まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

Webの料金は、水漏れ注意!

2015年03月24日 | 家事・雑草との日々

『インターネット接続料を見直してみました』(2015年3月4日(水))の続編です。
手続きは順調に進み、3月24日(今日)に、『OCN光』開通のお知らせが届きました。
開通といっても、工事があるわけでもなく、昨日と今日は何も変わりません。どこがかわったんだろう?という世界です。

Web関係の課金については、昨秋ずいぶん細かく見て整理したつもりだったのですが、今回の見直しの中で、NTTに支払ってきた『リモートサーポートサービス』(月500円)、OCNに支払ってきた『OCNペイオン』(月302円)というのが気になりだしました。

月数百円のことで、細かい話しなのですが、たかだか800円余りでも、年間では一万円近くになります。
必要なものであれば、止める必要もないのですが、まったく使わないのにお金だけ払い続けることはないですよね。
調べてみたら、『リモートサーポートサービス』は、何かトラブルがあった時の相談料のような料金。今まで使ったことがありませんし、このオプションが付いていたことも気にしていませんでした。

『OCNペイオン』は、登録には経費がかからないようで、動画等を見た使用料を通信料に含めて請求してくるものらしい。
申し込んだ時点では、その辺りは理解・納得したのだろうが、今になっては「なんだか、よくわからん!」の世界です。
Web上の利用明細を見て行ったら、今はまったく使用実績がないショータイムという動作サイトの月会費が垂れ流し状態でした。

今回この2点は、整理することにしました。

『OCNペイオン』の方は、ショータイムサイトの脱退手続きをしたので、来月からは請求がなくなると思います。
『リモートサーポートサービス』は、今回の変更で請求元がNTTからOCNへ変わるようなので、これからOCNへ廃止手続きをかけようと思っています。

昨今は、電子マネーとかカード決済が進み便利ですが、反面、古い水道の水漏れのように、支払いが、知らぬ間に流れ続けてしまっていることもあり、注意しなくてはいけないですね。

 

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房総駅間ひとりウォーク(JR三門(みかど)駅~JR大原駅 営業キロ3.5Km)

2015年03月23日 | 房総駅間ひとりウォーク

三門駅を出て左折すると、じきに国道128号線との交差点へでました。国道を横切って、その交差点を直進し、左手に自動修理工場がある辺りの先の路地から、海岸へ下りました。

文学とか文化人とか、まったくよく解らないのですが、多くの人が名作と評価したり、すごい業績だと認めたことをやり遂げた人は、すごい人なんだろうなぁという程度は最近解るようになりました。
今回は、そういう人たちが好んだ風景とか空気をちょっと感じてみたいというノリの徘徊で、当てもなくふらふら歩きがら雰囲気をたのしみました。

 

梅屋庄吉(日活創業者)の別荘跡に建つ顕彰碑に出合いました。森鴎外の別荘もこの周辺にあったようです。
明治、昭和初期、東京から蒸気機関車にひかれた列車で、土気のトンネルで真っ黒になりながら、海・山両方の自然がある三門の駅に降り立つ。
そこに住む人は、純朴そのもの。
人の雑踏からは距離を置け、両脇は江場土(長者町)、大原の商圏があり便利。

 

広い砂、松並木、潮騒がまじかに聞こえる癒しの空間は、海岸浸食、住宅開発でだいぶ失われていますが、静かな時間を過ごすにはきっと良い所だったのでしょうね。

 

日在浦にでました。
現在の九十九里浜の砂浜は、どこも消波ブロックがゴロゴロしていています。
昭和40年頃までは、ペットボトルも缶もなく、100m近くもきれいな砂浜が広がっていたのですが、いつの頃からか、こんなになってしまいました。
そして、その時間帯は、私が社会人現役として自分の生活の事ばかりを考えて過ごしてきた時間です。無力な個人ですが、なぜか反省しきりです。
時間というのは、ほんとうに取り返しがつかないですね。

 

大原海水浴場に近くなってきたあたりの自転車道路(遊歩道)です。

日在浦周辺では、完全に砂で埋まっており、画像右側のコンクリート壁の上を歩きました。
これも、発想はすばらしくても、結果として間違った施策で、早期に改める(中止す)べき施策かもしれません。

莫大な資金で道を作る。
自然の力で埋もれてしまう道を維持しようとすれば、無限大で税金を投入し続けなければいけない。
今どこをどうたたいても、そんな利権事業のようなことを続けられる余裕はないですよね。

この頃は、たいぶ疲れて来て、考えることも攻撃的です(笑)

 

大原海水浴場(塩田川河口)着き、一路橋を渡りました。
昭和初期にあった橋は、昭和44年に架け替えられ、更にあたらしい大きな橋ができていました。

現在の一路橋は、車道を主とした新しい橋の脇に、生活道として残っていましたが、素人の私の目から見ても、老朽化が進んでいました。

ちょうど日が傾いた時間でした。

こういう風景も、近い将来、橋の取り崩しと共に忘れ去られていく。
仕方のないことですが、少し寂しですね。

近く故に今まで行ったことがなかった、見学最終地、大原小浜八幡岬に向かいまいした。

 

漁港手前に、元禄地震の津波の高さを記録した表示物がありました。
ここ大原でも、2m近い津波があがったことが分かりました。

 

大原漁港です。
大原は、イセエビの水揚げ量は日本一だとか。
港を左手に進み、正面に見えるのが、大原小浜八幡岬です。

岬には、中世に土岐氏一族の小浜城があり、今は、小浜八幡神社が祭られていました。
また若山放水の歌碑など過去にこの大原の地を愛した文化人の歌碑などがみられました。

 

岬からの眺めです。

 

今は穏やかな綺麗な景色ですが、この八幡岬にも、終戦間際、六名の二〇歳前後の若者で組織された第7特攻戦隊第12突撃隊特攻「回天」基地跡があったことが伝えられています。
出撃することなく、終戦をむかえたとのことですが、敗戦色が濃くなってきた頃は、九十九里沖には航空母艦が接近し、連日のように機銃掃射と爆撃があったようです。

 

今日の最終目的地、JR大原駅に17時過ぎ到着。

 

ここは、いすみ鉄道の起点で、いすみ鉄道の大原駅が併設されています。

 

次回は、この大原を出発し、次の浪花(なみはな)駅を目指します。

三門―大原(営業キロ3.5Km) 2015年3月17日
実際に歩いた歩数 14,701歩(10.4Km)

上総一ノ宮―大原 トータル 45,479歩(32.3Km)

 

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房総駅間ひとりウォーク(JR太東(たいとう)~JR三門(みかど)駅 営業キロ4.4Km) 

2015年03月22日 | 房総駅間ひとりウォーク

太東駅から次の長者町(ちょうじゃまち)駅間も、線路近くに道がなく、少し離れた所を歩くことになりました。

2月のウォークでは、新茂原駅周辺で迷子になり、けっこう辛い思いをしたので、今回はバイクで使っていたナビを持参し、これが大変役立ちました。

 

長者町手前の『みさき橋』上から遠望した外房線です。
時々線路が見つかると安心しますね。

 

14時10分頃、長者町(ちょうじゃ)駅へ到着。
『長者』というくらいですから、その昔は、お金持ちがたくさんすんでいたのかな?などと思い、少し調べてみました。
長者町の由来は、江戸時代まで遡るようです。
当時この周辺は、江戸から房州へ向かう旅人の宿泊地として旅館や商店ができ、房総の宿駅として発展。時の領主の邸が江戸下谷の長者町にあったことから『ちょうじゃまち』と名付けたのだとか。
いすみ市へ合併前の旧岬町の中心地で、今でも、周辺には、役所関係の建物、商店街、県立岬高校などがありました。

県立岬高校は、本年4月から県立大原高校と合併するようで、長者町駅から若い人の姿が減って行くのは、時代の流れなのでしょうが、寂しい気がします。

長者町駅から御宿(おんじゅく)駅間は、単線に戻ります。

 

三門(みかど)駅へ向かう途中の中村踏切附近で撮影した単線路。

同じ単線でも、JRさんのは、いすみ鉄道、小湊鉄道などに比べると線路に勢いがあるように感じます。それだけ、保守にも時間とお金を使っているということでしょうか。

 

長者町-三門間は、駅間営業キロ1.6Kmと短いため、14時35分現着で、ここは難なくクリア。

三門駅も歩いてきた東浪見駅同様、完全無人駅です。
ホームはこんな感じ。



いい感じに、何もありません(笑)
不便さはあると思いますが、個人的には好きだなぁこの風景。

今回の行程で残すは、大原駅までの営業キロ3.5Km。
三門駅付近から、外房線は、国道128号と併走状態になります。
国道を排ガスを吸い込みながら歩くのも辛いので、森鴎外、賀古鶴所(耳鼻咽喉科の創始者、鴎外の友人)、梅屋庄吉(日活創業者)、林芙美子(作家)などの文化人が愛し、別荘を建てたり、旅をしたという日在浦へ出て、海岸線から大原塩田川にかかる『一路橋』を渡ってみることにした。
『一路橋』周辺、小浜周辺は、小説家山本有三の『真実一路』の舞台になったというところです。
ぜんぜん柄ではないんですが、きぶんだけ、ちょっとした文学散歩です。

【参考:小説 真実一路】
塩田川に架かる一路橋 山本有三 (千葉日報者ウェブ ちばとぴ) に詳しい情報があります。

太東―三門(営業キロ4.4Km) 2015年3月17日
実際に歩いた歩数 8,128歩(5.8Km)

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房総駅間ひとりウォーク(JR上総一ノ宮~JR太東(たいとう)駅 営業キロ6.3Km) 

2015年03月21日 | 房総駅間ひとりウォーク

今月は、JR外房線上総一ノ宮駅から東浪見(とらみ)駅に向かってスタート(歩き出し9時10分)です。

駅周辺にはまだ線路がたくさんありますが、上総一ノ宮~東浪見間は、単線区間。
外房線も上総一ノ宮駅を過ぎると、電車の密度も、風景もぐっとローカル色が濃くなってきます(―_―)!!

線路沿いに、新しい家の増えた東野というエリアを歩いていて、一宮町のマンホールの蓋を見つけました。
独自にデザインをしたマンホールの蓋というのは、どこの市町村でも作っているのでしょうか?
それぞれ、その街の特徴のようなものが描かれていて、おもしろいですね。

 

国道128号線と交差する辺りから、線路沿いの小路がなくなり、しばらく国道を歩きました。

 

この標識で右折したところに、『波切地蔵』がたっていました。



この地蔵は、元禄地震(1703年 房総の死者数6,534人、館山市相浜や南房総市(旧和田町)で10mを超える津波を記録 (『防災誌 元禄地震 』平成20年3月千葉県総務部消防地震防災課より))の際に、一宮を襲った津波がこの地蔵の辺りで止まったと言い伝えられているようです。

この場所は、海岸から1.5Kmほど離れています。
お地蔵さんは、「ここから海側には住まないようにね」との思いで、長い間立っているのでしょうが、人の営みは、そうもういっていられないようで、現在は、海との間にたくさんの家が建っていました。
大きな津波が襲ってきたときの被害は、人が多い事から起こる混乱によって、当時の比ではないかもしれませんね。

普段から、避難場所の確保、そこへ行くための複数の広い避難路の整備、災害発生時の迅速な周知体制を作って、とのかく逃げるのが、個人として、大きな自然の力に対抗する唯一の方法なのだよと、お地蔵さんが教えてくれているようでした。

 

旧道を少し歩くとJR東浪見駅がありました。
上総一宮玉前(たまさき)神社に所縁の深い歴史のある土地柄ですが、利用者は少なく無人駅となっています。

東浪見駅から線路は、国道128号から少し離れて、綱田(つなだ)という集落に入って行きますが、併行して歩ける小路がないため、車道で線路を追いかけました。

 

綱田からも、椎木堰までは農道で線路沿いを歩けましたが、先ヘは進めませんでした。

計画距離をしぼって、戦争遺跡としての太東埼灯台を見学する予定でいたので、綱田から国道に戻ることにしました。

 

途中、上総一宮玉前神社の幟が気になったので立ち寄ってみると、玉前神社の元宮だという神洗神社でした。
神代の昔、ご祭神が、海から東浪見の釣が崎海岸へ上がり、この神社の池で身を洗われたという伝説あるのだとか。

それで、上総一宮玉前神社秋祭礼『上総十二社祭り』のメインも釣が崎海岸で行われるのだと改めて納得でした。

 

国道128号に出て少し歩くと、左手に海が開けてきました。
サーフィンで賑わっている東浪見志田下(釣が崎)海岸です。
以前、サーフィンをしている後輩に聞いたところ、ここは全国的にも有名なスポットで「僕なんか、とてもそこじゃできませんよ」などと言っておりました。
冬でも海に入っている人を結構見かけます。

 

太東埼灯台に上ってきました。

戦時中、太平洋に面したこの辺りには、アメリカ軍の上陸に備えたくさんの軍事施設があったようです。
歩いてきた和泉や中原集落の山中を掘り抜き敷設した「野砲」「カノン砲」陣地。
江場土周辺には、太東航空基地。

そして、ここ太東埼にも、海軍技術研究所のレーダー基地があったのだそうです。

 

(残存しているレーダーの礎石)

 

(銃座跡)

終戦後、施設のあった断崖は浸食により30 m以上後退し,直径7.8 mの円形地下操作室などの基礎部分も海中に崩落。
山頂(海抜63m)にあった兵舎は昭和25 年に灯台施設となったものの、その後、崖の浸食がさらに進み、昭和47 年に灯台は100 m移動し、現在の位置になったということです。

真偽のほどは別にして、Web上には、江戸時代は現在より数キロメートル岬が海に突き出ていたなどという記述もありました。この浸食された部分で、広い九十九里の砂浜が維持されていたのかもしれませんね。
九十九里周辺の海岸浸食はいろいろ対策はしてきているようですが、お金もかかり、なかなか決め手がないようです。

太東崎の遺跡も時間の流れの中で海に没してしまうのかもしれませんが、当時の人が見ていた大海原、当時の物を目の前にすると、想像もできない戦時ですが、複雑な思いに駆られました。・
物はなくなっても、正しい情報はきちんと伝えて行かなくてはならないと思います。
今回事前情報を集める中で、いすみ市立長者小学校のホームページに出会い、その情報と共に、郷土の事をストックして子供たちに伝えてようとする姿勢は、大変参考になりました。
頑張っている先生たちもいることを知り、心強くなりました。
(参考:すみ市立長者小学校のホームページ23.戦争の足跡.pdf)

灯台下でお弁当を取り、今年一番のぽかぽか陽気の中、約3Km離れた太東駅を目指しました。

 

13時過ぎ、太東駅に到着。
農協倉庫が立ち並んだ中に、ひっそりという感じで駅がありました。

太東駅から浪花(なみはな)駅までは、いすみ市を歩くことになります。
千葉市を出発し、大網白里市、茂原市、長生郡、そしていすみ市へ。
結構、頑張れるものなんですね(^○^)
これぞ、歳とったからこそできる、シルバーパワーですかね。
若い頃だったら、歩くなんて考えもしなかったと思います。

上総一ノ宮―太東(営業キロ6.3Km) 2015年3月17日
実際に歩いた歩数 22,650歩(16.1Km)

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読書は体調のバロメーター

2015年03月20日 | 日記

仕事を辞めて、半年、近頃は仕事関係など固めの内容の本は全く読まなくなりましたが、野菜の作り方とか寝っ転がって読める小説とか、一度読んだことがあるものも含め、読書量は増えています。
まあ、暇ですからね(^○^)

最近は紙媒体の本はあまり売れていないようですが、私は歳のせいか、端末の画面で長時間文字を読むのは苦手で、もっぱら、『本』です。

読書をしていると、いろいろな状況がありあます。
読もうと思い、手に取ったものの、気力がなく、本を置いてしまうとき。
いっくら文字を追っても、全然頭に入ってこず、ページだけめくっているようなとき。
どんどん文字が入って来て、状況等も頭に浮かび、本の世界に入れるとき。

文字がすっと理解できるときって、やっぱり体調も心の状態も良い時のように思います。

読書の調子がでないときは、疲れていたら休む、気にかかることがあったら、まずそれを片付けるようにしています。

 

 

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