わが家のお寺さんは、毎年『曹洞宗宝暦』という暦を配ってくれる。
一人前のつもりで、忙しく働いていた頃は仏壇で埃をかぶって開くこともなく捨てていたが、ここ数年は、毎月かわり、新しい月のページを開いてながめるようになった。
7月は、「扇はあおいでこそ、扇となる」という、誰もが必ず持っている『精進心』を取り上げていた。
「風はいつでもこの場所に満ちている。だったら、それを感じれば、わざわざ扇であおぐ必要はないでしょ。」という若い僧に、
老師が言ったことは、「風があると、風がない所はないとは、同じ意味ではない」
ジイサンマンになった私でも、解りにくい。
こいうところが、正しい仏教が若い人、日本の規範として、伝わりぬくい部分だと感じる。
生きている世の中は、『風性常住』
それぞれの人の生きる行為によって、世の中は常に変化し、吹き流れる風のように移り変わっていく。
「あんたは、そんな中で、なんもせず、ただ風を感じて時を過ごすだけでいいんかい?」と老師は教えたのだと思う。
同時に、風がない(才がない)人はいない。人それぞれ、風のもとは持っている。その才(扇)を自覚したならば、それを使ってこそが生きるということだ。扇は、使わなければ持っていてもないのと同じ。
大いに使って風を起こすことが、『風性常住』?
よくわからんけれど、自分なりにはそう読んだ。
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<今日は何の日>
今日は、『中元』です。
<今日は何の日>
今日は、『中元』です。
半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日。
元々は、
正月15日の上元
7月15日を中元
10月15日の下元
をあわせて「三元」とする道教の習慣らしいです。
中国仏教では今日、祖霊を供養する「盂蘭盆会」を行った。
日本では江戸時代から商い先やお世話になった人等に贈り物をするような習慣として定着したよう。
早期退職後四年になるけれど、、昔の仲間たちから今年もいくつかお中元が届いた。元気で活躍しているようだ。
本当に有難い。
そろそろ、お返しを手配しなくては。