goo blog サービス終了のお知らせ 

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母の進行・・・

2009-08-03 00:00:00 | 母の介護
まだ買うのは早いと思っていましたが、
家族のマクドウウェルが
でっかいテレビを2台とテレビの見れるデッカイパソコンを
買いました。

お陰で、いままで家にあったテレビ4台を処分するのです。

きょう、テレビが届くので
わたしは、もう、数日前から
必死でテレビを置くために
大幅な片付けをしています。

それにしても、引き出しの中身は
捨てるに捨てれず、もう汗びっしょりです。

テレビを置くところだけでなく
テレビが歩いていく道も確保しなくてはならないので
チョコパンのブーツが階段の各階に並べてあったそのブーツとかを
かたづけるのです。

物置に入れるために、物置に仕舞ってあった物から
処分し始めたので
時間がいくらあっても足りません。

きょうは、母も一緒に片づけてくれました。
洗濯も干してくれました。

片付けきれなかったゴチャゴチャは
大きな袋に詰めてあります。

そんな大きな袋がうちには
代々だくさん在ります。

今まで使っていたテレビですから
捨てるにはもったいなくて
外に出しておきました。

きょう、電気屋さんが処分してくれるのですが

その事を母が覚えれずに
何度も同じ会話が繰り返されました。

母「 ゴミやさんがテレビを取りに、来たんじゃない? 」

「 電気屋さんが、新しいテレビを持ってきた時に
  持っていってくれるから・・ 」

母「 粗大ゴミのお金は払ってあるの? 
   まだ、ゴミやさんこないみたいよ」
  

 「 電気屋さんがきたときに、持っていってもらうから」

母「今日、取りに来るって?
  申し込んでるの? 」

。。。。延々、テレビが気になってました。

電気屋さんがきたら、犬の散歩に行ってしまいました。

その前に、アンテナ工事の 氷川きよしさん がきたときは
(そっくりなの)
母は、寝たり起きたり寝たり起きたりしてました。

氷川きよしさんは、わたしの家の隅々までごらんになっていきました。
母のゴミ屋敷、チョコパンの甘いお部屋、男らしいお部屋、
そして、私がひっそり干しておいたパンツのベランダまで
ごらんになりました。
母がカウチソファで横になって居る部屋も
行き来するので
母はそのたびに、《 寝てなんかいませんよ》 ってかんじで
起きあがっていました。

テレビが設置され
でっかくて、もう びっくりです
テレビが置かれた部屋全部が
アイツになってしまいました。
(ギンコを飲んでいないので名前を忘れました)
あ、解りました。

おだゆーじ


   

仏壇よりデカイ おだユージです

マクドウウェルの部屋には、もっとデカイ おだユージだし
チョコパンの部屋には、ものすごくデカイパソコンにおだゆーじ!
っていうくらいの物があって、
わたしの家は変化しました。
時代に乗りました。

そして、このデッカイテレビに変えてみたら
一気に、
デカイテレビは当たり前 っていう気持ちになったので
人間て、不思議な物です。


=============

さて、その夜です!!

わたしは、本日仕事の予約を取らずに
母とず^^っと一緒に過ごしました。

でも、夕方大事にしている人から
予約が入って夜7時から8時の1時間だけ仕事をしました。

その間に、マクドウウェルが帰宅したのですが
(私の仕事中に帰宅するのは毎日のこと)

母はエラクご立腹になってしまいました。

私の仕事が終わって階下に降りてきたら

『 マクドウウェルは、とっくに帰ってきてるわよ!!
  仕事なんか、断りなさいよ!
  とっくに帰ってきてるんだから!
  いま、何時だと思ってるの! 』

延々、ゴチャゴチャ言ってましたが
わたしは、食事の支度をしてました。

マクドも、帰宅した時
相当、わたしの事を言われたらしいです。

『 切れてましたよ 』って教えてくれました。

マクドは、御飯なんかより
チデジに夢中ですよ。

おまけに、なんか
サンドイッチが買ってあるんです・・・

おそらく、マクドの為に急いで
サンドイッチを買いに行ったらしい・・・


『 帰宅したら、即刻、御飯!!』 


っていう、その固定観念が
最近 強烈です。

ちょっと、変・・・

母は、今年か来年死ぬそうです。
葬式には、数軒先に住んでいる私の従兄弟にも
知らせるなと、今日言われました。

すると、
棺をかつぐ人が居ません。

変な習慣だなぁ
なんで、男が棺をかついで
霊柩車まで持っていくんですか?

日本の変な習慣は嫌いだ。
80を超えた母も、そこだけは
発展的な考えがあるので
意見が合います。

日本を変える前に
葬式の変な習慣を
改革してくれる政治家に一票
入れたいと思います。

コメント (8)

大施餓鬼会 おせがきえ

2009-08-02 00:00:00 | 日常生活
2009年8月2日(日) 雨

今日は、父ジェンギンスが住んでいる八王子のお寺で
『大施餓鬼会』の盛大な行事がありました。

八王子のお墓の土地を買ってからもう、30年もたちますが
30年経って、やっと父が入居しました。

だれも入っていないお墓でしたが
両親は、お寺の行事にはいつも参加して
寄付もしていました。

この大施餓鬼会も、両親が毎年参加していたのです。

父が昨年亡くなって
私が全て墓の管理することになりました。

昨年の大施餓鬼会は、母と姉が参加してくれました。
わたしはハワイでしたから・・

ことしは、私が一人で行ってきました。
母には、八王子は遠すぎます。


=========

朝10時半、家を出発。

何度も母から どこかに行くの? と聞かれ、、、
大施餓鬼会 だと言えば、しつこく
内容を話され、ああしろ、こうしろ、と先輩ぶりを
おおいに発揮され、もう聞き飽きた内容を
何回も聞かされます。

11時半、駅に到着。

スーパーで、造花を選んで買う。
夏だから、朝顔を2束。
帰りに義母の施設に寄るつもりだったので
義母にも2束。
そして、観葉植物も二鉢買った。 お墓に植えるのだ。
草餅とどら焼きも買って、お寺に急いだ。

12時お寺に到着

入り口で、ご供物とうちわを頂く。
客殿でおしのぎ(うどん)を頂く。




このうどんには期待していなかったのだけど
立派な一人前なので驚いた。
おまんじゅうとお新香と薬味も充実していた。
一人で頑張って食べた。
この何百人もの接待の中、お代わりをする人にはびっくりした。

12時15分、本堂へ。
母から、しつこくしつこく、本堂へ行かずに地下の部屋に行けば
クーラーが効いていて暑くない! と言われていたけど、
どんなに暑かろうが、私は目の前でお坊様達の読経を聞きたいし
目の前で法話を聞くのだ。

お隣に座った一人でいらしていた女性とお話できた。
この会に参加して3年目で、3年前までは母親が供養に来ていたけれど
その母が亡くなってしまったのだそうだ。

和尚様の話にもあったけれど
檀家のかたも世代交代の時期であり、
和尚様もあと2年たった70歳で
息子達に引き渡そうと考えていると言うことだった。

12時15分  外の萬霊供養塔にて諷経(水子・無縁 供養)

12時半    御詠歌奉詠 12人位で合唱 わたしも歌ってみたい

1時      法話 幻 一 師 『筆と墨で描く喜怒哀楽』
         
        この方が書いた本を頂いた。
        感動した。
        たくさん書きたいことがありすぎて書けません。

2時      山門大施餓鬼会 読経 回向
        24名のお坊様達の読経。


 
        規模の大きさにびっくりして目を見張って
        私は圧倒されていた。
        凄いと思った。
        
        あれもこれもすごかった。

この3時間の豪雨もひどかった。
夕立が数回やってきたのだ。

3時       お塔婆を受け取って墓参り。
         雨が降っているので、みんなパニック。

         少し待っていたら雨がやんだ。
ジェンギンスに
ハワイアンを聞かせて
甘い物をあげて
レモンティをあげて
ゴミをとって
墓石を研いて
朝顔を飾って
観葉植物を砂利に植えてみて


 
義母の施設に行く時間が無くなったので
義母にあげるはずだった朝顔をたくさん飾った。



私が墓参りに来たことをじいちゃんは
わかるのかなぁと、疑問に思いながら
じいちゃんが死んだことをつくづく感じた。


そして、今生きている母を思った。

二人が死んだら、それは悲しい事だ。
母には死んで欲しくないと思った。

一緒に暮らしていると
別れはつらいものです。

離れていると、それほどでもないんだよね。

夕方帰宅し

母に

「 ご苦労様 」 と言ってもらいました

母は、もうすぐ父の所へいくそうです。
来年は母も墓の中らしいです。

今のまま
どうか、100まで生きて下さい。
お願いです
でも、私より長生きしてはいけません。



コメント

土曜日

2009-08-01 00:00:00 | 母の介護
土曜日です。

待望の週末ですが、土曜も午前に少しだけ仕事です。
少しの仕事もたくさんの仕事も変わりません。
支度をして、化粧をして、掃除をして、片づけて

昨夜も、チョコパンの残業が夜中までだったので
徒歩で帰ってくるチョコパンのお出迎えに
都庁のむこうまで行きました。
夜中といっても、人通りは多いし、
明るいし、バスもまだ走っているし、
客待ちのタクシーもいっぱいです。

ワシントンホテルやパークハイヤットホテルも
きらびやかです。


午前0時、私が持参したサンダルに履き替えて
元気になったチョコパン。

チャリで走っていると
夜のネオンが気持ちよくて
わたしの好きな光景です。
だから、
夜中のお迎えは楽しいです。

かえりに、スーパーに寄って一回り。
わたしは財布を持参していないので
チョコパンにカンチュウハイを買ってもらいました。

一気に飲んだので
顔が赤くなってしまいました。

=====

けさ、母はデイサービスに行きました。

お迎えの時間は、前日か当日に電話で知らされます。
母がその電話を受けるのですが

今朝は、お迎えの時間を覚えていませんでした。
先日は覚えていたんだけど・・・

母がのんびりしている時に
お迎えが来ました。
あわてて小走りに母は外に出ました。

そのとき、母のズボンを見たら
白く汚れていました。

母の洗濯は母任せにしていましたが、
母も最近はひざに食べ物をこぼすことが
多いし(テーブルの遠くからたべるから)
気を付けないと行けません。

夫と子供の服装管理は妻や母親の責任だと
わたしは常々思っていました。
親の服装管理も、もうわたしの責任になるんだと
実感し・・・

洗濯開始です。

もう、

ひどい、

厚い羽布団とふかふかの暖かシーツを取り外し
さっぱりした物に取り替えました。
でも、寒がりだから毛布2枚と薄い布団を掛けて寝てもらいます。

洋服の富士山は、まず20枚くらい捨てました。
きれいにたたんで、外に置いておいたら
30分以内にまるごとどなたかがお持ちになってくれました。

今着れる夏物をハンガーにかけて、
冬物は洗濯。
ズボンも洗濯。
どれも、汚れています。

きょうまで着ていたパジャマも
枕にかけてあったタオルも
古びてヨレヨレなので捨てます。

冬物の下着もたくさん籠に入っているし

だめです、

何日もかかりますが
母が居る時はできないので
なかなかかたづけられません。

一人暮しの人の幸せを
うらやまく思いました。

自分の洗濯だけしていればいい幸せ。
自分のアイロン掛けだけしていればいい幸せ。
自分の散らかした物だけ片づければいい幸せ。
自分の食べる分だけ考えればいい幸せ。

元気なうちに一人暮しがしたいです

あすは、八王子のお墓に一人で行事のためでかけます。
コメント (2)

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。