あるメールマガジンで、仏教の布施(親切)の心掛けとしての『三輪空(さんりんくう)』という解説を読んだ。
「私が(してあげたんだ)」
「誰々に(してあげたんだ)」
「何々を(してあげたんだ)」
「誰々に(してあげたんだ)」
「何々を(してあげたんだ)」
という三つにこだわってはいけないというお釈迦様の教えだという。
学校でも、会社でも、自分を中心に、5W1H(または2H)で物を考えるように慣らされてきた。
①いつ、どこで、誰が ②何を、どうする ③なぜ?いくら?
いつも、誰々、何々を、いくらお金を使ってどこまでやるかを意識していると、何かあれば、自分(私)が、誰々に、何々をこれだけ「してあげた」と主張したくて仕方がない。
要領のいい御仁は、他人の手柄まで自分のこととして主張したりする。
そして、意にそぐわなければ腹を立て、自分から人間関係を悪い方向にもっていってしまう。
なるほど、三輪空の気持ちで相手に接すれば、何があっても腹も立たない。何があっても普通に受け止められる。
親切をすることによって自分の存在意義が感じられる、自分が心豊かで気持ちいい、という純粋な動機がそこにあるだけなのだから。
でも、俺がこれだけしてあげたのに・・・って思いたいんだよなぁ。
これは、他人より自分が優位にあるという無意識の意識なのだろうか?
無所属になった今の生活は利害関係が薄くなってきているので、少しは三輪空を心がけられるけれども、組織の中で利害関係のしがらみにこんがらかっていると、自己中なくらいでないと食ってけない部分のある。
心が病む。だから、非日常の宗教という部分での三輪空にような考え方に触れることが大切なのかもしれない。
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<今日は何の日>
1953(昭和28)年の今日、朝鮮戦争休戦協定が調印となりました。
人間関係というのは、壊すのは一瞬ですが、修復には気の遠くなる時間がかかるものなんですね。
競争まではいいとして、戦争は避けないといけないですね。
競争まではいいとして、戦争は避けないといけないですね。