2020年春、まだ桜は開花したばかり。新型コロナウィルスの拡大による各国の渡航自粛措置が始まり、仕事はキャンセルになっていないものの、これ、どう考えたって、グループ引き連れて国内を旅行すること出来ないでしょ。という状況。周りではどんどん仕事がキャンセルになっているという話を聞きはじめた頃です。
年末年始ごろ、パートナー氏から聞いた。「中国でおかしな肺炎が流行しているらしい」。今や中国の影響力って大きい。経済も観光も。それって、そのうち世界に飛び火しちゃうんじゃない?大丈夫なのかな?といいながら、春節。飛び火、大丈夫なのかなー?
今年は冬からすでにあやしい予感でスタートしていたこともあり、2月にはいつも以上に勉強をはじめていたので、3月もひたすら勉強中心に自宅で過ごしました。最悪、貯金を切り崩して生活するしかないよね。。くらいな気持ちで。そんな中、ヨーロッパでの仕事のためフランスにいたパートナー氏が、コロナのヨーロッパでの拡大に危険を感じ、早々に日本に戻ってきました。日本で渡航規制や検疫が始まる前です。そんな訳もあり、この週末は久しぶりに出かけることに。でも、電車ではなく、車で。
世田谷区にある豪徳寺。元々は14世紀にさかのぼり、世田谷城があったところ。世田谷城は16世紀の秀吉の小田原征伐で廃城になりましたが、豪徳寺のあたりには本丸があったといわれています。豪徳寺のはじまりは、15世紀後半。元々臨済宗、100年余りのちに曹洞宗に転宗、だそうです。
で?それでどうして招き猫なの?と思ったら、豪徳寺が井伊家の菩提寺というところにつながりがあったのですね。井伊家というと、歴史の時間に出てきた「井伊直弼」が頭に浮かんでしまいますが、時は江戸時代初期、秀忠から徳川家に仕え始めた、井伊直弼の祖先にあたる井伊直孝に関係がありました。直孝は、井伊家の大将として、大阪冬の陣、夏の陣を戦い功績を残しました。その後も家光、家綱と将軍に仕え続け、徳川幕府にとってなくてはならない存在となるまで出世をした人です。
一説によると、その直孝がある時鷹狩りの帰りに近くを通りかかったところ、白い猫に手招きされて豪徳寺にやってきたそうです。するとたちまち大豪雨となり、直孝は白い猫のおかげで濡れなくてすんだといいます。その上、住職とも意気投合した直孝は豪徳寺に寄進をし、豪徳寺は立派なお寺となったそう。。 そして、そのきっかけとなった白い猫にゃんは死後「招福猫児(まねぎねこ)」と崇められ、寺内に招猫堂が建てられたそうです。たくさんの招福猫児の置物は、願いが叶った人々が寄進したものだそうです。かわいすぎる〜〜
大小様々です。
こちらにも。
願をかける前ではあるが、招福猫児が欲しい!福が欲しい!と事務所に向かいましたが、タッチの差で営業終了。また来てね、ってことかー。がっくり手招き猫にはそっぽをむかれ。。。やっぱりキビシい2020年。
ふと見上げればもう夕暮れだもんね。境内には入れますが、事務所は1700までだそうです。桜もちらほら。