村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第13号 村上和隆の人生塾「一言」   人間は喜びたがり、しばしば喜び、はしゃぐ

2008-04-02 08:47:35 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

13.人間は喜びたがり、しばしば喜び、はしゃぐが、一体、そんなに喜ぶべきなんだろうか?

人間は、しばしば喜びたがり、喜ぶ生き物ですね。何でなんでしょう?何も格段喜ぶ必要などないはずなのに必要以上に喜ぼうとするのです。
イチローが打った・日本選手が金メダルとった・結婚した・大学に合格した……・何故、人間は、そんなにも喜びとか幸せとかがないといけないのですかね?

喜ぶことが格別良いことのように、当り前のように思っていますが、よくよく考えるとこんな不思議なことはないのです。
一体、やたらに喜ぶということは意味があるのでしょうか?喜ぶというのはどういうことなんでしょうか?

つまらんことを喜ぶとはそんなに意味があることなんでしょうか?同様に、悲しむということも、よくよく考えると不思議なことですね。
必要以上に喜びなんか求めるから、悲しみなんてものが増えるのかもしれないのです。あまりつまらんことで喜ばないほうが良いのかもしれませんな。

「喜びは喜ばしいから喜びなんだ」「悲しみは悲しいから悲しみなんだ」なんて思っているのはおかしい、ひょっとすると喜びとは、現代においては、大きな悲しみの元を生み出すものになっている可能性があるです。
そんなこと考えたことありませんか?楽しい・嬉しい・美味しい・喜ばしい・美しい・・・一体それらは何なのでありましょうか?
一方、苦しい・哀しい・まずい・悲しい・汚い・・・・も一体、何なのでしょうか?

『楽は苦あってこその楽』『苦は楽したための苦』ということでしょうか?
このあい矛盾する言葉の意味や関係を深く考え直してみるべきですね。
子供がはしゃぎまわるような姿を、大人までもがすべきことなんでしょうか?

喜びも悲しみも幾年月・・・なんて格好の良いこと言いますが、大袈裟に喜ぶ又は大袈裟に悲しむのは、実は意味のない暇つぶしなのかもしれません。

袈裟に喜ぶ又は大袈裟に悲しみもせず、どんな状況下においても、いつも平然(平常心)として、仏のようにうっすらと笑みをたたえていることができたらと思うのです。
進歩・成長・がんばり・勝った負けた・・・・一体なんのためなのでしょか?

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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