アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

打撲18日目 50%治った

2024-02-07 23:14:00 | 病院、病気
きょうで負傷18日目。

やっと、治ってきた。
朝起きあがるときは、そろりそろりとベッドに座るけれど、ズキッ!という痛みはなくなったので、腰が抜けることがほとんどなくなってきた。

腰が抜けるというのは、ぎっくり腰と同じ症状だ。

わたしは、一日に何回もぎっくり腰をして、毎日毎日ぎっくり腰を更新していたのかもしれない。

18日目で、やっと快適な朝を迎えることができたので、午前に10分歩いて社会教育館までいき、用事をすませた。
結局、伝達ミスでわたしはご足労をかけさせられた。
書類をとりに行ったら、もうその書類は部屋を借りる時に見せなくていいことになったから、渡さない…欲しいなら印刷するけど? って初めて聞いた。


2月7日 朝の空は青空だ。 昨日の雪が積もっているベランダに洗濯物を干した。 雪を踏みしめて干したので、転びそうで大変だった。



ブランチに食べるものがなくて、チャルメラを作った。
この2か月栄養を摂ってないので、しなびたホウレンソウや白菜を入れた。
卵も入れたかったけれど、必ず下痢するので、入れなかった。


ゆで汁もすてて、さっぱりしたチャルメラにしている。
とにかく、大好きなラーメンで下痢するかわいそうな私。


昼間は、いつものように腰の痛みを感じずにお仕事をしている。
ベッドに横になるときは、そろりそろり。
寝返りも、だいぶ手で手伝わなくてもできているみたいだ。今朝は寝たときと違う方向を向いていたから。

痛みがもやに包まれてきて、楽になってきた。

夜、いとこが訪ねてきた。
石川県のいとこの家が半倒壊したらしい。
珠洲市の親戚の家では倒壊して家族が埋もれて助け出されたらしい。
郵便物は届くそうなので、お見舞いを送ると言っていた。
・・・わたしは、どうしたらいいのだろう?
もう、年賀状のやり取りもしていなくて、
渉君は無事か? っていとこに聞いたら、 それ誰? っていわれて、
父方の親戚は人数がおおすぎて、いとこも見たことない人や知らない人がいる。

しかしだ、 この父方のいとこは、全員早死に!!

戸籍をみたら、赤ちゃんのうちから死んでるし。
20台30代40代50代60代でほとんどなくなっている。

死因はいろいろでよく知らない。 とにかく、早く死ぬのだ。
生きているのは30人中5人かな? 一番若いのが私で、若い順に5人生きてる。

だからとうとう私もお迎えが来るのかなと覚悟し始めた。
90までいきるのも大変だから、いったいいつなくなるのが幸せなんだろうか。

わたしは、施設に入る資格ができたら施設に入る。
亡くなっても家には帰ってこないで葬儀場の冷蔵庫に入る。
葬儀は無くて火葬だけ。
墓石に刻む名前は、生まれたときの名前で。

幸せな人生を送りました。
おとうさん、おかあさん、苦労して育ててくれてありがとう。
心から感謝しています。

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打撲17日目 治ってきた気がする

2024-02-06 15:26:00 | 病院、病気
2日前の日曜に35時間寝てたらすっかり腰の具合が悪くなって気持ちまで悪くなった。

月曜はちゃんと朝起きて1日生きていたら行動できた。
電動マッサージで腰のマッサージもしてみた。 ロキソニンも1日一回飲んでいる。

そして、今日の火曜は昼までベッドに入っていたんだけど、寝ててもそんなに苦しくなかった。
寝返りも、ゆっくりできるみたいだ。

昨夜から大雪で外は楽しい楽しい雪なのに、雪だるまも作れず、雪かきもできずつまらない。





いつもの窓からみえるのは、雪が下にドスンとおちる。
最後の一葉 の窓だからな。 



夜中の1時半にベランダを見たら、雪が積もっていた。



朝は、雪の話題でラインがたくさん来たけど、外を見ていないので返信もできなかった。どのくらい積もっているんだろう。 そして、私が雪かきをしないために多くの通行人が歩きにくいだろうな。 でも、腰を曲げれないんで雪かきは無理だ。

朝は雨に変わったようだ




きょうは、腰のズキーーーという痛みがないので結構スムーズに歩いて階下に降りて外を見たら、歩行者の歩くところが雪だらけだ。
太陽が出てれば溶けるのに、残っているなぁ・・・


今日の火曜日はロキソニンも飲まずに生きている。
でも気持ちが落ち込んでいるので食欲はないし、生きる気力もない。

食べるものもないので困っていたら、正月の餅があったので二つ食べた。

友人がくれた甘夏をたべたら、気管にはいって咳が出た。
癌細胞が分裂しちゃったかなぁなどと考えた。

腰が治ってきて、あさっての胸部CTを撮って、また肺の心配が始まるわけだ。

11月22日の胸部レントゲン1方向では肺に影は写らなくて
11月30日の胸部レントゲン2方向で影があり
1月9日の造影CTでは9ミリの白い塊が映ってた。
2月8日にCTをもう一度撮って比較する。

11月30日のレントゲン映像を取り寄せればよかった。
1月15日に大学病院で撮った胸部レントゲンの結果を聞けばよかった。

かわいそうな私。


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打撲16日目 35時間ベッドで過ごす

2024-02-05 13:20:00 | 病院、病気
2024年2月5日㈪

コンビニ転倒16日目だというのに、まだ腰がぬけて苦しんでいる。

ベッドに寝る事、起きる事、寝返りすることが一番つらくて、起き上がって歩けても、途中で腰が抜けて動作が苦しい。

整形外科で麻酔の注射したときは治ったかと思われたけど、まだだ。

昨日の日曜は、心も弱っていたので、1日寝て過ごす。。。生きることをサボると決めた。

35時間ベッドで過ごした。
なんて愚かな考えなのかとおもうけど、人生の残された1日をサボりたかった。

そして、ベッドで1日を寝て過ごすということは、今の自分に一番つらい姿勢なのに、わたしは寝ることを選んだ。

思ったっとり苦しい、苦しい、痛い痛い痛い、35時間を過ごした。



2月5日の外は雪が降ってきた。 夕方は大雪になるらしい。 雪かきもできないな。



人を頼らず生きているので、飲み食いもせず35時間寝ていたら、家族が焼うどんを作ってきてくれた。


寝たまま左手に箸をもって左手でうどんをすくい上げることは不可能だった。
フォークなら食べれるんだと学んだ。

起き上がると、衝撃の痛みが体に走るけど、ベッドに座っていただいた。

夕飯もご飯とシイタケ入り卵焼きと冷ややっこを持ってきてくれた。

お気遣いに感謝します。

次の朝シャワーに入ったあと、腰が曲がらないから下着がはけず相当苦労した。 私は誰にも手伝ってもらわないと決めている。

16日目の月曜の昼にロキソニンをのんで、効いてきた。
15時からお仕事。

かわいそうな私。

高校の仲間が私を助けてくれると言ってくれた。
地方からでも病院の付き添いをしに来てくれると真剣に言ってくれた。
趣味の仲間の一人が何でも言ってと言ってくれた。

元気な人はまだ働いているし、
みんな都会に住んでいないし、

不便な私。




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転倒15日目 何もしたくない

2024-02-04 15:40:00 | 病院、病気
2024年2月4日日曜日

今は午後3時半だ。

私は昨夜11時に睡眠という異例の早い時間に眠り、7時間深く眠った。
なぜ不眠症の私が眠かったかというと、前日に寝てないからだと思う。

今朝、6時半に目覚めたものの、
そこから9時間経過しても、私はまだ寝ている。

腰はだいぶ治ったものの、起き上がる時はソロリソロリと行動しないと腰が抜ける。

18時間飲み食いしてないのに、トイレにだけは通うのだから、まさに高齢者だ。

寝起きだけがつらいのに、寝起きの繰り返し。トイレで中腰になる時も1番苦しい一瞬だ。

外科の痛みなんか、何があっても我慢できるというもんだ。

昨日の土曜は、

午前にお仕事
午後にアンサンブル練習
夕方から、膵臓がんの友人を偲ぶ会

久しぶりにまともな食事をした。





友人や仲間に何があろうが、今の私は何も助けてあげれないし、慰めてあげることもできない。
自分が1番悲惨な状態なのです。









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転倒14日目 寝起きの時痛くてたまらない

2024-02-03 07:47:00 | 病院、病気
昨日は、良くなってきてるなんてブログにかいたけど、朝6時からトイレによく通って寝たり起きたりして痛みの発生と闘って苦しい思いをしたら、
ギクっ、ギクっと、まるで、何回ぎっくり腰をしてるんだ!  というぎっくり腰発作の痛みがあって、階下に降りてきても、腰の辺りがずっと痛い。 拍動をともなって痛い。

病院にいくことにした。

チャリで40秒の距離だ。


折れてるかもしれないから、
レントゲンを撮って比較することになった。



2024.2.2 今日のX線



2024.1.25の最初のX線

全くどこに何があるのかわからない。
折れてないらしい。

そして、また言っちゃったけど、
骨に癌はないか聞いたら、
無いって言ってた。
がんの場合は、ここがこうなってああなってと説明してたけど、理解できず先生を信じるしかなかった?

MRIは断って、注射を希望した。

麻酔トリガーポイント注射
ネオビタカイン注シリンジ5ミリℓ
デカドロン注射液1.65mg 0.5ml

背中に近い腰2箇所に注射。
診察の椅子に座ったまま、
肘掛けが回転してきて前屈みに寄っかかれる。
すごいなぁ、最新の診察椅子。

先日の子宮がん検診ベッドにも驚いた。
全自動だった。


歯の麻酔みたいに、即聞いてくるかと思ったけど、そうでもなくて、
1時間近く経ってから効いたような気がする。 背中を触ったら、麻酔が効いているような感覚だった。

レントゲン撮って注射してたった1900円の会計だった。

午後にロキソニンを飲んで5時間仕事をしていたので、もう痛みのことはすっかり忘れて快適に過ごした。

仕事はしたく無いと思っているんだけど、仕事を待つっていいことなんだと実感した。

そして、負傷から13日目の夜は、注射のおかげで、寝起きも楽になり、ズキッ‼️という痛みが無くなった。
寝返りは上手くできないけど、大きな痛みさえなければ、寝ても苦しくない。

ところが、朝まで最初の2時間しか眠れなかった。

2時半と4時半と6時半に写真を撮った。
夜中に青空に変わったのに今は曇り空だ。











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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。