アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母、激痛。

2007-12-25 00:44:50 | 介護
2007年12月25日 両親揃ってる最後のクリスマス

もう、大変すぎて、日記はことしはもう書かないつもりでいましたが、
夜は落着いたので書きます。

いつも、母の食事の支度だけをして、仕事とジェンギンスの病院通いに
追われていました。

母が、「救急車を呼びたいくらい一人で病んだ」と聞いても
ピンと来なかった。
それが、けさ、母が苦しみ出したのだ。

ジェンギンスの認知看病がどんだけ、生やさしいことだったかと
思い知った。
苦しむ病気の看病は、たいへんだった。

胃けいれん発作だと思ったのだけど
胃けいれんでは亡いそうだ。

入院させてくれと頼んだけど
そんな必要はないと断られた。
でも、レントゲン撮ったら入院する事になった。

今日は自分の仕事を恨んだ。
看病するなら、仕事を持っているのは無理がある。

病院でもうずくまっている母だった。
そんな母を置いて、わたしは仕事のために帰宅しなければならない。

ジェンギンスの所へも行けず、
チョコパンにメールして2時間離れた外出先から6時の夕飯に
間に合うように帰ってきてもらった。

一人で看病するというのは、決断に苦しむ。
もし、今日誰かがいたとしたら、救急車を呼んでいたんだろうけど
私一人では、判断が弱かった。
救急車を呼んだ時のあの、煩雑さが嫌だった。

痛み止めで母は夜落着いた。
苦しんだことがいつのことだと思っているのか知らないけれど、
今日は痛くなかったと言っている。
汗びっしょりで、真っ白な顔で、かわいそうでみてられなかったけれど
わたしも必死だった。

父が肝臓病で洗面器をかかえていた苦しみのシーンを
思い出した。
今日の母も同じだった。


今日の母のレントゲン写真は
まったく読みとれなかった。
そこに写っている変なものが、正常なのか異常なのか
分からなかった。


さて、ジェンギンスは拘束ベルトをされて、手にミトンまではめられていたそうです。
もう、動けないジェンギンスですが、
どうして、拘束されて居るんでしょう。
ミトンをする事で、手すりにつかまれないから、
体を動かすことができません。
喉にこみ上げる吐物を体を横にして吐くことができないじゃないですか、、

明日も、母のために走ります。
ジェンギンスの病院は、行けません。

とんだ、クリスマスだと思いましたが
両親が生きていてくれるという、良いクリスマスです。

頂き物のクリスマスケーキをマクドウウェルと2人で
でかいまま、切りもせず食べました。

メリーitem9クリスマスkirakira2gift
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2 コメント

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Unknown (kappa)
2007-12-26 09:24:08
やっぱり体が二つほしいですよね。
無理なのはわかっているけど・・・
母が私の定年まで何とか元気だといいけど。。。
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Unknown (みるき~)
2007-12-27 02:32:25
★両親が入院して、わたしはとっても気持ちが楽になっています。
いまのところ、2人とも大丈夫です。
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