2013年10月1日 都民の日で東京都の人は休日です
今日は火曜日なので私の仕事は休みです。
体調も戻ってきたし、母もデイだし、気になっていた二つのことをしました。
1 姉の義母の見舞い・・・有料老人ホーム
2 父ジェンギンスの墓参り
姉の義母は、有料に入って数年経ちます。
時々顔を出すと、喜んでくれて私を励ましてくれました。
でも、脳梗塞で何度か倒れるうち、もう口も聞けず、寝たきりで、うまく動けません。話もできず、通じません、ものを見ることもほとんどしません。
行き届いた配慮の有料老人ホームだなぁと今日感じました。
寝たきりの義母ですが、ちゃんと洋服を着ています。
話も通じなくて寝たきりですが、電気をつけて、エアコンをつけて、テレビがついています。
朝と、夜の区別をちゃんとつけてくれているのです。
身動きできない義母は、変な格好をしてベッドに横たわっていました。
動かそうとすると、大声を出して痛がります。
自分の親じゃないので、下手なことができません。
苦しそうな叫び声を時々だすのです。
変なふうに曲がっている足を直そうとしても叫ばれる。
手を握ると痛がって叫ぶ。
時々しか来ないので、様子がわからないわ・・・
毎日見てあげたら、義母はこんな状態にはなっていないはずだ。
どうして、胃瘻なんだろう。
どうみても、普通に食べれるとおもう。
手をマッサージして、唇や口の中を濡らしてあげた。
口の周りを濡らしてあげたら、一気に口の中が潤った。
ああ、毎日世話をしてあげたい。
唇にクリームを塗って、顔のかさかさにもオイルを塗ってあげた。
そのうちおむつ交換の20代のお兄さんが来たので私は廊下に出た。
廊下のロビーで待っていたが、
義母の大きな叫び声が響き続けた。
どこが痛いんだろう。
認知のさけびじゃなく、痛みを訴える叫びだ。
しばらく、叫んで、おむつ交換が終わり部屋に入ると、
ベッドに綺麗にねかせられていて、すっかり落ち着いていた。
そしてすやすやと眠りだした。
体勢がくるしかったのかな・・
そのうち、施設の方がわたしにコーヒーを運んできてくれた。
すてきなお茶碗だ。
きれいに洗ってご馳走様してきた。
歓迎される家族でありたいと思った。
義母がすやすや寝ているので1時間ほどでおいとまし、
次の予定は父の墓参り。
それが、大雨で墓参りどころじゃなくなっていた。
午後2時なので、高幡不動の駅でピザマルゲリータを食べた。
ドリンクバー180円もたのんだので、のみたくないけど
紅茶やコーヒーやスープやジュースを飲んだ。
あとで、何回もトイレに行きたくなった。
迷った挙句、墓参りに行った。
20分位離れているかな。
雨は小降りになった。
線香に火がつかなくて大変だったから、傘なんかもうささなかった。
秋だから、柿の実のフィギアを添えた。
雨だけど、墓石を拭いて、竹の葉っぱが散乱してるので手できれいにして、蜘蛛の糸も取って、お墓をきれいにした。
父のお墓というより、自分の入るお墓だと今日は実感した。
私がお墓に入ったら、だれがゴミをとってくれるだろう、
だれが、蜘蛛の糸を取り払ってくれるだろう、
だれが、墓石を拭いてくれるだろう、
だれが、塔婆を立ててくれるだろう、
45年以上前から大好きだった 『 永遠に 』 と彫られたお墓が無くなっていた。
そして、そこは永代供養 (エイタイってよむんだ!)の共同墓地っていうか、小さな墓地の集まりになっていた。 外国のお墓のように土に医師が埋め込んであるのだ・・・
墓もこれからは変わっていくようだ。
もう、3回忌や7回忌やその他もろもろはなくなることだろう。
本当に、心からお線香を上げればいいのだと思う。
じっさい、うちじゃ、1周忌をやったかやらないか・・・わすれてしまった・・・
さて、必死で自宅に帰ってきて午後5時過ぎに家の前に来たら
ちょうどデイの車が止まっていて母が帰ってきたところだった。
ひ~間に合った。
そして、車をお見送りしてたら、
まただよ・・・
運転手さんが新米で、ほかの車から怒鳴られています。
毎回危なくて見てられません。
今日は火曜日なので私の仕事は休みです。
体調も戻ってきたし、母もデイだし、気になっていた二つのことをしました。
1 姉の義母の見舞い・・・有料老人ホーム
2 父ジェンギンスの墓参り
姉の義母は、有料に入って数年経ちます。
時々顔を出すと、喜んでくれて私を励ましてくれました。
でも、脳梗塞で何度か倒れるうち、もう口も聞けず、寝たきりで、うまく動けません。話もできず、通じません、ものを見ることもほとんどしません。
行き届いた配慮の有料老人ホームだなぁと今日感じました。
寝たきりの義母ですが、ちゃんと洋服を着ています。
話も通じなくて寝たきりですが、電気をつけて、エアコンをつけて、テレビがついています。
朝と、夜の区別をちゃんとつけてくれているのです。
身動きできない義母は、変な格好をしてベッドに横たわっていました。
動かそうとすると、大声を出して痛がります。
自分の親じゃないので、下手なことができません。
苦しそうな叫び声を時々だすのです。
変なふうに曲がっている足を直そうとしても叫ばれる。
手を握ると痛がって叫ぶ。
時々しか来ないので、様子がわからないわ・・・
毎日見てあげたら、義母はこんな状態にはなっていないはずだ。
どうして、胃瘻なんだろう。
どうみても、普通に食べれるとおもう。
手をマッサージして、唇や口の中を濡らしてあげた。
口の周りを濡らしてあげたら、一気に口の中が潤った。
ああ、毎日世話をしてあげたい。
唇にクリームを塗って、顔のかさかさにもオイルを塗ってあげた。
そのうちおむつ交換の20代のお兄さんが来たので私は廊下に出た。
廊下のロビーで待っていたが、
義母の大きな叫び声が響き続けた。
どこが痛いんだろう。
認知のさけびじゃなく、痛みを訴える叫びだ。
しばらく、叫んで、おむつ交換が終わり部屋に入ると、
ベッドに綺麗にねかせられていて、すっかり落ち着いていた。
そしてすやすやと眠りだした。
体勢がくるしかったのかな・・
そのうち、施設の方がわたしにコーヒーを運んできてくれた。
すてきなお茶碗だ。
きれいに洗ってご馳走様してきた。
歓迎される家族でありたいと思った。
義母がすやすや寝ているので1時間ほどでおいとまし、
次の予定は父の墓参り。
それが、大雨で墓参りどころじゃなくなっていた。
午後2時なので、高幡不動の駅でピザマルゲリータを食べた。
ドリンクバー180円もたのんだので、のみたくないけど
紅茶やコーヒーやスープやジュースを飲んだ。
あとで、何回もトイレに行きたくなった。
迷った挙句、墓参りに行った。
20分位離れているかな。
雨は小降りになった。
線香に火がつかなくて大変だったから、傘なんかもうささなかった。
秋だから、柿の実のフィギアを添えた。
雨だけど、墓石を拭いて、竹の葉っぱが散乱してるので手できれいにして、蜘蛛の糸も取って、お墓をきれいにした。
父のお墓というより、自分の入るお墓だと今日は実感した。
私がお墓に入ったら、だれがゴミをとってくれるだろう、
だれが、蜘蛛の糸を取り払ってくれるだろう、
だれが、墓石を拭いてくれるだろう、
だれが、塔婆を立ててくれるだろう、
45年以上前から大好きだった 『 永遠に 』 と彫られたお墓が無くなっていた。
そして、そこは永代供養 (エイタイってよむんだ!)の共同墓地っていうか、小さな墓地の集まりになっていた。 外国のお墓のように土に医師が埋め込んであるのだ・・・
墓もこれからは変わっていくようだ。
もう、3回忌や7回忌やその他もろもろはなくなることだろう。
本当に、心からお線香を上げればいいのだと思う。
じっさい、うちじゃ、1周忌をやったかやらないか・・・わすれてしまった・・・
さて、必死で自宅に帰ってきて午後5時過ぎに家の前に来たら
ちょうどデイの車が止まっていて母が帰ってきたところだった。
ひ~間に合った。
そして、車をお見送りしてたら、
まただよ・・・
運転手さんが新米で、ほかの車から怒鳴られています。
毎回危なくて見てられません。