<21世紀の超心理学(12-0)>
第12章:超心理の懐疑論に対するストームの社会-経験的考察
超心理学の将来は、科学的経験主義と社会学的力学で決まって
くるだろう。ストームはその関係性を社会-経験的アプローチと呼び、
超心理の徹底否定論者の分析の足がかりとしている。
第1に、風変わりで矛盾を含む超心理現象の本質が、他の科学現象
の場合と同様なかたちで受け入れ可能かどうか、精査する。
第2に、パラダイムの通約不可能性、および社会認知や認識論的
断絶などの哲学的・社会学的要因が、超心理学にどのような影響を
及ぼしているかを調べる。
第3に、信念や経験、それに科学的方法が特異現象に対する態度
に与える影響を考察する。
それによりストームは、否定論者は自分たちの立場を正当化できて
いないと主張する。
第12章:超心理の懐疑論に対するストームの社会-経験的考察
超心理学の将来は、科学的経験主義と社会学的力学で決まって
くるだろう。ストームはその関係性を社会-経験的アプローチと呼び、
超心理の徹底否定論者の分析の足がかりとしている。
第1に、風変わりで矛盾を含む超心理現象の本質が、他の科学現象
の場合と同様なかたちで受け入れ可能かどうか、精査する。
第2に、パラダイムの通約不可能性、および社会認知や認識論的
断絶などの哲学的・社会学的要因が、超心理学にどのような影響を
及ぼしているかを調べる。
第3に、信念や経験、それに科学的方法が特異現象に対する態度
に与える影響を考察する。
それによりストームは、否定論者は自分たちの立場を正当化できて
いないと主張する。
いきなりで申し訳ないんですが、早速質問してもよろしいでしょうか?
遠距離念写〔ポラロイド・カメラと“能力者”をかなり離して行なわせる念写実験〕やターゲット念写〔実験者が決めたターゲットをフィルムに写し込ませる念写〕は言うまでもないが、テッド〔念写能力者〕に課せられた条件で、通常の手段によって念写(やブラッキーないしホワイティー)を再現しようという試みを、一般に奇術師たちは回避している。この積年の挑戦を受けて立つ者は、これまで誰ひとりおらず、この業界で最も声の大きい人物のひとりも、この挑戦を公に受けるのを何とか避けようとして、見苦しい努力を続けたのである(アイゼンバッド、1995年、177ページ)。
この「業界で最も声の大きい人物の一人」というのが、実はあの懐疑論者の大御所ジェームズ・ランディらしい。管理人様は、これが本当かどうか、ご存じありますか?
もし、これらの念写実験において、この本が示す通り、懐疑論者および奇術師達が意図的に避けている(そして現在に至るまで)となると、かなりサイコップなども、結構偏った立場から批判している可能性が出てきます。
もちろん、この本の出版は、1995年ですから、それから13年間の間に、なんらかの念写実験によく似たトリックを実践して見せた奇術師もいるかもしれませんが…。
真相はどうなんでしょうか?
管轄テーマだと思いますので、聞いてみて下さい。
私自身はよく知りません。
個人的には「サイコップが結構偏った立場から
批判している」のはよく知られた事実だと思って
いました。
すいません、直接関係ない話題なんですけど、気になったもので。確か石川先生は、「人工知能がいかに作れないか」を研究なさっておられたわけですよね?そういえば、D・ラディンももともとは人工知能の研究に携わっていましたっけ?
石川先生はきっと、その「もし仮に」
というところが不可能であるので、
その結果が想定できないと言うのでは
ないでしょうか。
ただ、この人工知能が、チャーマーズの主張する哲学ゾンビみたいなもの(客観的に見て、人間と同じく感情を持っているとしか思えないような挙動を示すが、しかし、実際に人間と同じような感情を持っているのかどうかわからない、あるいは、ただ感情を持っているかのようにサルまねし、その結果人間と見分けがつかなくなる人工知能)である可能性は高い。実際、人工知能研究者や唯物論者、懐疑論者の中には、中身がなくても、ただ人間と区別ができないくらいの挙動(客観的に見て、感情を持っていうとしか思えない)を示す人工知能が誕生すれば、それを持って「心を作り出した」と考えているようです。
「心を作り出した(あるいはそれと見分けがつかないもの)」ということは、唯物論が正しいという根拠を強固なものにするんではないでしょうか?そうなると、ますます超心理学の分が悪くなるのかなぁと。
ついでに言うと、私は客観的に見て心を持っているとしか思えない人工知能はできると思います。しかし、その人工知能が本当に主観的な心を持っているかというと、とてもそうは思えません。でも、唯物論者、懐疑論者たちは、それでも人間と同じように心をもつものだと認めるべきであると考えております。
最近は、馬場純雄氏のように、心を持つ機会は作れないという意見を、ごく主観的な部分と客観的な部分から考えて展開する人もいるようです。
http://homepage3.nifty.com/BABASUMIO/
ただ、得ている前提情報が誤っているのではないか
と思います。「人工知能研究者によると、2030年
から2050年までに人工知能ができる」というところ
です。この種の主張は1980年代に喧伝されて
研究のうえ、根本問題が発覚して頓挫しているのが
現状です。もっと過去を振り返ると1940年代に
もブームがあったようです。過去のことを知らない
技術者が楽観的なことを発言しているのでしょう。
この前提部分は本ブログと関連がうすいので、これ
限りにしてください。人工知能の基礎論の専門家の
東京大学西垣通先生などが「できそうだ」と言い
出せば本物だと思います。
やはり、錬金術で終わってほしい気がしますね、人工知能。超心理学が最後には勝利してほしいです、個人的には。