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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

東アジア文化交渉学会(第6回年次大会)にて報告します。

2014年02月20日 22時37分06秒 | Mの研究活動や成果
今日は今学期初回の授業日でした。
大学三年、二年生を対象とした4コマ授業を丸一日してきました。
久々の授業でしたが、不思議と疲れはほぼ感じませんでした。
若い学生達のエネルギーを吸収して、私も頑張らせてもらっているのでしょう。


さて、先日、去年学会発表の申請を出していた国際学会から「報告を採択した」との連絡がきました。
学会名は東アジア文化交渉学会といい、2014年の今年は第6回年次大会にあたります。
大会テーマは「東アジアの知識生産・企画・流通と影響」となっています。

学会HP
http://www.sciea.org/meeting06

5月8日(木)、9日(金)に復旦大学で開催されますが、当日は大学の授業がモロかぶり(涙)
これは当日の授業を振替えてもらうしかありません。
なお、今回は私個人の報告ではなく、研究者同士計5人でパネルを組み、申請を出しました。
パネル名は「東アジアにおける学術界の知識・技術の交流」です。

特に近代以降、日中間で展開した学術界の人の移動と交流、それに伴う知識や技術の伝播について考えようとするものです。
この共通テーマに対し、4人の報告者が自身の研究課題から迫るのが我々のパネル報告となります。
上海での学会発表は私自身は初めてなので、今から大変楽しみにしています。


最後に最近もらったプレゼント。
こちらは学科主任H先生が国際学会で北海道へ行った際に買ってきてくれた白い恋人。


また、こちらは先日まで札幌へ短期留学に行っていて、今学期大学に戻ってきた学生達のお土産。


皆さん、ありがとうございました!


『千葉史学』(63号)に掲載された論文

2014年01月21日 00時01分46秒 | Mの研究活動や成果
日本へ帰って来てから、中国に行っている間に日本の自宅に届けられていた荷物を確認してみました。
その中の一つに、去年私が千葉歴史学会に投稿して掲載された論文も含まれていました。

論文題目「西山夘三の住宅学を支えた思想と行動」
掲載雑誌『千葉史学』(63号)
掲載年・月 2013年11月
掲載頁 29-51頁


この論文は私の博士論文の一部を加筆修正し、投稿したものです。
内容は主に、近現代日本において庶民住宅研究の第一人者である西山夘三氏の住宅研究の思想と行動の双方の関連性を考察したものです。
この西山氏の研究成果は現在我々が暮らす住宅にも生かされていて、戦後のダイニングキッチンの原型を生み出したのも西山氏です。
他にも、彼の住宅研究の思想・考え方、または姿勢は現在も多くの建築学者に引き継がれています。
ですから、西山氏は現代日本の住宅の多くの面でその基盤を築いた一人であり、日本の住宅史には欠かせない人物といえるでしょう。

論文では、西山夘三という建築学者がどのような思想と行動で同時代を行き抜いたのか。
また、戦時体制下と第二次大戦以降から高度成長期の日本を西山氏がどのように捉え、そこで何を主張し、どう行動したのか。
或いは、何に妥協したり、挫折をしたのか。
それらの面について論文の中では可能な限り言及したつもりです(論文の規定字数上、「割愛」とした部分もありますが)。
日本住宅史に大きな足跡を残した西山氏の住宅研究の思想と行動を追うことで、そこから同時代の日本社会も描き出せるよう心がけました。

振返れば、西山氏との出会いこそが私の研究生活の一歩目でした。
中国との縁を得たことで、西山氏の研究とは少し距離を置いた研究課題を進めている現在ですが、
研究を志した当初の問題関心がこうして活字化されたことは本当に嬉しく、有難いことです。


ところで、今は今月25日までに締め切りの論文の作業をしている最中。
今回中国語で書いた論文を中国の学会誌に投稿予定で、色々と日本と異なる論文書式に苦労しています。
ひとまず25日前には無事に投稿を済ませたいと思います。


中国での学会報告のあれこれ(山東省済南)

2013年10月22日 21時55分39秒 | Mの研究活動や成果
今日は先日山東省済南で開催され、私も参加した学会のことを少し長めに書きたいと思います。

学会の大会自体は10月18-20日と3日間あり、18日は受付、19・20日は各報告が行われました。
なお、今回参加した学会の名称は「第一届日本学高端论坛暨中国日语教学研究会山东分会成立大会」と非常に長い…。
所謂、日中の日本語教育・文学・歴史などの研究者が集う国際学会でした。

上海から済南までは高速鉄道で約3時間半。
駅自体は新しく立派でしたが、周囲には何もなく、人も少ない印象でした。


そこからタクシーで約40分程度乗った場所に、今回の会場となる山東師範大学がありました。


大学の周囲は食堂街になっていて、学生通りが広がっていました。


19日からは大学構内の幾つかの建物で各報告が実施されました。


上の写真は20日の午前に行われた報告の一幕ですが、私自身は19日の分科会で報告をさせて頂きました。
今回の報告テーマは1958-1962年に日中間で展開した民間外交に関するものでした。
各分科会で報告者が10人から20人程度はいたようですが、どの会場でも共通する「問題」が。
それは、

「報告者が各自の報告時間(15分)を厳守せず、平気で延長すること」

でした(苦笑)
2-3分程度の延長ならまだいいとしても、10~15分延ばす報告者もいたため、後の報告者は「5分」というありえない時間で報告しました。
これでは多忙の中、この日の学会のため色々と準備してきた報告者の努力を打ち消しかねない行為で、二度とないようにしてほしいです。

学会報告終了後、司会の和歌山大学のM先生が私の報告に色々と有益な御助言を下さいました。
お蔭で研究を進める上でのヒントをもらっただけでなく、現在の仮説が実証可能な史実であることが分かりました。
学会の懇親会では、蘭州大学で外教をしているNさん、京都大学助教のSさん、千葉大のIさんなどと同席し、白酒を約2年ぶりに口にしながら、研究や仕事の話題に花が咲きました。

また、今回の報告者の中には私のブログの「読者」という先生もいらいて、わざわざ声をかけてくれました。
こうした方がいるのはありがたいのですが、同時にはずかしくもあり複雑な感覚でした。


全ての報告が終わって一息ついた後、会場の前で一枚。


20日は午前で学会が閉幕し、私はその日の夕方の高速鉄道で上海へ帰ることになっていました。
「午後は市内をぶらっとしてお土産でも買って帰ろう」などと思って、昼食を食べていると私の隣に国際交流基金の北京日本文化センター所長のYさんがお座りになりました。
Yさんは私の学会報告を聞いて下さっていて、関心を持って下さったようだったので少し研究の話をさせて頂きました。
その話の流れで、Yさんの20日の予定を私が聞くと、

「午後はこの大学の郊外の校舎へ行って、学生達に日中交流の講座を開催します」

とのこと。

「これは面白そう。学生達の様子も見られるよい機会だ」

と考え、一緒に行っても良いか聞くと、「OK」との返事。
ということで、私も午後は講座に参加し、学生と一緒にお話を拝聴しました。



本来はYさんと学生との交流の場でしたが、何故か講演の後は私も壇上に上げて頂き、学生からの質問に一緒に答えてきました。
学生の印象は純朴で、まじめという感じで、上海のあかぬけした学生達とは雰囲気は随分違いました。


短い時間でしたが、学会報告と研究者同士の交流、学生との交流が一度に出来た良い機会となりました。
ただ、今回は名所旧跡めぐりは出来なかったので、もし機会があればまた訪れてみたいと思います。


出張:山東省済南にて学会報告のため(10月18-20日)

2013年10月18日 20時47分42秒 | Mの研究活動や成果
今朝8時の高速鉄道で上海虹橋駅を出て、11時40分に山東省済南西駅へ着。
車中、日本から参加している大学院生時代の友人Iさんと一緒に歓談。
そのままタクシーで学会会場のある山東師範大学へ、そして学会の受付。
受付を済ませて宿泊するホテルへ。



広くはないが、綺麗でそれなりにしゃれた部屋というべきか。


今回の国際学会の参加費用は報告者だけでなく、いずれも600元(日本円8000円)。
なお、大学院生の場合は半額とのこと。
中国の学会ではこうした参加費が日本と比べ一見「高い!」と思われるはず。
しかし、学会中の待遇を考えれば「仕方ない」と思う時がある。

例えば今回のケース。
・18、19日の宿泊ホテル代は会場校の負担(一泊250~350元)
・18、19日の昼食(食べ放題)、両日の夜の宴会も会場校の負担。
・学会案内、発表者の発表要旨以外に学術誌や日本語教育のテキスト(6冊)
・記念品

などが参加者にはついてくる。
これだけ合わせれば学会参加費用は簡単に超えてしまう。
もちろん、毎回これだけのことを主催校がしてくれるとは限らないのだが。
中国の学会では学会運営にスポンサーつくことが多く、それらの「宣伝」が多い。
記念品位なら嬉しいが、必要としない日本語教育の本が紙袋二つ分あっても。


ちなみに、今回の済南出張が初の山東省訪問。
やや内陸だけあって空気は乾燥気味だが、やはり山東省の省都だけあってなかなか都会。
今日は明日の準備などでゆっくりできなったが、明日以降山東省の待ちを少し回りたい。


上海市档案館のコピー規則の変更(2013年9月?以降)

2013年09月27日 22時35分52秒 | Mの研究活動や成果
今夜は18-20時半まで日本語を第二専攻とする大学生達を対象とした卒業論文の書き方をレクチャーする授業がありました。
そして明日から10月7日までは、中国の国慶節休暇(建国記念日の連休)に入ります。
この間は特に遊びに出かけたりする予定はなく、10月19、20日の学会発表準備を行う予定です。

その発表準備のため、今週は授業のない日を利用して上海档案館で資料を集めに行きました。
下の写真は現在(2013年9月)、上海市档案館で開催されている歴史展示の案内ポスター。
「外国人記者の目から見た“中国共産党人”」という展示を私も見てきました。
「中国共産党員」ではなく、「中国共産党人」という言葉を使い、国内の人々ではなく外国人記者が自分達を「客観的」にどうみたかを展示するところに、この展示の目的がよく表れているという印象を持ちました。


档案館にて目当ての資料を閲覧し、必要部分をコピー申請しようとすると新たな規則に変更されていることに気づきました。
変更された点は以下の通り。

・コピー申請は一日に一人50枚まで(※パソコンなどで手入力する場合は例外)
・各档案はその三分の一までが、当日コピー申請が可能
・その際、コピー費用は無料

このため遠方から資料収集に来た研究者などにとっては、長期滞在でもしない限りは効率的な档案収集が難しくなったといえそうです。
手入力ならば制限はかかりませんが、当然のことながら時間が膨大にかかるので効率は良くありません。
逆に上海在住の研究者の場合は何度でも通えますし、コピーのための「人材」を連れていけば一気に档案収集が可能です。
(あくまでも、「一人で一日50枚」なので…)
一気にコピーしても無料なので、中国(特に上海)在住の研究者にとっては档案収集が随分しやすくなったともいえるかもしれません。

なお、北京市档案館などでもこのケースは同様で、北京市档案館では一日にコピー申請が20枚までとなったそうです。
7月に上海市・北京市档案館を訪れた時、この規則はまだ施行前だったので、恐らく8月、9月以降に開始された模様です。
地方の档案館が全てこのような規則に変更されたのかはまだ確認していないので、次回また情報が入れば御紹介します。


明日明後日と授業準備をした後は、基本的に档案館か自宅での報告準備、論文執筆に没頭します。
中国に戻って以来、久々の研究に専念できる時期が始まりました。

8月19-22日のこと(日本での研究日誌として)

2013年08月22日 23時17分16秒 | Mの研究活動や成果
上海に戻る日は来週月曜日、そろそろ学期中の授業計画・準備を始める時期に。
時間が経つのは早い・・・。
今回もここ数日の研究に関わるあれこれをメモ程度に書いておきたい。

特に意味はないが、週末のことは省略。

8月19日(月)
この日はアジア経済研究所で文献、資料購読。
その作業中、偶々、図書館課長の方とお会いし、暫し話し込む。
何でもアジ研図書館は周辺大学との協定を望んでいるとか。

アジ研図書館と各外部機関との協定締結状況
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Net/domestic_network.html

図書・資料の相互貸し出しなどが何とか千葉大と出来ないかと相談を受ける。
是非進めたい話なので、その件を大学側の関係者に通知(現在、回答待ち)
夜は自宅に戻り、文献購読、中国語など。


8月20日(火)
先日、遅くまで起きていたので昼前に起床し、東大の東洋文化研究所図書室へ。



そこで、自身の研究に関わる資料をコピーし、論文なども読む。
この日は利用者が多く(?)、三台のコピー機はフル稼働していた。
図書室を出て自宅近所のファミレスで、コピー資料などを購読。

夜は自宅で翌日の研究会資料作成。中国語も。


8月21日(水)
午前、私用で海外暮らしの方々が集まる会合へ。
海外暮らしの苦労に対し、どのように工夫して乗り越えているのか体験談をお聞きする。
みんな慣れない海外暮らしに関わらず、それぞれ頑張っていることが励みになった。

午後は千葉大で研究会。
私が呼びかけたもので、兼ねてから一度書評会をしたいと思っていた文献の批評会。



2007年に出された本であるが、多くの研究者・学生に読まれ、今でも版を重ねている。
参加者は、千葉大の教員、研究員、博士院生や外部の研究者の方々、計7名。

2時間を超える報告・議論の時間で、本書への評価点、批判点がそれぞれ出される。
東アジア国際政治史の通史をえがく場合、一人では難しく共著となることが多い。
よって、共著者同士でどのような問題意識、研究視覚を共有するのかが一つのポイント。
また、歴史視座を「上から」の眼差しだけでなく、「下から」のそれとのバランスをどうとるのかも今後の課題である。

研究会の後、近所の中華レストランで懇親会。
帰宅後、文献購読。


8月22日(木)
午前、来ていたメールへそれぞれ返信。
中国で知り合ったある研究者から、10月にある国際シンポジウムへお誘いを受ける。
場所は山東省だそうだが、この機会に一度出かけてみようかと計画中。

午後は東大(駒場校舎)で、中国人若手研究者W氏と会う。
私の研究課題と近い分野を研究されていることもあり、予てより面会をお願いしていた。
W氏の研究室で一時間程度、研究に関する相談を中心にお話をさせていただく。
御多忙の中でお邪魔したにも関わらず、ご丁寧に対応してくださったことが嬉しい。

その後、キャンパス内の書籍部で本を購入して、帰宅。



明日は大学授業の準備のため、国際交流基金日本語国際センターの図書館へ行く予定。
とにかく時間が過ぎるのは早いが、貴重な時間を大切にして残りの日本滞在期間を過ごしたい。

8月10-16日のこと(日本での研究日誌として)

2013年08月16日 23時47分29秒 | Mの研究活動や成果
久々の更新。
とにかく日々のことを簡単に記録しておこうと思う。

10日(土)
県立図書館でひたすら研究関係の文献、資料購読。
夜帰宅し、夕食後は引き続き明け方まで作業。
中国語の勉強も少し。

11日(日)
昼から外出。
多くの友人に会い、刺激を受ける。
夜は、某学生の研究計画書をスカイプで指導。
また、英語と中国語をそれぞれ学習する。
その後は、自身の研究関係の文献購読。

12日(月)
基本的に自宅で文献購読。
夜は、英語と中国語をそれぞれ学習。

13日(火)
千葉大へ。
博論の審査委員をしていただいた一人、O先生に製本した博論を進呈。
偶然、その場に居合わせた、U先生などと暫し歓談後、研究室へ戻り作業の続き。
大学を出るところでY先生と会い、千葉大と私の勤務する大学との全学協定が決まったと朗報を耳にする。
何より、この協定に尽力してくださったY先生に感謝すると共に、これで現在の上海の大学での大きな仕事は果たしたと嬉しく思う。
夕方からは院生仲間のIさん、Yさんと一緒に大福楼で飲む。

14日(水)
県立図書館でひたすら研究関係の文献、資料購読。
夜帰宅し、夕食後は引き続き明け方まで作業。
中国語の勉強も少し。

15日(木)
終戦記念日。
日本のこの日の政府動向を中国、韓国など東アジア諸国は批判的に報じている。
日本では日中、日韓関係にばかり注目するが、中韓関係の状況が日本に与える影響にももっと注目していいはずだ。
また、米韓、米中関係が日米関係や東アジア情勢に与える情勢をもう少し考慮し、今後の日中、日韓関係を報じるメデイアが増えてきて欲しいと私は思うのだが、どうだろうか。

県立図書館でひたすら研究関係の文献、資料購読。
夕方帰宅し、某学生の研究指導をスカイプで行う。
中国語、英語の勉強も。

16日(金)
どうも夏バテなのか疲れがたまり、昼過ぎまで寝込む(風邪ではないが)。
午後から起きて、研究の作業の続き。
夕方から気分転換で近所のファミレスで文献購読。
夜は祖母が我が家に来て、家族で食事。

気付くと上海へ戻る日も近づいてきている(26日)。
なかなか論文が書き出せずに焦っているが、とにかく構想が決まるまでは進まない。

我会加油(頑張ります)!

8月8、9日のこと(日本での研究日誌として)

2013年08月09日 23時01分32秒 | Mの研究活動や成果
ここ二日間の記録だけを簡単に書いておこうと思います。

7月8日(木)
軽く昼食を取った後、埼玉県立図書館へ。
以下の分厚い資料集から関わりの深いものを中心にコピーをとる。

資料
『日中関係資料集 1945-1971』日中国交回復促進議員連盟、1971年
『日中関係基本資料集 1972-2008』霞山会、1970年

残りの時間は文献購読。
最近読んでいるのは、日中関係史・国際関係論・国際政治論などの図書、論文。
大学の仕事が終わる前辺りから、これらの文献をとにかく読むように心掛けている。
まだまだだが、これまでにもそれなりに読んだ(つもり)。

例えば、
『日中関係史 1972-2012』のシリーズ、東京大学出版会、2012年
古川万太郎『日中戦後関係史』原書房、1981年
田中明彦『日中関係1945-1990』東京大学出版会、1991年
王暁秋、大庭修主編『日中文化交流史業書1 歴史』大修館書店、1995年
陳肇斌『戦後日本の中国政策:1950年代の東アジア国際政治の文脈』東京大学出版会、2000年
王偉彬『中国と日本の外交政策:1950年代を中心にみた国交正常化へのプロセス』ミネルヴァ書房、2004年
毛利和子『日中関係‐戦後から新時代へ』岩波書店、2006年
川島真、服部龍二編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2008年(二版)
久保亨『社会主義への挑戦 シリーズ中国近現代史④』岩波書店、2011年
添谷芳秀ほか編『現代中国外交の六十年-変化と持続』慶応大学出版会、2011年
神田豊隆『冷戦構造の変容と日本の対中外交:二つの秩序観1960-1972』岩波書店、2012年
井上正也『日中国交正常化の政治史』名古屋大学出版会、2010年
服部龍二『日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』中央公論新社、2011年
並木頼壽・杉山文彦編著『中国の歴史を知るための60章』明石書店、2011年
岡部達味『中国の対外戦略』東京大学出版会、2002年
箱田恵子『外交官の誕生』名古屋大学出版会、2012年
北岡伸一『自民党-政権党の38年』読売新聞社、1995年
川島真、清水麗ほか編『日台関係史1945‐2008』東京大学出版会、2009年
国分良成編著『中国文化大革命再編』慶應義塾大学出版会、2003年
李恩民『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』御茶ノ水書房、2005年
『日本の外交』の第二巻・戦後編、岩波書店、2013年
中嶋峰雄『国際関係論 同時代史への羅針盤』中公新書、1992年
中西寛『国際政治とは何か』中公新書、2003年

なお、これに加えて現在の研究課題に関連ある学術雑誌の論文も帰国後、一斉にチェックしている。
例えば、『中国研究月報』、『アジア研究』、『国際政治』、『歴史学研究』、『歴史評論』、『アジア経済』、『東アジア近代』などなど。

中国語文献はまだ少ないが、以下。
劉健平『戦後中日関係‐「不正常」歴史的過程与結構』社会科学文献出版社、2010年
羅平漢『中国対日政策与中日邦交正常化』時事出版社、2000年
李恩民『中日民間経済外交(1945-1972)』北京:人民出版社、1997年
田桓主編『戦後中日関係文献集1945-1970』北京:中国社会科学出版社、1996年
田桓主編『戦後中日関係史1945-1995』北京:中国社会科学出版社、2002年
翟新『松村謙三集団和中国』社会科学文献出版社、2007年

などである。
今後は英語の文献にもあたりたいが、どこまで読みこなせるかは未知数。
ということで、夏休みに入ってからは英語も勉強し直しているところ。

閉館と同時に図書館を出て、日高屋で夕食。
その後、帰宅するとホームステイ受入をめぐる「家族会議」。
随分遅くなり、その後は文献購読を続けて就寝。


7月9日(金)
昼前に自宅を出て、電車で千葉大へ。
大学到着後は以前頼んでいた製本した博論が完成していたので受け取りに。

その後、院生研究室で研究作業。
夕方、兼ねて約束していたK先生研究室へ行き、製本された博論を差し上げる。
院生時代を通じてずっとお世話になっている先生には、ただただ感謝の思い。

その後、大学事務で中国研修帰りのOさんも誘い、三人で大学近所の居酒屋へ。
最近の不規則な生活がたたって酒・食べ物が進まず・・・なんとも残念。


帰宅し、ラジオ中国語を聞き、これからは文献購読。
少し早めに寝るようにして体調を戻していかないと。

東京外国語大学、夏季セミナー「言語・文学・歴史 ―国際日本研究の試み」へ

2013年08月03日 21時30分17秒 | Mの研究活動や成果
8月1・2日と東京外国語大学の国際日本研究センター主催のセミナーに参加してきました。

初めて東京外国語大学へは行ったのですが、緑に囲まれ、こじんまりとしたいいキャンパスでした。




夏季公開セミナー「言語・文学・歴史 ―国際日本研究の試み」

講師:
趙華敏氏(北京大学外国語学院)中国
徐一平氏(北京外国語大学)中国
于乃明氏(政治大学)台湾
陳明姿氏(台湾大学)台湾
金鍾氏(韓国外国語大学校)韓国
川口健一氏、橋本雄一氏、野本京子氏(東京外国語大学)
2013年7月31日 - 8月2日(水 - 金)10:00-16:00(8月1日は -14:15)
東京外国語大学府中キャンパス アゴラグローバル3階プロジェクトルーム
一般公開、参加費無料、言語:日本語

※同時開催「国内外における大学院生研究発表会」
日時:7月31日(水)16:15-19:30、8月1日(木)14:30-17:00
会場:東京外国語大学府中キャンパス 留学生日本語教育センター103室、107室

今回のセミナーを案内するHP(pdf)
http://www.tufs.ac.jp/common/icjs/doc/pos-20130731.pdf


私は8月1日、「国内外における大学院生研究発表会」(言語系)の方に参加。
そして、2日は歴史系の研究者による研究発表を聞きに行ってきました。

1日(木)
歴史専門の私ですが、中国の仕事の関係上、日本語教育の研究成果を聞くのも重要です。
今回聞いた報告は主に談話分析に関わるもので、日本語母語話者と日本語学習間の談話におけるギャップを様々な角度から分析した成果が主でした。
これら研究成果は日本語教育の会話授業などで活用出来るため、私にも参考になるものです。


2日(金)
この日、私が聞いたのは最後の研究報告でした。
報告題目は「小田切寿之助と中国」で、報告者は台湾政治大学の于乃明氏でした。
報告内容は、明治期に日中外交に貢献した小田切という一人の外交官(或いは、財界人)に徹底的に光をあて、一人の人物の功績を膨大な史資料から明らかにした氏の博論を元にしたものでした。

小田切という人物を、勉強不足の私はこの報告で初めて知りました。
ですから、小田切の評伝研究ともいえる報告内容は色々と勉強になるものでした。
ただ、少々残念だったのは、こうした日中外交に貢献した一人の人物に光をあてることで得られた成果が今後、日中関係史全体の文脈でどのように発展性を持つのかという展望が示されなかったことでした。

個人に徹底的に光を当てる歴史研究というのは一つの基礎的研究ではあると思います。
同時に、そうして得られた研究成果をどう広げ、他の歴史研究成果と結びつけて議論していくのかも欠かせないと思います。

報告者の于乃明氏の今後の研究に期待したいと思います。


さて、気づけばもう8月に突入。
自由に研究する期間はどんどんなくなっていくので、大切に活用していきたいと思っています。

海外における「日本研究」の現状など

2013年07月29日 23時19分55秒 | Mの研究活動や成果
今日は生憎の雨でしたが、午後から大学院の大学院時代所属していたゼミに参加してきました。
ちなみに先週は同じゼミにて、私の研究報告(といっても未完成の)をさせていただきました。

本日のゼミでは院生が研究発表するのではなく、ゼミ主催のM先生による海外出張の報告でした。
今年の初め頃から5月頃までインドのデリー大学に仕事で長期滞在していたため、その「インド報告」が本日であったというわけです。

その報告内容が幾つか印象深かったので、ここにも書いておこうと思います。
報告は主に、インドの大学・そこでの研究事情、そして現在のインド社会事情などでした。

まず、先生はデリー大学のEast Asian Studiesで仕事をされていたそうです。



ここは大学の一学部で、東アジア研究、その教育を担っているとのこと。
日本・中国・朝鮮にまたがる範囲を東アジアとして設定し、それぞれの地域の専門家がいるようです。

なお、デリー大学におけるEast Asian Studiesの以前の名称は、China Japan Studiesでした。

1970-1990年代半ばまで、海外においては日本研究の人気は高く、いわゆる「花形」でした。
しかし現在、中国研究が「花形」であり、日本研究は勢いを落としているのが実態です。
そうした中で、日本研究が東アジア研究に組み込まれてしまっているという、やや悲観的な見方を私はしていました。
しかしM先生は、こうした状況は「東アジアの中から日本を見ることのできる契機」ともなるはずで、決して悲観的にのみ捉える現象ではないとの認識を示していらっしゃいました。


また、デリー大学で文学専攻というある院生は、文学研究を通じて「東アジアにおける近代」の特質を考察する課題に関心を持っていて、それがなかなか面白かったというお話もありました。

具体的にこの学生は、
・東アジアにおける近代化とは、かなり似通っているとの前提に立っている
・そして、東アジアにおけるそれぞれの国家が高度経済成長をし、都市人口がある一定の比率を超える時、どの大都市でも共通性のある、幾つかの社会現象が起こるのではないか、との仮説を持っている。
・例えば、村上春樹や吉本ばななのような作家(かなり人気のあるそれ)の作品が売れ始める時期、それぞれの東アジア地域において共通する社会状況が存在しているはずで、この学生はその背景を考察することで、東アジアの近代化の共通性を明らかにしようとしている

とまあ、下手くそなまとめなのですが、大体このような内容でした。
こうした観点はこれまでの文学作品自体の研究、あるいは、地域を固定化したりして文学作品との関連性を研究してきた流れと異なるもので、今後の文学研究の一つの方向性を示唆するという印象を私は持ちました。


時代の流れとともに、学術分野自体の再編が起こり、各学術分野の問題関心は変わっていくのは当然のことだと思います。
そうした大きな流れの中に文学研究も組み込まれていて、そうした動き出しが確実に世界では起こっているということです。

なお、今回の報告においてはあまり話題になりませんでしたが、やはり海外に研究をいかに発信するかというのも益々大きな課題となってきていると思いました。
また発信するだけでなく、こちら側が世界で出された諸々の研究成果に直接触れていくためには、それなりに自身で英語や他の外国語を読みこなす必要があります。

ですから、どの分野を研究している日本人の学者であってもやはり日本語だけではだめで、英語、あるいは別の言語を修得することが不可欠である時代となっています。