草薙神社です。日本武尊(やまと・たけるのみこと)が草原で、蝦夷に包囲されて焼き討ちに遭った時に、草薙の剣で草を薙ぎ切って死地を脱出した との故事に因んで建立されたと言われています。
昨夜 古文書研究会で勉強した時に、先生から面白いお話を聞きました。
日本武尊の話は徳川家康が作ったものだ と言う事です。 家康が幕府を開いて跡目を二代将軍秀忠に譲ったあと、大御所として駿府(今の静岡市)に隠居しました。 其の時 この神社近くに住む才覚の有る村主(すぐり)が、家康に願い出ました。「大御所様 当地にはその昔、日本武尊が草薙の剣を振るって蝦夷を征服した との言い伝えが御座います。そこで、此処に草薙神社なるものを建立して、末永く祀りたいと願うので御座います」
実際には日本武尊が戦ったのは焼津とも、相模とも諸説あり、この村主の話には確たる根拠はありませんでしたが、そこは太っ腹の家康、「苦しゅうない、よきに計らえ」ってな訳で、目出度く草薙神社が出来たと言うわけです。でも 家康はケチですから、お金は出しません。「勧進状」と言う家康の寄付命令状を駿河の国一円に出して、資金を集めたのです。それでも建立したのは家康という名前は後世に残ります。
この話 チャンとした証拠があります。草薙神社に残された古文書の解読を依頼された我等の先生が読み解いた所、建立の経緯が事細かに寄付した人々の名前、金額から、伊勢神宮に請願して最高の神格を拝領した やはり大御所様の御威光は凄い と喜んだ様子まで書いてあったそうです。
その後 江戸時代を通して大層繁栄したようですが、今では伊勢神宮に次ぐ神格とは名ばかりの質素なこの小さな社殿があるのみです。
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