あすなろ

塾長日記

エリートになりたいというと小馬鹿にした時代が確かにあった

2009-10-14 14:53:07 | Weblog
エリートになるというと小馬鹿にした社会が確かにあった。
テレビで進学塾から出てきた小学生にマイクを突き付けて
『君は将来何になりたいの』なんて聞くと
『東大を出て、官僚です』なんて答えるとレポーターが
小馬鹿にしたような顔をして
『日本は大丈夫なんでしょうか』なんて締めくくる、そんな時代が確かにあった気がします。
生きていくのに必要な基礎学力
は確かにあると思います。字を読めたり、計算ができることだけではなくて、オレオレ詐欺みたいなことにこれはおかしいと思うことがやはり基礎知識というかあるんですね。
だから青森までキリストの墓を見に行ったけれど旅行の本に載っていない時点で,『これはお遊びだ』と思わないとね。
八戸には世界一美人過ぎる市議の藤川ゆりたんのゆりタンリンゴケーキも売っているけれどね。キリストだけはどう考えても
危険なんだろうね。
社会に出て、特に自営なんかしているとまぁ利害が激突することが多々あります。だけども
『訴えてやる』なんて言ったって、民事なんかこちらで証拠をそろえなくてはならないし簡単なことではありません。
だから弁護士を雇って裁判して時間をかけてやっても仕方ないというのもあります。そういう判断はどこにも書いていないし
自分で考えなくてはなりません。判断の基準になるのは、知識と
経験。だからやっぱり勉強をしなくてはならないということになります。エリート大いに結構。エリートとはセレブのことではありません。またセレブとは小金持ちのことではありません。
美智子妃殿下のように、英語で時にはフランス語で外国の賓客と会話し、それではといってプロの音楽家とピアノを合奏する。
そういう方のことです。