしょう。
いや、年配になってもそうでありつづけている研究者の方もきっといるはずです。


ともかく、若手研究者の時はとにかく“走る”つもりです。
走って、走って、走って、…そして、走る(苦笑)。
そのつもりです。

千葉歴史学会大会にて報告

2013年05月20日 02時14分13秒 | Mの研究活動や成果
5月19日(日) 快晴

午前8時過ぎ自宅を出発し、学会報告を行う千葉大へ。

9時30分過ぎに千葉大の報告会場へ到着、すぐ受付。




私は午後からの報告だったので、その足で大学院の研究室へ。
そこで明日以降の中国での仕事を可能な限り進める。

午後、博士課程院生Iさんと昼食。


13時半、報告開始(30分間の報告、10分間の質疑)。
なお、事前に提出していたテーマを若干変更。

1949年-1966年における日中間の民間交流 -学術外交に着目する今後の研究可能性-

新しく取り組んでいる研究課題なだけに、具体的な事例を調査した結果を発表するという一般的な報告内容とはならず、今回の研究課題を進める上で今後の指針、課題などを示すという内容となった。

よって、具体的な実証成果を発表するなり、論文にする作業は今後の課題である。


報告中、ただ一生懸命話し続ける私。


報告後は中国史の博士院生Iさん、日本近現代史の博士院生の鳥羽君から質問を頂く。

なお、鳥羽君は6月に研究発表を予定しているとのこと。
皆さんも御都合が良ければ是非足を運んで頂きたいもの。

東京歴史科学研究会近代史部会 2013年6月23日(日) 
詳細は以下を参照。
http://trkkindai.blogspot.jp/2013/05/20131-2013-6-23-14-1942-1948-httpwww.html

まさに二人の指摘はその通りだが、まだ着手したばかりの今回の研究課題では今後の課題とせざるを得なかった。
ともかく、こうした質問により、自身の研究課題が明確になっていくことは有益で有り難い。

報告を終え、会場を出たところでK先生と会う。
先生から今年3月、先生と二人で完成させた共同研究の論考(抜き刷り)を受け取る。
また、先生が最近お書きになった論考なども頂く。
(太平洋戦争下の留日中国人留学生に関するもの)

ありがとうございました。


その後、安在邦夫氏の記念講演を拝聴。
御自身の研究されてきた自由民権運動と福島第一原発問題を結びつけて議論をされたのだが、やはり、
「自身の研究課題がおかれた立場から、どのように現在の社会問題や現象を結びつけて考えるのか。」
そして、
「そうした社会問題を歴史家としてどのように後世に伝えていくのか。」
という二つの主張が、安在氏の報告には貫かれていて大変刺激的だった。
歴史学者として社会に何が出来るのか、それに対する一つの指針がこの報告であったと思う。

その後懇親会に顔を出して、夜9時半頃に帰宅。

そして、明日はもう上海へ戻る日。
学会を終えて今後少しゆとりが出るので、少し睡眠時間を増やす予定。

寮に引きこもりの日々

2013年05月11日 03時49分38秒 | Mの研究活動や成果
久々の更新です。
といっても書くネタが全くなしの状態(涙)
今は研究のことだけで頭はいっぱいなので。

最近は今週末に締め切りの提出の計画書修正と、今月19日に日本で行う学会発表準備に追われています。
そのため先週と変わらず、ほぼ一日中寮の中のパソコンに向かうか、ソファーで考え込む生活を続けています。



研究活動に関することばかりが頭を占領している状態で、どうも落ち着きません。
私は一つのことに集中すると、それにのめり込み過ぎてしまうことがあります。
現在はまさにその代表的な状況になっているといえるでしょう(苦笑)


やはりこういう時は外に出て、少々気分転換が必要です。
明日は上海は晴れるといわれているので散歩でもいってきます。

そして、フレッシュな中国、上海情報をお届出来るよう何かネタを考えてみます(笑)
研究にばかり占領された私の頭の中身をそろそろ入れ替える必要がありそうです。


最後に学生に紹介されて食べた大学構内の热干面(ラーガンミェン)を。




武漢の名物だそうですが、辛いという印象があり、これまで敬遠してきました。
しかし、辛さをおさえる様に注文して食べてみるとなかなか食べごたえがある麺で、美味しいものでした。




それでは。

最近の研究日誌など

2013年05月04日 22時38分22秒 | Mの研究活動や成果
本日、某研究計画書が書き終わりました…。
長い計画書で様々な内容を記載する書類であるため、関連文献・論文を相当読み込み、整理しました。
また、研究を進めるうえで必要な史料を所蔵している研究機関、公文書館、档案館もこの間で調査しました。
結果、今回の私の研究では日本・中国・アメリカでの資料調査が必要であるという結論に至りました。
日中関係史の専門家の方とも連絡をとり、中国で読めない論文を送って頂き、有益な助言ももらいました。
食事はほとんど出前をとり、仕事以外は寮からはほぼ出ないで取り組んだ今回の計画書でした。

そうした悩みに悩んで取り組み、徹夜を繰り返さざるを得なかった計画書が何とか仮完成を迎えたわけです。

写真は大学構内で撮った一枚。特に意味はありません。


現在はまだ、仮完成で今後は内容の修正、表現の問題、誤字脱字のチェックなどが残っています。
しかし、この二週間ずっと仕事以外はほぼかかりきりで執筆してきた計画書が無事に終わったことでほっとしています。

今夜、仮完成の計画書を推薦書を書いて頂く研究者の方(二名)に送りました。


一息つきたいのですが、次にもどんどん研究活動が私を待っています。
まず、今月19日に日本で発表予定の学会発表準備に取り組みます。
正直、かなり準備に遅れをとってしまっていて非常に焦っています。

学会発表後は現在取り組んでいる研究課題の調査を本格的に始めるつもりです。
(まずは上海市档案館、次に北京北京市档案館、外交部档案館を予定)
この調査結果をまとめた後、夏休みの間で活字化していく予定です。

なお、今回の夏季休暇は日本へ帰ってからは某科研費の研究補助もすることになっています。
休暇中はこれに相当時間を割かないといけなくなりそうなので、効率的に研究を進める必要があります。


ともかく、今夜なんとか一山を超えました。
ですから、明日は久々に運動でもして体力を回復させ、美容室に行ってさっぱりとして来るつもりです!





新規の研究計画書を書きながら思うこと

2013年05月01日 06時03分00秒 | Mの研究活動や成果
もう朝6時すぎ…、外はきれいに晴れています。

ここ一週間は追われる仕事の合間に進める研究課題が多く、毎日朝に寝る生活を続けています。
ずっと椅子に座りパソコンに向かっていたせいか、肩が異常にこりました。
座り方が悪いらしく、左肩の方が特に腫れてしまい、首が上手く回りません(汗)


さて、ここ数日は新規の研究計画書ばかりを書いていました。
今まで研究課題は日本近現代史、特にある建築学者の思想と行動を軸に、その成果が今日の社会に与えた影響を考察してきました。
本来はそのテーマのまま延長させ、研究を進めていくはずでしたが、実際には想像通りにはいきませんでした。

今後私が関心を持って進めていこうと考えているテーマは、いわゆる、日中関係史。
特に、国交回復以前の日中関係史を民間外交を軸に、当時の東アジアにおける国際関係と絡めて考えるものです。
こうしたテーマを自分自身でも見ていると、随分、大きなテーマシフトをしてきたという印象があります。

もちろん、この研究課題に至る背景には、それまでの博士課程での研究が下敷きにあるわけですが。


この課題に関心を持ち、かつ、その必要性を感じるようになったのには、やはり私の中国での生活経験が不可欠だったと思います。

2009年3月以降、私は中国安徽省の大学で勤務しましたが、そこで大変熱烈な歓迎と、非常に好意的に受け入れてもらいました。
中国に行く前の私はとにかく不安だらけ、「反日感情」「反日デモ」「戦争記憶」「両国の政治問題」などが中国で質問、或いは、詰問されることもあるだろう、とある種の“覚悟”を決め、異国の地に自らの足を踏み入れたものです。

しかし、私が安徽省の大学で経験したことは、事前に想像していたものとは相当違うものでした。
わざわざ日本から来てくれた一人の日本人を大学は大歓迎してくれ、本当に好意的に受け入れてくれました。
教師達はいつも親切、毎日のように授業以外でも関わりを持っていた学生達は自分の弟や妹のようにさえ感じられました。

もちろん、日本をよく思っていない中国人が存在することは事実です。
そして、中国をよく思っていない日本人がいることも事実です。

ですが、こうした日々の交流を通して、少なくとも安徽省で知合った中国人と私の関係は非常に親密で、深いものとなりました。
そんな風に触れ合った学生達がもう卒業を控え、卒業写真を撮ったことを、当時の学生の一人S君のブログで知りました。
http://user.qzone.qq.com/603654677/main


そうして彼等と交流を続けていた中、2010年にあった領土認識をめぐる相違から生じた漁船の衝突事件が発生しました。
この時は中国は相当物騒な雰囲気となり、安徽省の政府からも何度も「外出抑制」の通達がきました。
また、大学からも同じように外出を控えるよう何度も注意を受けたものです。
当然、そうした通知や雰囲気には戸惑ったのですが、実際に私の生活は何も変わりませんでした。

いや、むしろ、そうした外の状況から私を色々と守ろうとする教師や学生達が出てくれました。
普段から交流し、彼等と関係を築いていれば、日本人という枠組みではなく、○○さんという枠組みで認識されることを実感した瞬間でした。
逆に言えば、こうした普段からの交流をいかに築いているかが決定的に重要であると考えさせられた時でもありました。

その後、2012年に発生した日中間の政治的摩擦の際、私は上海の大学に移っていましたが、そこでもやはり基本的に同じ経験をしました。


日中関係の悪化で、物騒になる街の雰囲気とは正反対の大学関係者・学生達の好意的な変わらない態度は、私に強烈な印象を残しました。
そして政府間外交だけでは、現在の日中関係を改善、或いは、その先の展望を示すことはかなり難しいと肌で知る機会となったのです。
そこでは民間外交と政府間外交という主体の異なる外交の関連性をどう展望するかが重要であり、民間外交の働きをもっと評価すべきではないかと考える様になっていきました。

そうした問題関心こそが、今の私の新しい研究課題の基礎であり、根本になっています。
やはり、自分の目でみて、肌で感じた経験は本当に血となり、肉となるのだと今さらながら思います。
そして、こうした貴重な中国経験をさせていただいていることに感謝の気持ちが出ている私です。


牛歩のように書き進めている新規の研究計画書ですが、この作業を通してこれまでの中国経験の貴重さを感じずにはいられません。