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変わる渋谷駅 消える立役者

2013-03-16 08:00:02 | 報道/ニュース


  3月15日 おはよう日本


  渋谷駅は増改築が繰り返され老朽化がすすんでいる。
  その渋谷駅の大規模な再開発が本格的に始まる。
  その第1歩が15日のホームの引っ越し。
  地上2階の東横線のホームが地下5階に引っ越し東京メトロ副都心線と接続する。
  この引っ越しでこれから渋谷駅の再開発が本格化する。  
  いま渋谷駅に乗り入れているのは4つの会社の9つの路線。
  ところが地下鉄なのに銀座線のホームは3階。
  同じJRでも山手線と埼京線の乗り換えは遠い。
  戦前の建物が今も使われている。
  駅ビルを兼ねたデパートの建物は昭和初期のもの。
  そこで老朽化対策や利便性の向上のため大規模な再開発が進む。
  東横線のホームが移転した跡地を中心に新たに5つのビルを建設。
  東横線と副都心線が直接結ばれるほか
  離れていたホームも近づける予定である。
  山手線と埼京線のホームは隣りあわせ。
  銀座線のホームは副都心線のホームのすぐ上に。
  完成予定は平成39年ごろ。

  渋谷駅の再開発に合わせて駅ビルの商業施設も移転をすることになっている。
  移転が決まった名店街の陰の立役者が惜しまれながら消えて行こうとしている。
  駅ビルのデパートにある東横のれん街。
  新鮮な肉、魚、高級洋菓子、出来立ての惣菜・・・。
  各地の老舗85店舗が軒を連ね
  デパ地下の草分けといわれている。
  にぎやかなフロアからとある階段を地下へ降りると“フローベヤ”。 
  次々と流れる無人のかごがレールに沿ってゆっくりと走っている。
  運ぶのはデパートの仕入れ商品。
  のれん街をはじめ各店舗に届ける。
  フローベアの名の由来は誰も知らない。
  半世紀にわたり渋谷の地下を走り続けてきたが今月で姿を消す。
  (東急百貨店広報担当 高森秀樹さん)
  「50年間たいしたトラブルもなく
   毎日動いてきたことは非常に素晴らしいことだと思います。」
  のれん街が誕生したのは戦後復興期の昭和26年。
  銀座や築地の老舗を一堂に集めたスタイルが山の手の主婦の人気を集めた。
  ところが高度成長期を迎えるとある問題を抱える。
  渋谷駅周辺の交通量が増え商品を搬入するトラックの横づけが難しくなったのである。
  昭和38年 新たな搬入口をもうけることになった。
  搬入口は国道を挟み200mほど離れた東横線の高架下。
  そこで考えだされたのがフローベヤだった。
  搬入された商品がまず乗せられるのは専用のかご。
  かごにはピンがついている。
  レールの中には動くチェーン。
  ピンをひっかけるとスタート。
  すぐに地上から地下に一気に下る。
  坂の傾きは26度。
  倒れないよう設計されている。
  通路は従業員も行き交うため時速1キロの安全運転。
  朝から晩までフル稼働。
  1日に行き交うかごは600~700。
  レールは全長420m。
  約10分で受け取る人が待つ終点に到着する。
  フローベヤなくしてのれん街の発展はなかったという人がいる。
  のれん街で鮮魚や総菜などを販売する老舗の3代目。
  (魚・惣菜店会長 森口一さん)
  「初めて見た時は驚きましたね。
   すごいシステムだと。
   40数年前ですから。」
  学生時代から店を手伝い毎日のようにフローベヤを使った。
  (森口さん)
  「バッジをこのレールの中に落としまして1回全部止めてしまって
   ずいぶん叱られました。」
  森口さんの店では魚が築地などから1日5回運ばれてくる。
  すぐにフローベアの上へ。
  のれん街の厨房で調理され即座に店頭に並べられる。
  フローベアがこまめな補充を可能にし店の味を支えてきた。
  (常連客)
  「値段はいいかもしれませんが味はやっぱり違いますね。
   毎日来ています。」
  (森口さん)
  「鮮度を大事にしていますので早くお客さんに届ける
   これが命です。
   そういう意味でフローベヤは本当に貢献してくれたと思います。」
  東横のれん街は今月いっぱいで今の場所での営業をやめ
  来月から近くのビルで新たなスタートをきる。
  50年にわたって賑わいを陰から支えてきたフローベヤ。
  街の生まれ変わりとともに静かにその役割を終える。
  
  
  



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