アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

歳をとるって大変なことです

2006-01-27 22:32:33 | 介護


今日は金曜日。

わたしは午前の仕事が始まったので
朝食・昼食・夕食下ごしらえの準備を万端にして
午前に家を出てしまう生活となった。

今日も『お先に行ってまいります。向こうで待ってますからご飯を食べたら来て下さい』 と適当な言葉をかけて家を出た。

都合により、いつもの昼には帰らず、自分の本職の始まるギリギリの時間に帰宅したら
居ないはずのジェンギンスは家に居た。
デイサービスを休んだようだ。



理由は

『 ひと月に一度近所の病院で診察を受けないと

  先生の機嫌が悪いし、薬を出してくれないから』 

と、母のスーザンが言う。



大学病院は3か月分の咳止めが出ていると言うのに、ひと月に一度の診察って本当か?

大学病院の診察料は140円なのに

近所の医者は、それがまた、ビックリするほど何十倍も支払っているんだからこれでいいのかと思う。

薬は大学病院でもらえるんだから

近所の医者の言いなりにはなりたくない、と私は思うんだけど、ケアマネージャも口をすっぱく、そう言ってくれるんだけど、

昔ながらの近所の医者とは縁が切れないようだ。



医者で失敗した話を掘り返しても

いっこうにいう事を聞かない母であるが、

その母は、どうも、最近おかしいんだなぁ。



医者で失敗した話というのは、

父は大昔、胆石でたいへん病んでいたんだ。

モルヒネで痛みを抑えていたんだ。

その医者は神様を信仰している人で

手術をしてはならないと言う医者だったそうで、

母は、その医者の言うとおり、切らなかったわけだ。



母の実家の医学に詳しい人々から

『切れば済むことだ』と言われても

耳に入らず長期の痛みに苦しんでいたのだ。



医学知識に乏しいことは、悲惨だ。



そんな、失敗をよく繰り返す母であった。

母の弟も腎臓病で亡くし

母は当時その病院でよかったのかと苦しんだらしい・・・2年前にこの実家を私が片付けていたら

古い本が出てきて、母のそういう手記の記事がでていたんで母の悲しみを初めて知ったわけだ。



何があっても、母には逆らえないのだ。

強者だからね。

母の年寄り親戚一同リーダー各の強者なのだ。



話はそれたが、

私が、仕事に間に合うように帰宅したら

『 どうしてギリギリに帰ってくるのよ!』と怒られた。

母は、ジェンギンスが家に居るせいでどこへもいけずストレスの塊だった。

早く誰かに帰って来てほしくて待っていたようだ。



でも、ジェンギンスが家にいるなんて知らなかったから、どうしょうもないし、私は、涼しい顔をしているけれど、すごくハードな生活をしているのだ。



まあ、いつものように逆らう事も無く

『 犬の散歩はわたしが夜行くからね』と言い残したが、

押さえのきかない母は

スキー準備で忙しいチョコパンにジェンギンスを任せて、メリーの散歩に行ったようだ。



そうだ、昨日はジェンギンスが夕方久しぶりに

家をウロウロして、2階の部屋にはいりこみ

パソコンや書類をいじるのでスーザンは困惑していた。

わたしは仕事中で場を離れる事ができないので

スーザン任せにしたのだ。



だから、私の仕事が終わったとたん

スーザンは、家出をした。

もう、我慢ならなかったのだ。



私自身は父の介護というより

母の介護以外の全てを引き受けている。

掃除、食事、 生活・・・

母は、父だけをみていれば良い様に

しているつもりでも

母は、なお、ストレスがたまるようだ。



母は、一人になりたいと言います

私たちが邪魔になってきたんでしょうか・・・

私たちは引っ越しても構わないのですが

とにかく、ここに引っ越してくるにあたって

500万円以上のお金をかけてこの家をリフォームしたんで、そこだけがどうしましょう・・ってかんじです。

解散したいです。

家族一人一人解散したいです。

人と一緒に暮らすことは重荷です。


チョコパンが今日もからかう。

お陰で、ジェンギンスは笑うし冗談をかっ飛ばす。



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