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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母の心配

2008-05-18 12:08:01 | 介護
先週の木曜に、母は急いで病院へ行きました。

私は仕事中だったので母は一人で近所の病院へ駆け込んだのですが
畳に横になっていたら、吐血したというのです。

医者は鼻血だという診断でした。

母『19日月曜に検査をするから御飯を食べないで来てくれって』

何の検査なのかわからないし、この日は大学病院眼科の予約を入れてあります。

昨日わたしは、この近所の病院へ話しをしに受付へ行きました。
この病院は、母のかかりつけではなくて、あたらしく母が突然訪問した医者です。

すると、検査日は昨日の金曜だったのに来なかったと言うのです。

それで、ちょっと衝撃的な事実を聞かされました。


医者 『あまりに衰弱していたから、腫瘍マーカーの検査をすると言って
    検査をしらた、腫瘍マーカーの値が悪くなって来ています。

    膵臓ですね

    末期でも年寄りは痛みがないこともあるし、
    癌じゃなくても、この値は悪くなることがあります。

    癌だったとしてももう治療は出来ないから
    あとの残された時間をどう楽しく過ごすかが大事です。

    エコーの検査をして、その状態によって別の病院を19日以降に
    紹介すると伝えてあります。
   
    きっとその19日のことだけが、記憶にのこったんだね』


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12月に救急病院に腹痛で入院した母ですが
血液は何でもないと言われました。

4月に大学病院で血液を検査してもらったけど
先週の結果ではたぶんナニも言われなかったみたいだし

腫瘍マーカー検査は初めてだったのだろうか・・・



=======

しかし、膵臓の事を調べたら
全てが母の症状にぴったりだ。

食欲不信。。。わたしは また言ってるよ!!と思ってましたが
       母にしてみたら、異常に食欲がおかしかったんだ。。

だるさ。。。あまりに、畳にごろごろ寝てるのは異常だった
      そうとうだるいんだ。

下痢、、、急に下痢することも多くなった

腹痛。。。けいれん的に痛みが来ることも多くなった

痩せてきている いま、37キロ。


~~~~~~~~~~~

夜、ジェンギンスが残していった
癌特効薬を飲ませました。

ジェンギンスは一月半のあいだ、飲みました。
お陰で、転移もなかったし、痛みもなかったし、血液検査の数値も
正常に近くなり、枯れるまで正常をたもって生きて居ました。

のこされた家族の満足も大事なことです。

後悔しない生き方をしないと。


さて、


母への優しさのスタートです。

なかなか今までやさしくなれませんでしたが
残された母の人生を
快適に、たのしく、いい家族に恵まれて幸せだったと
感じてもらえるよう
また

頑張らないと。
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母、大学病院検査結果

2008-05-15 09:36:41 | 介護
以前は、ジェンギンスの付き添いでリーダーだった母も、
いまや、付き添い無しでは検査結果を聞き取れなくなってしまいました。

緊急MRIの結果がやっと出たのです。
緊急の割には、結果予約がひと月も先となって
もう、なんでMRIをとったのかも忘れてしまいました。

わたしは、午前中に書類をどうしても事務所に届けなければならないので
早朝に家を出発し、予約の午前10時に大学病院へ直行して、
母の検査結果診察に立ち会う予定でした。

10時10分に老年科に到着。

母がまだ来ていないので、しばらくソファで待ちました。
でも、ぜんぜんこないし、
まさかと思って、事務員さんに聞いたら、
とっくに診察が終わってるって。

診察が終わったカルテ置き場にもカルテが無いくらいだから
どんだけ、早く病院に来たんだろうか?

老年科の次は、眼科予約なので
眼科へいくと、母がカウンターでうろうろしてました。
居眠りをしてしまうと、時間的に分からなくなってしまうので
呼ばれたかどうかを聞いていました。

ひとりだと、しっかりするなぁ~

MRIの結果は、結局わからず、
でも、いつもの薬がでてるだけなので
大きな病変はないんだろう。

「物忘れが多いでしょう」といわれて
「さあ」 と答えたらしい。

そうとう、脳梗塞の白い陰が多かったみたいだ。
その割りには、母はしっかりしてると
思う。リーダーだからな。



痛くて痛くてパチパチする目は
この大学病院できっと手術をします。

御茶ノ水の有名な先生の手術を引き受けての
手術は出来ないと言われたけど、
お願いした。

もう、遠くて通えないのが
本当の理由です。

以前の手術は瞼の垂れ下がりでしたが、
今度は、眼球です。


痛みの原因は
角膜のゆがみではないかと考えられました。

角膜弛緩
と言うことです。
アレ? 結膜弛緩かな?
年齢のせいで伸び切っちゃって
たるんでいるそうです。

もしかしたら、痛みは治らないかも知れませんが

やらなきゃ、治らないから
やってみるのです。

緊急に来週の月曜に
別の眼科医の診察を受けることになりました。
そのとき、手術の方針が決まるそうです。

瞼のたるみも、どうしてこんなに皮があまっているのかと
先生は不思議がりました。

御茶ノ水で2回もたるみを取る手術をしたのに、
そうとうたるんで目を覆っています。

わたしの思うに、
若い頃くっきりした二重まぶたのひとって
けっきょく、瞼の皮が
多いんじゃないの?

きっとそうだよ。


ジェンギンスが亡くなる3日前に、空中に文字を書いていたけど
ナニを書いていたんだろうか?
お迎えの人もたくさんおいでだったけれど
わたしのしらない人の名前を呼んでいたけど、
亡くなるって分かっていれば
もっと観察したのになぁ と 思う。
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まいにち大変です

2008-05-13 14:24:59 | 介護


結局ジェンギンスが生きていても生きていなくても
すごくする事があって、
時間があればあるだけ、用事も増えて、
睡眠時間は、3~4時間だ。

ジェンギンスの介護があった時は、見放していたメーリージョンソンも
最近、散歩に連れて行くようになり、
注射も1日3回打ってあげてるから
元気だ。

危篤だったのにな。

メリーの散歩といいつつ、
母を外に連れ出すことも大事で
メリーのせいにして、母を外へ出すんだ。

そうじゃないと、畳でごろごろ寝てるし。

~~~~~~~~~~~~~~

私生活も忙しく、


チョコパンの出身校から修学旅行生がやってきたので
東京案内をしました。

浅草。人力車は一人1500円。



明治神宮。お宮参りは生後何日だか、わたしは知りませんよ。



渋谷~明治神宮~原宿

回転寿司を食べたり、渋谷センター街や公園通りや、代々木公園や
竹下通りや表参道。

すっごく歩いた。

そんなこんなで、楽しい半面、
家庭に戻れば 家事 家事 家事

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おまけに、ネズミが家の中に侵入した。
玄関から入るしかないので、開けっ放しの誰かたちのせいだ。

捕獲作戦も、開けっ放しの誰か達がいるので
うまくいかない。

椿に毛虫が大量発生しはじめたし、

庭には、ハエが飛んでるし

金魚の稚魚をメリーが、飲むし、

メダカの水槽は緑になるし、

とにかく、生きてるって大変です。

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登記変更してないし
郵便局保険受け取りに行ってないし
実印登録受期限過ぎちゃったし
お墓のこと田舎に手紙書いてないし

となりに住んでいる奥さんに、ジェンギンスが死んでから
初めて昨日会ったから
死んだことをやっと話した。

隣に住んでいてもぜんぜん会わないし・・・

イベントのCDを30枚作成しなきゃだし

足にクリームを塗る暇も無し。

何にもしていないのに忙しいのって
割に合わない。

ひとりになりたい・・・・






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毎日ジェンギンスのことを考えています

2008-05-06 00:14:41 | 介護


連休中はチョコパンの誕生日でした。
たった2人で祝いました。

母は、相変わらず、具合が良くないみたいで
また!内科の新しい医者に行っていました。
そして、薬屋で風邪薬と胃の薬とビタミン剤を買って、
各病院の薬もメチャクチャたくさんあって、

わたしは管理しきれません。

どこの医者も信用ならず、思いこみも激しく
わけ分かりません。

とにかく、「 わかんない 」 っていわれると
判断しようがありません。

チョコパンにいつもは、きちんと封筒にいれて
誕生日のおこずかいをくれるのに、
ことしは、お札がそのままでした。
そうとう、くたびれているらしい。
そうとう、やる気無し。

マクドウウェルからは、DSとガチャピンのカバーが贈られた
=====

わたしは、連休中、生き物の世話と植物の世話をしながら
家の片付けをしました。

あいかわらず、捨てる物がありません。

片付けをしながら
雑巾がけをしますが
その雑巾は、ジェンギンスが毎日着ていたパジャマや
ポロシャツです。
ひとつひとつに思い出がいっぱいです。
あたらしい下着は肌触りがとっても良いです。

寒い病院生活だったので、暖かい下着を買ってあげていたので
なんか、その雑巾をさわって、
「 これで良かったんだ 」と思ったり

「 あと数日で亡くなると分かっていれば
  最後の時くらい24時間付き添ってあげたのに」

と、思う。

今思えば、ミイラのようになって死に神がとりついていたんだと
考えられるのに、あのときは、まだ生きると思っていたから
存分に楽にしてあげれなかった気がする。

12月には 「 いつ亡くなってもおかしくない重い状態です」
といわれたけど

無くなる前日まで、「血液検査結果も良く、落着いている」
と言われていたから、とうぶんジェンは死なないと思っていた。

死ぬころは、みんなみたいに、最後の時期がやってきたことを
告げられると思ったのに
ジェンギンスは、朝突然死んでいたわけで・・

わたしも、初めての経験だったから
ほんと、死に対して未熟だった。

この経験をいかし、
いまジェンギンスが生きていたとしたら

★ 食欲があってむせないのだから
  食事を与えます。

★ 汗をかいて抵抗した痰吸引はやめます
  たとえ、命が短くなっても
  痰吸引されるようになったら、生きていたら
  かわいそう。
  私には、たった一回でも、痰吸引の処置はいりません。

★ つーーっと意識が遠のいたり、
  点滴が漏れたり、
  足がむくんでふわふわになっているのは
  死が近いんだ。

  そのあとに、酸素量が極端に減ってきて
  血圧がおかしくなって、

★ 担当の医師によって処置は違うことがすごくわかった。

  ジェンギンスの医者は、高カロリー点滴をせず
  意識をさいごまで保って死に至らせた。

  別の医者は、寝かせたまま、死に至らせた

  別の医者は高カロリー点滴をあたえ、意識を最後まで保って
  死に至らせた。

ジェンギンスは亡くなって良かったと思う。
あれ以上のつらい生活は続けてはならない。
嫌なことばっかりさせられる生活は続けてはならない。

寝たきりになったら、生きていたらかわいそう。
楽に死なせてあげることも
私達の使命であるとわかった。

そして、それを理解出来た者が
自分の考えで寿命を調整したらいいのであって

人に、介護や看病を指図してはならない。

手を出さない者は
口を出すな

そして、介護してる人は
人を頼るな。
人をあてにするな。

文句言うな。

だいじな人を介護してる時は
頑張り過ぎるくらい頑張れ!

這ってでも介護した後は
ほんと、爽快で
後悔がないんだ。


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今日もかたづけ

2008-05-04 00:34:25 | 介護


一週間前に母と2人で食べた天ぷら。
あっという間に日にちがすぎて、気が付くと日記も書かず
一週間以上が過ぎてます。

食事の支度が大嫌いなくせに、
こうやって、てんぷらを揚げたりして
本当は、御飯作りが好きなんです。

だから、仕事がきらいなんだな・・・

===========

まいにちまいにち、片付けてます。

仏壇の下にカラーボックスみたいなのを置きました。
そのカラーボックスはわたしの仕事部屋から持っていったので
わたしの部屋がぐっちゃぐっちゃになりました。

押入に入っていた大きなカラーボックスを
仕事部屋に持ってきたので
押入からだしたものが散乱してぐっちゃぐっちゃになりました

仕事部屋のカラーボックスに綺麗に収納しようとして
別の引き出しの物を全部出したりしたら
ぐっちゃぐっちゃになりました

捨てろ!捨てろ! と自分に言い聞かせても
すてる物がないのです。


写真の整理が必要だ。
引き出しのぐちゃぐちゃの物って悲惨です。

============

古い日記とかでてきて
12年前のを今日読んだら
今とぜんぜんかわって無いし、
御飯の支度が嫌で、仕事に追われて、
片づけばかりして・・・
これにすごく勉強をしていた時期だったし
父の介護は始まっていたし
今より、はるかに忙しそうだ。
でも、趣味の無い家庭に埋もれた時期で、
思い返せば、良くない時期だ。
家庭にだけ目が向いている主婦は
家族にとって、迷惑ナ存在ナノダ。
チョコパンとの交換日記を読み返してみても、反省だな。

今は、

花の手入れ・・バラ、ガーベラ、菊科、すずらん、ケイトウ、ひまわり
メダカの繁殖・・想像妊娠中なので20匹今日買ってきた
金魚の繁殖・・・繁殖成功!今日で8匹うまれた
メリーのインスリン注射1日3回
メリーのトイレ誘導1日数回
トニーブラウンはほったらかし

母の食事3食支度
母の散歩誘導・・今日は拒否

仕事の心が病んでるひととディナー
家族と誕生祝い外食ディナー
UKU仲間とディナー
UKU仲間と宴会
UKU練習

・・・

とにかく、永遠にする事がある。

忙しいのに
忙しいことを理由にせず、
あすは、お台場に行くのだ。

いつか、あこがれの一人暮しが出来るようになったら

きょう、ペットやさんでみた熱帯魚のおおきな水槽を買うのだ。
誕生日デコレーションケーキは一人でまるごと食べるのだ。
美味しい御飯を一人で作って食べるのだ。
散らかっていない綺麗な部屋で暮らすのだ

将来を考えるより、
このちらかリは、どうなるのだ

きっとまた、袋につめて得体の知れない
袋詰めが増えるのだ


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。