村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第20号 村上和隆の人生塾「一言」   安易に親兄弟や社会に頼るのは、その時は楽だが?

2008-04-11 07:26:12 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

※お知らせ:今後11月までは毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい

20.安易に親兄弟や社会に頼るのは、その時は楽だが、つらさを避ける小さい人間に繋がる

貧しい昔と、現代の豊で便利な時代の人間の大きな違いは、昔は

①親子兄弟や近隣との人間関係が濃密であったということと、

反面
②最後に頼りになるのは、自分だったということです。

当時は、子供なりに将来の職業や暮らしや結婚や人生などについて真面目に考え、自分のことは自分でという感覚で、勉強やいろいろ努力を積み重ねていたものです。

そういう当時の私も、郷里である東京から関西に来て、40年、遠く離れて関西で暮らす体験をしたのですが、関西には身寄りが全くいませんでしたから、日常や、いざという場合に頼れるのは、本当に自分だけでした。
会社を4回転職した時々も、54歳の時に妻が病床につき介護しながら仕事していた時も、妻が52歳で他界した時も、3人の子育てをした時も、最後に自営独立した時も・・・・・・、かなりつらい孤独なものがありました。

そんな厳しい道を敢えて選んでしまったのですが、一人でよくやってきたものだと我ながら関心しています。
まあ当時としては、当り前のことだったかもしれせんが?そして、当時はつくづく後悔したものです「何で東京で就職しなかったのか、何で関西から嫁をもらわなっかたか」と。

そういう昔の人間に対して、現代は、地元に住み続け、親元に同居し、親から援助して貰い、いざという時は、当り前のように親族の助けを貰う若者が多いのです。
大変なことになっても、つらくても、親兄弟にも頼らず、じーっと耐え、自分で困難な局面を切り開き、処置するなんて昔は当り前のことが、なくなってしまったのです。

「可愛い子には旅をさせよ」
「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」
子供を本人のためを思えば、親も兄弟も放っておくほうが良いのですが、何だかんだと要らん世話を焼いてしまうのです。
また、社会も彼等を保護しようとするんですが、実に無駄なことです。生活に困っても何とかお金は稼げてしまう。

せっかく苦しい状況や厳しい状況がやってきているのに、簡単に他人や社会に頼れるのでは台無しなんですがね。
勤めてもすぐに会社を辞め、定職につかず、フリーターやニートなんてのも困った兆候です。こういう状況で、もし、今後何か深刻な災害や経済環境の大変化が起り、彼等が頼る物がなくなった時にどうするのでしょうね?

楽の味を覚えてしまった彼等には、多分予想される日本の厳しい状況に対応する能力がなく、日本国家の存亡にも拘わることになっていくのでしょうか?

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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