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まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

あまり古い事に拘っていてもいけないのでしょうが・・・

2015年03月11日 | 日記

今年、2015年は、今上天皇の平成27年、終戦の玉音放送をされた天皇の昭和通算では昭和90年。
終戦後70年目ですね。

昨日、3月10日は東京大空襲のあった日だと話題になっていましたし、NHK朝ドラの『マッサン』でも、今ちょうど敗戦の年の昭和20年を放送しています。

人は意識する、しないにかかわらず、それぞれ太古からの長い時間軸の中で生きて来て、ものすごい歴史・文化を引きずっているわけですが、私的には、今を起点にこれからを考えて生きるのが楽だし、全体のためにも建設的だし、それでいいなぁと思っています。
だから、過ぎてしまったことはどうでもいいような思いもあります。

でも、人の感情はそう簡単ではないようですね。

NHK朝ドラ『マッサン』のエリーさんを中心にした描写が見事だと思います。
ご主人を戦死した奥さんの思い(少し前の放送)、エリーさんの初恋の思い出、エマと思いを寄せていた一馬の死、くまさんを中心にした人たちとエリーさんの関係。
戦争は、個人の憎しみではなく、ヒステリーのように前衛化した一部の人間と、それに踊らされる指導者の混沌の中で、かけがえのない命を的にした『子供のゲーム』のようなことを実際に行い、意味なく戦っていた双方の多くの人たちに、悲しみ、憎しみ、恨みしか残さない!
『戦争は無意味』という壮絶なドラマだということをよく表現していると思いながら今朝も見ていました。

韓国や中国の人が、今でも日本の戦後処理について、否定的なのも解るような気がします。
戦後2世代目の私には、戦争は遠い昔の出来事というか、まったく実感が持てません。3世代目はもっと現実感がないでしょう。

今イスラム圏で起きているようなことが、たった70年前の日本での出来事であり、80歳、90歳代の方は、その中で感情をもって生きてきた人たちです。
加害者側は、一日も早く忘れようとするかもしれませんが、理不尽に被害を受けた、やられた側の心の傷はそう簡単に癒えるものではない。『教育』によって世代間に伝え、ずっと覚えているのではないでしょか。

英語教育も大事ですが、言葉は、思いを伝えるツールでしかありません。
日本がやって来た明治、大正、昭和の功罪をきちんと歴史教育の中で教え、中立な判断、議論ができる子供たちを育てないと、中国、朝鮮の若者たちに太刀打ちできないでしょうし、また先の世代で、間違えた選択をしてしまうのではないかと危惧します。

3月の駅間ウォークのために、地元の情報を調べていると、九十九里浜周辺からの連合国軍の本土上陸を想定してか、房総半島にも、戦争遺跡や特攻兵器話などが残っていることを知ることができました。

日常生活では知らなくてもまったく支障がない遺跡、史実ですが、戦争の史実も東日本大震災の中で起きた人類史上最大級の原発事故同様、忘れてはならないことなのだと思います。
太平洋戦争終戦を決定的にした出来事も、当時人類史上初の原爆でしたね。

3月以降の駅間ひとりウォークでは、時速4kmで移り行く景色の中で、この辺の事にも思いを馳せながら、てくてく歩きます。