And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ルパン対ゴールドフィンガー

2015-02-18 12:52:14 | 日記
怪盗ルパン全集、15巻出てたはずなのになぜ14巻しか文庫化されなかったのだろうと調べたら「ピラミッドの秘密」は訳者、南洋一郎の創作でルブランのものではないかららしい。元々子ども向けに大幅に改筆・圧縮してるのだからそれを抜くことないのにと思った。文庫にしたのは間違いなくまた子どもに読ませようとしたのではなく懐かしい大人たちのために、それもルブランを研究しようと思って読むわけでないので。逆に言えばルブランの原作と違ったルパンをルパンだと思ってきたということだが、ポワロがテレビ映画になって多少原作を変えられても楽しく観ることができるのと一緒でどうでもいいことだ。フランス以外ではそれほど有名でないというのは、コナン・ドイルに並ぶような作家ではないということだと思うし、大人になってから文庫で読み直そうなんてそう多くないと思う。小中学生のときに日本のルパンとして完成してしまった。こういう例は他にあるまい。訳によってたぶんもっといい訳ならば読めたであろうと推測する小説もあるが、原書を読んでいない限り推測でしかない。明らかに日本語になっていないものも数多くある。それは原書以前なのでまだわかりやすいが。大抵は学者が研究を元に訳するのであろうから、日本語になっていないという論外を除くとそうおかしな訳にはなっていないはずだと信じるしかない。怪盗ルパン全集が本来のルパンとかけ離れているという批判は創作したり削除したりがあるので仕方ないが、果たして日本語で読む外国文学が原書と同じか。「フィネガンズウェイク」が全訳されたが無理でしょう。「ユリシーズ」だって無理でしょう。しかし楽しく読むことは可能。イマジズムで俳句を英訳してどうする。面白さは伝わるが俳句はわからないだろうというのと同じ。面白いといえばロックの歌詞や題名の訳。中学生でも間違わないだろうというのが平気である。ロックにはその程度で十分なのかもしれないが。そういう程度の低いのは別にして、いちいち人の訳にケチをつける書物もどうかと思う。なんだかの訳を正すみたいな本書くくらいなら自分で訳して出せと思うが、そういう人間には訳の依頼が回ってこないのだろう。映画の字幕も文字数の関係で相当字を減らしたり、一言でわかるような訳にしたりしてる。だからといってその映画を観たことにはならないとは言われない。そんなこと考えながら怪盗ルパン全集の表紙眺めているだけで楽しくなる。